こんな恋の話

@au08057406264

第1話

今日も、その交差点は、雑踏でごった返していた。

話し声や、車のエンジン音でざわつく中、歩行者用の信号が、赤から青に変わった。

その時だった。

ぞろぞろと、歩行者が歩き出していると、

「待てー、止まれー!」

何処からか、男性の叫ぶ声が、聞こえた。

「きゃっ」

「うわぁっ」

次々と、歩行者を撥ね飛ばし、男が突っ込んで来た。

男は、続けて走って行くと、その向こう先に、女の子がやって来た。

女の子はスマホに夢中で、男の存在に、気づいてないらしかった。

「危ない!」

誰かが叫んだ。

「きゃあっ」

だが、一足遅く、女の子も男によって、撥ね飛ばされてしまった。

持っていたスマホは地に落ち、女の子は尻餅をついた。

続けて男は走った。

すると、男が行く先には、今度は、男の子がやって来た。

「危ない!」

また、誰かの声が飛んだ。

今度は間に合ったらしく、男の子は男の、一歩手前で、足を止めた。

すると、男の子は片足を、前に出した。

そこに男が、突っ込んで行った。

男は、男の子の足に引っ掛かって、転んだ。

間も無く、警官がやって来て、男は逮捕された。

「犯人逮捕にご協力、ありがとうございました」

警官は、男の子に対して、敬礼をした。

男はひったくり犯で、此処(ここ)にやって来る前に、女性からバッグをひったくり、女性の悲鳴を聞きつけた、この警官に追いかけられていたらしい。

男の子は、警官に一礼すると、続きを歩き出した。

「ありがとう」

「ありがとう」

先程、ひったくり犯に突き飛ばされた人達が、男の子に向かって、礼を述べた。

「別に、通行の邪魔になると思ったから、止めただけですよ」

そう言って、男の子は足を進めた。

「ちょっと待って下さい」

呼び止めたのは先程、ひったくり犯に突き飛ばされた、女の子だった。

女の子は、男の子に歩み寄った。

「あの、本当に、ありがとうございました。」

そう言って、頭を下げた。

すると、男の子はこう言った。

「君も君だ、歩きながらスマホ見てるから、こういう事になるんだろ」

男の子の言い方に、棘を感じた女の子は、カチンと来た。

「なっ……私だって悪かったと思ってるわよ、だけど、そんな言い方しなくたって、いいじゃない」

「俺は、自分の意見を言ったまでだ」

「それに、一番悪いのは、あの男の人でしょ」

「前方不注意に、変わりはない」

「何よ、私ばっかり悪く言って、自分だって〝危ない〟って言われなかったら、私と同じで、ぶつかったかもしれなかったくせに」

「現に、それを止めたのは俺だが?」

「あのねぇ……そんな態度だと、人から嫌われるわよ」

「他に言いたい事は?」

そこまで言うと、男の子は時計を見た。

「無いなら行くぞ、じゃあな、遅刻するなよ」

そう、言葉を残して、男の子は去って行った。

残った女の子は、悔しそうに、地団駄を踏んだ。

三十分後、女の子は遅刻する事無く、高校に着き、

男の子の忠告は、無駄に終わった。

そこでも、女の子は足を止めず、校内で靴を履き替えると、戸を乱暴に開けて、教室に入った。

閉める時も、力いっぱい戸を引っ張った。

強く足音をたてて、自分の席に歩み寄った。

スクールバッグを机の脇に掛けると、ドッカと腰を降ろした。

「ふーたばちゃん、おーはーよ」

「おはよ、二葉」

右からも左からもそんな声がして、二人の女子が、二葉の所にやって来た。

二葉も、二人の名前を呼んで、挨拶を伝えた。

「紫(ゆかり)、姫音(ひめね)、おはよう」

式部(しきべ)紫と河合(かわい)姫音、二人の親友の登場に、二葉の声は明るくなった。

「どうしたのー?機嫌悪そうだけど」

姫音が聞いた。

「本当、何かあったの?」

紫も訊ね(たずね)た。

「それがさー、二人共、ちょっと聞いてよー」

二葉は二人に、さっきの事を話した。

段々話してるうちに、声の具合いが不機嫌なものに戻って行った。

「それは二葉が悪いんじゃない?」

ズバリ、紫が言った。

「姫もそう思うー」

姫音も紫の肩を持った。

