ヴァンドーラ・サーカス団

たぴ岡

メリークリスマス、ヴァンドーラ

お題:初めまして/クリスマス


 静かに雪の降る夜、サーカス団の舞台上では赤と黒の衣装のピエロがジャグリングの練習をしている。くるくる回るのはボールではなく、最前列に座る女の子の心だったのかもしれない。

「ねえ、ねえねえジョーカー?」黒髪のツインテールを指先で遊びながら、女の子は上目遣いでピエロに呼びかける。「ねえジョーカー好きよ、大好き」

 ふわふわ舞っていた色とりどりのボールは、その場で――まさに時間が止まったかのように空中で静止した。笑んでいるように見せる口元の赤がぐにゃりと歪み、彼本来の笑顔を映し出す。

「ありがとう、ぼくだってきみが好きさ。でもねキッティ、いまは練習に集中させてほしいんだ。ほら、明日はこの街ではじめての公演だからね、なにかまちがえてしまってはたいへんだろう?」

 キッティと呼ばれた女の子は、隣に大人しく座っているトラを撫でつけながら少し悲しげな顔をした。それでもジョーカーが目の前にいるからか、彼女の明るい色は変わらない。

 ジョーカーのまわりに浮かんでいたいくつかの丸がぽろぽろ落ちる。が、それが舞台上でバウンドすることはない。彼が手や足を使って、もう一度ジャグリングをはじめたからだった。同種族の人間がよく見れば、ボールとジョーカーの動きには違和感を覚えるかもしれないが、彼の魔法はほとんど完璧だった。同じ魔女――異端である者は性別問わずそう呼ばれた――でなければ気づけないだろう。

 その様子をうっとりと眺めているキッティの耳は、頭上でぴこぴこ動く。彼女はトラと同じように毛に包まれた耳を持っている。ジョーカーや人間と同じ場所にはない。

「ねえ、ねえねえママ? やっぱりジョーカーって美しい、あたしここに来られて幸せだわ」

『お前がそう言うなら私も幸せだ、ロア』

猛獣ちゃんロアだなんて、あたしまだママの足元にも及ばないもの。仔猫ちゃんキッティでじゅうぶんよ」

 キッティはママ――隣に座り、今はキッティの頬をなめているトラ――にほほえんだ。ジョーカーにとっては、練習中のために聞いてはいないかもしれないが、トラはひとつふたつ唸っただけに聞こえただろう。その声が、言葉がわかるのはキッティだけ。彼女もまた、魔女だった。

 ここはヴァンドーラ・サーカス団。取り返しのつかなくなった、ワケありの子どもたちが育つ場所。そう、魔女として村を追放された子どもたちが。

「ねえ、ねえねえジョーカー、あたしも練習に参加したいわ」

「そうかい? じゃあ」ジョーカーはボールを放ったまま、指を振る。人さし指を上に向ければ、それに従うようにボールたちも上へ行く。「炎のリングくぐりかな、きみの苦手なパフォーマンスだったね」

 ジョーカーは人さし指と親指で円を作り、口元に持っていく。先ほどまでの穏やかな笑みではない挑戦的な色を帯びたその顔で、円に向かって息を吹く。するとその場から炎が吹き出す。それは龍のようにうねりながら、舞台上を遊ぶように舞う。それから設置されたリングまでたどり着くと、安心のため息をつきながら、炎のリングへと姿を変える。彼の得意な炎の魔法だ。

「いやよジョーカー、あたし熱いのがキライなの」キッティは頬をふくらませながら、立ち上がる。髪や首元に着けた真っ赤なリボンがふわりと揺れる。「ママにも危ないことはさせたくないわ。……公演ですごく盛り上がるのは知ってるけれど、でも怖いものは怖いの。ねえ、ジョーカー?」

「大丈夫さ、きみも知っているだろう? ぼくの作る炎は本物じゃない。熱くなんてないんだ。きみが言うなら本番も温度は下げてやったっていい。ほら、こっちへおいでキッティ」

 舞台上から伸ばされた手を、それでも掴めずにいるキッティ。耳のうらのかしかしとかく。その表情は暗くあれど、やはりほほえんでいる。

 どうしても決断できないキッティの手を取ったジョーカーは、少し迷うように首を傾げてから、握った手に火を灯した。

「きゃっ!」キッティは後ずさる。

「大丈夫さ」ジョーカーはもう一方の手も持ってきて、彼女の小さな手を包んだ。「ほら、熱くない」

「……わ、わかってるのよ、ジョーカーが優秀な魔女だってことくらい」

「その呼びかたは、ぼくは好きじゃないんだ。手品師とでも言ってくれないか?」

「ご、ごめんなさいジョーカー」炎の灯る彼の手を、キッティは自分の頬へ連れていく。「好きよジョーカー、大好き。あなたがいなきゃ、あたしは死んでた。あなたがいなきゃ、あたし、ここまでがんばれなかった」

 キッティは、その縦長の瞳孔に決意の炎を宿し、ジョーカーを見つめる。彼の真っ黒の目は、しかしうれしそうに彼女の光を映す。

 トラの鼻が背中を押した。キッティは舞台に片手をつき、ステージに上がる。着いてくるようにトラの足も舞台上に乗ったが、大きな鐘の音がそれを止めた。

「日付が変わったわ。メリークリスマス、ジョーカー!」キッティはうれしそうに叫び、頭ひとつ分以上高さの違うジョーカーに、つま先立ちで追いつこうとする。

「メリークリスマス、キッティ」穏やかに言うジョーカーは、キッティの頭をやわらかく撫でてから、右手をふわりと舞わせ、彼女を浮かせた。こちらも彼の得意な、浮遊の魔法だ。

 目を閉じていたキッティがまた叫ぶ。「届いたわ、ねえジョーカー、あなたのくちびるに届いた!」うれしそうにそこらを跳ねながら、顔を真っ赤にして満面の笑みを浮かべる。

「ぼくからのクリスマスプレゼントさ。キッティ、きみからも甘く受け取ったよ」

 きゃ、と小さな声で叫びながら、両手で頬をおさえるキッティ。その耳としっぽが隠しきれない喜びにぴこぴこ動いているのは、ジョーカーとママしか知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る