「う……そ、それは、そうだけど……無いでしょ、あんな言い方、せっかくお礼言ったのに、あー、今、思い出しても腹が立つー」

ダン、と、二葉は机を強く叩いた。

そして、肩を上下させながら、荒く、口から呼吸をした。

そこで、チャイムが鳴った。

教室の戸が開いて、担任の教師が入って来た。

生徒達は次々と席に着き、本を出して、読み始めた。

朝読書の時間が始まった。

朝読書の時間が終わると、日直が号令をかけた。

「起立ー、気を付けー、礼ー着席」

教壇に立つと、教師は言った。

「LHR(ロングホームルーム)を始める前に、転校生を紹介する」

教師の言葉に、教室中がざわついた。

「さあ、入って」

教師の言葉に、誘われるようにして、入って来たのは、男の子だった。

その男の子を見て、二葉は目を疑った。

信じられない光景が、二葉の視界に飛び込んで来た。

白の上履きに学ラン、そして眼鏡。

二葉の目に映ったのはーーーさっき、出会った男の子だった。

「あー!」

思わず二葉は、驚きの声を上げ、立ち上がった。

「ちょっと」

指をさしてそう言うと、言葉を続けた。

「何で、あんたが此処にいんのよ!?」

男の子は言った。

「誰かと思ったら、今朝会った、失礼女か」

「はあ!?失礼なのはどっちよ」

二葉が言い返した。

「お礼を言った人に対して、文句を付けるのが、あんたの礼儀なわけ?」

「そっちこそ、それが助けて貰った、恩人に対する態度か」

負けじと男の子も言った。

「そんな態度をとらせてるのは、何処の誰よ、それが感謝する人に対しての態度なの?」

「感謝はしてるんだな」

勝ち誇ったように、男の子は言った。

「その分損をしてるのも確かだけどね」

「こっちもお前みたいな奴を助けて、損をしたのは確かだけどな」

「何ですって!?」

「まあ、そもそも、助けたつもりは無いが」

「はあ!?何それ!?」

「結果的にお前を助けた事になっただけだ」

「あんたねえ、」

と、二葉が言った所で、教師が口を挟んだ。

「あー、これこれ、二人共、痴話喧嘩(ちわげんか)は、紹介の後でもいいか?」

『痴話喧嘩なんかじゃありません(!)』

二人の声が、揃って出た。

誰かしらの吹き出す音が、幾つ(いくつ)か聞こえ、教室中が笑い出した。

暫くして、教室中と二人が落ち着くと、教師は男の子の紹介を続けた。

「と、言うわけで、日向夏人(ひゅうがなつと)君だ、みんな宜しく(よろしく)な」

夏人も、念を押すように、自己紹介をした。

「日向夏人です、宜しく」

「じゃあ、君は、あそこの空いてる席に、座ってくれ」

教師が言った。

すると、夏人が意見した。

「先生、すみませんけど、後ろだと黒板が見えづらいので、前の人と席、変わって貰ってもいいですか?」

「そうか、それならしょうがないな、何処の席がいいんだ?」

教師が訊ねた。

すると、夏人は二葉を指さした。

「彼女の隣りでお願いします」

「はあ!?」

思いも寄らない言葉に、二葉は思わず声を上げた。

「だ、そうだ、影山、替わってやれ」

「はーい」

影山密(ひそか)は返事をすると、机の中の教科書や文具を全部出して、机の上で揃えた。

そして席を立ち、勉強道具を持った。

「ちょっ……ちょっと待っ……」

二葉は呼び止めようとしたが、叶わなかった。

「ああー」

呻くような声を出して、二葉は、差し出した手を引っ込めた。

擦れ違い様に、夏人と密は、会話を交わした。

「すまないな」

「気にしないで、宜しくね」

「ああ、宜しくな」

「悪夢だ、悪夢だわ」

机の上に突っ伏しながら、首だけを横に向けて、二葉は独り言を言っていた。

夏人は二葉の隣りにやって来ると、机の上に勉強道具を置き、ドッカと椅子に腰を下ろした。

「宜しくな、礼儀知らず」

夏人が言った。

「はは……」

二葉は、乾いた笑いで、返した。

ふと、夏人の机の上に、目が行った。

二葉はその量に、違和感を感じた。

何かが足りない気がする。

二葉は、夏人の机の上を、じっと見た。

「何だよ」

夏人が言った。

(ああ、そうか)

二葉は、気づいた。

(教科書だ)

「あんたの道具、それで全部?」

二葉は訊ねた。

「ああ、そうだ」

夏人は答えた。

「教科書はどうしたの?」

続けて二葉は聞いた。

「まだ貰ってない」

「は?」

意外な答えに、二葉は間の抜けた声を出した。

「発注側にトラブルがあったみたいでな、来週には届くと言っていたが」

「じゃあ授業、どうすんのよ」

「だから、あんたの隣りに来たんだよ」

「?どういう意味よ?」

意味が分からない、二葉が聞いた。

「つまり、一緒に教科書を見せてくれ」

「は?」

予想外の言葉に思わず、二葉は声を漏らした。

「だから、授業中、あんたの教科書を俺にも、見せてくれ」

夏人が言い直すように、言葉を述べた。

「なんだって、私なのよ?かぐやでもよかったじゃない」

二葉が不満を言った。

「俺だって、あんたに頼むのは癪(しゃく)だと思ってるし、悔しいが、あんた意外に頼めそうな人が、いないんだ」

縋る(すがる)ような口調で、夏人は言った。

「だからって、でも……」

気圧されて、二葉は返答に詰まった。

「見せてやれ、道端」

教師が割り込んだ。

「先生まで」

二葉が、言葉を漏らした。

「不思議の国のアリスで、今、話題の新作チョコブラウニーの奢り(おごり)、これでどうだ?」

溜め息をつき、夏人が交換条件を持ちかけた。

誰にも聞こえないように配慮するためか、小声だった。

「うっ……分かったわよ、仕方無いわね」

二葉は負けて、条件を呑んだ。

「宜しくな、ところで、さっき言ってた、かぐやって誰だ?」

夏人の問いに、二葉は答えた。

「あんたが座る筈だった席の、隣りの席に座ってる子よ、月宮かぐやって言うの」

二葉が首を後ろに向けると、夏人も同じ方向を向いた。

そこには確かに、密の隣りの席に、女子が座っていた。

「ああ、あの子か」

夏人は納得した。

「さて、それでは出欠を取るぞ、いいか?」

教師が言った。

『はい』

声を揃えて二人が返事をした。

LHRが終了し、休み時間に鳴った。

二葉と夏人の席の周りを、生徒が囲んだ。

「何処から来たの?」

「何処に住んでるの?」

「誕生日いつ?」

「血液型は?」

「兄弟いる?」

矢継ぎ早に出て来る質問に、夏人は答えて行った。

この質問に自分が巻き込まれるとは、二葉は思いもしなかった。

「ところでさ、道端さんは何で、日向君の事を知ってたの?」

「えっ……」

ターゲットが、自分に移ると思ってなかった二葉は、驚きの声を上げた。

「あー、気になる」

「俺も」

「私も」

「えっと……知ってたわけじゃないわ、今朝、たまたま、ばったり出くわしただけ」

目を泳がせながら、なんとか二葉は、質問に答えた。

「そうなの、でも、驚いたー、二人は付き合ってるのかと思ったー」

女子が言った。

二人が、椅子から転げ落ちた。

「どうしたのー?」

姫音が二葉に聞いた。

「な、何でもない」

「何してんの?日向君」

「右に同じ」

「え、あれー?ひょっとして」

「あんた達、まさか……」

姫音は二葉に、紫は夏人に、訝し気な視線を向けた。

『無い無い無い』

座り直そうとしていた二人は、途中で動作を止めて、手を振り、声を揃えて否定した。

「誰が、こんな奴と、こっちから願い下げだ」

夏人が言った。

「はぁ?こっちだって、こんな奴、お断りよ」

張り合うように、二葉も言った。

『ふん!』

二人共、そっぽを向くと、互いの席に座り直した。

その日、二葉は終始、不機嫌だった。

大股で歩いているのが、分からない程ムカついていた。

「ただいま」

ドアを乱暴に閉める音が聞こえた。

「お帰り」

先に返っていた、姉と妹が口々に、二葉を出迎えた。

「もう、何なの、アイツ」

そう言って二葉は、スクールバッグを乱暴に置き、

そのソファにドッカと座り込んだ。

「何にそんな、怒ってるの?」

穏やかな口調で、姉が訊ねた。

「それがさー、二人共、ちょっと聞いてよ」

二葉は姉妹に、今日の事を話した。

「それは、相手も悪いと思う」

キッチンで夕食の仕度をしながら、話を聞いていた妹が言った。

「でしょ、四ツ葉もそう思うよね、なのに友達ったら、私の言い分を聞き入れてくれなかったのよ」

同じく、話を聞いていた姉が、やんわりと、手厳しい言葉を放った。

「でも、事の発端(ほったん)は二葉でしょ?」

言われた二葉は、姉を睨んで(にらんで)言った。

「一葉(いちは)姉まで、アイツの肩持つわけ?」

抵抗するように、一葉は言った。

「違うわよ、事実を述べてるだけ」

「ほら、やっぱり、アイツの味方じゃない、アイツみたいな言い方までしちゃってさ」

面白くなさそうに、二葉は言葉を返した。

「違うって言ってるじゃない、困った子ね」

「何?私が無理矢理な事言う、困った子だって言いたいの?」

「違うったら」

一葉が困っていると、四ツ葉が横から口を出した。

「二葉姉、キツい言い方されて、腹が立ってるのはよく分かったから、落ち着いて」

「何よ、四ツ葉まで、何か文句あんの?」

二葉の意識が、一葉から四ツ葉に向いた。

鍋の火を止めて、四ツ葉は二葉に歩み寄った。

「違うわ、これにでも行って、気晴らししてくれば?」

宥めるように言った、四ツ葉が見せたのは、一枚のチラシだった。

「東京音楽祭?」

訊ねるように、チラシに書かれている題名を、二葉は読み上げた。

「そう、出演者の名前、読んでみて」

大きく頷いて(うなずいて)、四ツ葉は言った。

「SEED(シード)、we'llwell(ウィルウェル)、春瀬麗(はるせうらら)、エンジン、arrangerange(アレンジレンジ)、Scoop(スクープ)……え、嘘!?」

姉妹が予想した通りのリアクションを、二葉はした。

「Scoop出るの!?本当に!?」

「どう?行きたいでしょ?」

クスリと笑って、答えの分かっている質問を、四ツ葉はした。

「行く、絶対に行く」

興奮しながら、二葉は言った。

しかし、肝心な事に気がつき、それは瞬時に収まった。

「あ、でも……チケット持ってない」

そんな心配を打ち消すように、四ツ葉が言った。

「大丈夫、はい、これ」

と、二枚の太くて長い紙を、差し出した。

「東京音楽祭のチケット!どうして?」

不思議に思った、二葉が訊ねた。

「四ツ葉に感謝しなさい、夕飯の材料を買い出しに行った帰りに、福引きで当てたんだから」

「え?四ツ葉が?」

姉の言葉を聞いて、二葉は訊ねるように言うと、四ツ葉を見た。

四ツ葉はただ黙って、黙々と、沸かした鍋の中に刻んだ材料を入れている。

「本当に私が貰っていいの?四ツ葉」

二葉が訊ねた。

「私達も一緒に連れて行ってくれるなら、あげる」

それを聞いて、二葉の表情は更に明るさを増した。

「行く行く、連れて行く」

弾んだ声で、二葉は条件を呑んだ。

「じゃあ、夕飯が済んだら、みんなで行こ」

仕切るように、四ツ葉が言った。

「うんっ、あー楽しみ」

チケットを抱き締め、二葉は音楽祭に思いを馳せた。

さっきの怒りは何処へやら、二葉の頭の中はScoopでいっぱいだった。

なので、こんな会話がされているとは、気にも留めていなかった。

「あのチケット、一枚につき二名様までって、教えた方がいい?」

四ツ葉の問いに、一葉が答えた。

「後にしましょう、聞いてないわよ、きっと」

言いながら一葉は、四ツ葉の肩に手を置いた。

もうすぐ、三ツ葉も帰って来て、夕食が始まる。

東京音楽祭の事を話せば、三ツ葉も喜んで、誘いに乗ってくれるだろう。

四ツ葉が料理の味を見て、納得し、クッキングヒーターの火を止めた。

料理を食器に盛り付けると、姉達に指示を出し、運ばせた。

並べられた、料理の席に着くと、玄関の開く音がした。

「ただいま」

そう声がして、中に入って来たのは、一人の女子だった。

「三ツ葉、お帰りー」

一葉を始めとする、姉妹が口々に、三ツ葉を出迎えた。

三ツ葉は自分の席に、スクールバッグを置くと、水道で、手洗いうがいを済ませ、席に着いた。

「いただきます」

声を揃えて、四姉妹は夕食を始めた。

東京音楽祭の事を話すと、三ツ葉も楽しみだと言った。

「あ、そうそう」

食べながら、一葉が言った。

「明後日(あさって)、隣りに、引っ越して来る、御家族の方々がいらっしゃるから、会ったら、御挨拶(ごあいさつ)なさいね」

「はーい」

「分かったわ」

姉の言葉に、二葉と三ツ葉は、各々に返事をして、四ツ葉は頷いた。

夕食が済むと、四人は仕度をして、出かけた。

ライブ会場に着くと、もう既に(すでに)たくさんの人が来ていた。

その人数は、姉妹達にも想像出来ない程だった。

「ひゃー、混んでるね」

驚いたように三ツ葉が言った。

「人気アーティストばかり来るみたいだから、混むだろうなと思ってはいたけど、これ程とはね」

一葉も同意を述べた。

「でも、広いよねー」

「あのステージで歌うのかしら」

二人は会場に夢中になった。

「二人共」

四ツ葉が声をかけた。

「初めて会場に入ったから、珍しさに夢中になるのは分かるけど、こっちの心配もしてよ」

そう言って、二葉を見た。

「ああ、早くScoopの番にならないかなぁ」

と、瞳を輝かせている。

「それにしても、」

一葉が言った。

「ライブなんて滅多に来れないから、貴重な経験よね、此処にこうやって来れたのは、四ツ葉のお陰ね」

「本当、そうね、四ツ葉に感謝しなきゃ」

三ツ葉がそれに便乗した。

「あ……」

突如、二葉が身震いをした。

「どうしたの?」

四ツ葉が声をかけた。

「ト、トイレ行きたくなっちゃって、まだ、時間ある?」

二葉が聞いた。

「うん、まだ大丈夫だから、行って来なよ」

四ツ葉が答えた。

「うん、じゃ、ちょっと行って来る」

二葉はそう言って、会場を出た。

「あ、ちょっと」

四ツ葉が呼び止めようとしたが、聞かなかった。

「あー……あーあ、トイレの場所、言おうとしたんだけどな」

「二葉なら大丈夫じゃないかな、小さい頃からなんとかなってたでしょ」

四ツ葉に、一葉は言った。

「一葉姉……まあ、確かにね」

「っくしゅん」

くしゃみの主(ぬし)は、二葉だった。

(トイレ何処だろ……)

人気(ひとけ)の無い通路を、二葉は彷徨って(さまよって)いた。

(四ツ葉に聞いたら、教えてくれたかな)

トイレの事ばかり考えて、場所を教わらなかった事を後悔した。

二葉は辺りを見回しながら、トイレを探した。

その最中(さなか)だった。

トイレに気を取られて、背後にあった影に気づかなかった。

「きゃっ」

何かにぶつかった。

「わっ」

何かが声を上げた。

ぶつかったのは、人だった。

二葉とその人物は、互いに尻餅をついた。

痛さに顰めた(しかめた)顔を戻し、二葉はその人物を見た。

男だろうという事は、骨格からして分かった。

男の格好(かっこう)は、金髪にサングラス、ピンクのTシャツにジーパン、そしてシューズという、出で立ちだった。

男はゆっくり立ち上がると、ジーパンの裾を手で払う仕草をし、二葉に近づき、手を差し伸べた。

「ごめんね、大丈夫?」

差し出された手と、男の顔を交互に見て、

「え?あ……私がですか?」

二葉は聞いた。

「そうだよ」

男は答えた。

二葉は男の手を取り、立ち上がった。

「こんな所でどうしたの?」

今度は男が聞いた。

「あ、えっと、こちらこそ、ごめんなさい、トイレを探してたんです」

二葉の答えを聞いた青年は、意外な言葉を発した。

「トイレ?トイレならさっき、俺が行って来たばかりだけど」

それを聞いた二葉は、青年の言葉に齧り(かじり)ついた。

「本当ですか?じゃあ、貴方が来た道を進んで行けば、トイレに行けるんですね?」

と言って二葉は、青年のすぐ側まで近寄った。

「そ、そうだね、看板にも書いてあるしね」

後退り(あとずさり)ながら、青年が言葉を絞り出すと、二葉は近寄るのを止めた。

そして、こう反応した。

「え?」

青年は胸を撫で下ろし、一息ついた。

それから少し間(ま)をおいて、二葉は零すように言った。

「……看板?」

その疑問に、青年は教えるように、こう言った。

「そうだよ、ほら」

と、天を仰いだ。

二葉もそれにつられるように、天井を見上げた。

そこには、宙吊りの看板に、トイレを表す〝WC〟の英文字と、男女を表すマークと、左に向かう矢印が描かれていた。

「ほ……」

二葉が零した。

「ほ?」

続きを促すように、青年が聞いた。

「本当だあ、やだ、私ったら」

そう言って、二葉は赤くなった顔を、両手で覆い隠した。

それを見た青年は、二葉に声をかけた。

「どうしたの?」

顔をみようと、二葉の身長に合わせて屈み、手を取ろうとした。

だが、しかし。

「いやっ」

と、手を振り払われ、二葉はそっぽを向いてしまった。

「大丈夫?」

青年が二葉に聞いた。

「ご……ごめんなさい、咄嗟の事だったから、つい」

二葉は言った。

「いや、こちらこそ、君の気持ちも考えずに、ごめんね、でも、どうしたの?」

再び、青年が聞いた。

「あ……恥ずかしくなっちゃって、だから……」

二葉の答えを聞いた青年は、クスリと笑って、こう言った。

「可愛い事してくれるじゃない、いいね」

「え?」

二葉が聞き返した。

「あ」

青年も零すが、何か口を滑らせてしまったらしく、言ってしまった後だが、慌てて口を噤んだ(つぐんだ)。

「今の台詞」

二葉が再び、齧り(かじり)ついた。

「いや、ごめん、今のは聞かなかった事にして」

逃げるように、青年が言った。

「いいえ、出来ないわ、それにその格好、貴方(あなた)、もしかして」

覚悟を決めたように、青年は目を瞑った(つむった)。

「Scoopの日向春人(はると)君のファンなんですね」

暫く(しばらく)、沈黙が流れた。

その間(あいだ)、青年の頭(あたま)では、二葉の言葉が反芻(はんすう)していた。

すると、決心がついたらしく、諦め(あきらめ)たように溜め息を吐き、話し出した。

「分かっちゃった?」

「はい!」

二葉が元気良く、返答した。

「そうなんだよ、俺、Scoopの日向春人のファンで……って、え?」

「やっぱり」

手を叩き、二葉はこう言うと、続きを話し出した。

「そうなんじゃないかと思ったんです、私も推しメンなんですよ、気が合いますね」

と、青年の手を取って、燥いだ(はしゃいだ)。

「いや、あの」

青年が全てを言い終える前に、二葉が遮(さえぎ)った。

「やだ、私ったらつい」

二葉は手を離し、青年から離れた。

「いや、いいんだ、それでさ、」

青年が何かを言わんとしている所を、再び二葉が遮った。

「そうだ、私ったら、トイレに行くんだった」

本来の目的を、思い出したかのように、二葉は言った。

「ありがとうございました」

二葉は頭を下げた。

「それでは」

と付け加えると、走り去って行った。

青年は、その場に立ち尽くした。

誰もいなくなった通路で、青年は呟いた。

「本物なんだけどなぁ……」

そして、サングラスを外し、こう言った。

「面白い子だな」

それから、クスリと笑った。

一方、会場にいる残りの姉妹は、二葉が戻って来るのを、待ち侘びていた。

「遅いな、もうそろそろ、ライブ始まるのに」

腕時計を見ながら、四ツ葉が言った。

「珍しいわね、あの子が遅れて来るなんて」

一葉が言った。

「でも、まあ、そんな日もあるかしら」

「きっと、もうすぐ来るわよ」

「大丈夫、まだ時間はある」

三ツ葉が話に加わった。

「でも、開演五分前よ、間に合えばいいけど」

四ツ葉が言った。

ステージでは、スタッフが楽器やマイクを設置し、

準備を始めた。

四姉妹を含む、様々なアーティストのファンが待ち望む中で、刻々と時は過ぎて行った。

開演二分前。

そして、一分前。

と、此処で突然、客席の出入り口の扉が、静かに開いた。

そこから入って来る、一人の人物がいた。

その正体は、二葉だった。

二葉は姉妹に駆け寄りながら、言った。

「ごめーん、お待たせ」

「こっちこっち、早く早く」

一葉が手招きをして、呼んだ。

「よかったー、間に合ったみたいで」

姉妹の元へ到着した二葉が、息を切らしながら言った。

「三十秒前、かなりギリギリだけどね」

腕時計を指しながら、四ツ葉が言った。

「ごめんごめん、ちょっとしたトラブルがあって」

合掌とウィンクをしながら、二葉は謝った。

「やけに、さっきよりも機嫌いいじゃない、時間もかかったみたいだし、何か良い事でもあったの?」

一葉が訊ねた。

二葉は答えた。

「それがあったのよー」

話を聞いているのか、いないのか、よく分からない答えだった。

姉妹の元に来てから、ニヤけが止まらない、二葉だった。

客席の照明が消え、真っ暗になった。

スポットライトがステージを照らした。

「あ、始まるよ」

一葉の、この言葉が引き金となり、姉妹全員が、視線をステージへと、集中させた。

東京音楽祭が始まった。

SEED、we'llwell、春瀬麗、エンジン、arrangerange……と、次々に歌い手が、DJの紹介の後に歌って行き、残すは最後の歌い手、つまり、Scoopのみとなった。

「いよいよ、Scoopの番ね」

気分が高揚しているらしく、頬を紅潮させた二葉が言った。

楽曲が変わり、音楽が鳴り出した。

黄色い悲鳴が上がった。

イントロが流れている中、DJが喋り出した。

「最近、ダイエット中の日向春人さん、一昨日、体重計に乗ったら一キロ、減っていたそうです、さあ、ラストはこのナンバーでキメてくれよ、Scoopで〝Libra〟」

黄色い悲鳴には、二葉の声も入っていた。

メンバーが歌い出すと、消えていた黄色い悲鳴が、復活した。

そして、その中には、彼女も入っていた。

「キャー春人ォー、Scoopゥー」

そう、その声の主は勿論(もちろん)、二葉。

それを若干引きながら、三姉妹は見ていた。

「二葉姉……」

四ツ葉が溜め息をつきながら、頭痛を抑えるように、片手で頭を押さえた。

「ははは……」

三ツ葉の乾いた笑いが、宙に消えた。

メンバーがダンスで、ステージの上を思い思いに、移動した。

二葉のいる席の方へ、春人がやって来た。

「嘘!?こっちに来る」

そして、二葉のいる席の方へ、手を振った。

「ああ、春人ォー」

声援を送りながら、二葉が手を振り返した。

東京音楽祭は、こうして大盛況の中、幕を閉じた。

東京音楽祭が終わって、四姉妹は帰路についていた。

「楽しかったわね」

一葉が言った。

「うん」

四ツ葉が頷いた(うなずいた)。

「たまには、こういうのもいいね」

三ツ葉が言った。

「本当よねぇ」

一葉が同意した。

「ありがとう、四ツ葉」

三ツ葉が四ツ葉に礼を言った。

「ううん、また来ようね」

首を横に振りながら、四ツ葉が言った。

そして、更にこう続けた。

「ところで、あれ、ほっといていいの?」

言うと、顔を二葉へと向けた。

その二葉はと言うと。

「はぁー、春人ォー」

姉妹の誰よりも、余韻(よいん)に浸って(ひたって)いた。

「はいはいはい」

姉妹が声を揃えて言った。

東京音楽祭の感想を、四人で言い合いながら、歩いていると、一台のワゴン車が、四人の側(そば)で

止まった。

クラクションによって、四人がそれに気づいた。

窓が開いて、一人の男が顔を出した。

「やあ、今、帰り?」

そう声をかけて来た。

「そうですけど、貴方(あなた)は?」

訝りながら、四ツ葉が聞き返した。

男が答えようとした時だった。

「あ」

二葉が声を漏らした。

その男は、二葉にとって、見覚えのある人物だった。

「あの時の、春人のファンの人」

と、続けた。

「あら、二葉、知り合いなの?」

一葉が訊ねた。

「全然、トイレの場所を教えて貰っただけ」

さらりと、二葉は答えた。

「つれないなぁ、気が合うって言ってたじゃないか」

男が言った。

「会ったのが初めてだったのは、本当でしょ」

二葉が言った。

「それでも、けっこう仲良くなったでしょ」

また男が言った。

それを聞いた二葉は、その時を思い出したのか、嬉しそうに、

「ふふっそうですね」

そう言って笑った。

「で?ご用は何ですか?」

二葉が訊ねた。

「帰りがけに、たまたま見つけてね、よかったら乗って行かない?行き先を教えてくれれば、送って行くから」

「本当ですか!?」

二葉の顔が、更に明るくなった。

「勿論(もちろん)、お近づきの印に」

男が答えた。

「やったぁ、ねぇ、お姉ちゃん達、そうさせて貰おうよ」

三姉妹に向かって、二葉が言った。

「でも、大丈夫なの?」

心配そうに、一葉が二葉に聞いた。

「大丈夫、良い人よ」

二葉が言った。

「そうねぇ……」

そう言うと、一葉は少し考えてから、

「二葉が大丈夫なら、大丈夫そうね、それならお言葉に甘えましょうか」

こう言った。

「やったぁ」

二葉が燥いだ。

「そう来なくっちゃ」

男が言った。

男が遠隔操作で、後ろのスライドドアを開けると、

四姉妹は乗り込んだ。

「準備はいいかい?」

男が訊ねた。

「いいですよ」

「ええ」

「どうぞ」

「OKです」

シートベルトを締めると、車は出発した。

「それじゃ、四ツ葉、案内(ナビ)宜しくね」

二葉が言った。

「うんうん」

三ツ葉も賛同するように頷いた。

「四ツ葉が一番、姉妹の中でしっかりしているからね」

一葉も言った。

「一葉姉まで」

恨めしそうに、四ツ葉は言った。

しかし、その直後。

「分かった、やる」

大きな溜め息をつきつつ、そう言った。

「言うんじゃないかと思った、ありがとう、四ツ葉」

二葉が言った。

車内に明るい、雰囲気が訪れた。

男も、良い雰囲気だと思い、それに浸った。

しかし、これを境に会話は無くなり、車内は静まり返った。

暫し(しばし)の間それは続き、痺れを切らしたのか、男が話し出した。

「えーと、君達は姉妹かな?それとも、何かの集まり?」

「姉妹です」

四ツ葉が言った。

「一人ずつ紹介して貰えるかな?二葉ちゃん」

「何故です?」

言ったのは、四ツ葉だった。

「お近づきの印に」

男が答えた。

「あの、いつの間(ま)に名前を?」

今度は二葉が聞いた。

「さっき、君の隣りの人が、言ってたのを聞いたんだ」

「え?」

男の答えを、二葉は疑問で返すと、考えようとする前に、記憶が蘇った(よみがえった)。

《二葉が大丈夫なら、大丈夫そうね、それじゃあ、お言葉に甘えましょうか》

「あ、あの時」

分かったらしい台詞を、二葉は発した。

「さて、分かった所で、紹介の方、宜しくね」

男が言った。

「あ、はい!」

元気の良い返事をした二葉は、紹介を始めた。

「まず、私の右隣りに座ってるのが、長女の姉・一葉で、私がご存知の通り、次女の二葉、左隣りに座ってるのが、妹の三女・三ツ葉で、端に座ってるのが、末っ子の四女、四ツ葉です」

「一葉さんに、三ツ葉ちゃんに四ツ葉ちゃんね、君達はコンサートやライブには、よく来るの?」

男の問いに答えたのは、四ツ葉だった。

「いいえ、私と二番目の姉は、たまに出かけますけど、姉二人は初めてです」

「出かけるって一人で?」

続けて男が聞いた。

「いいえ、趣味の合う先生の引率で、行ってます」

「へーえ、良い先生がいるんだね」

「あ、そこを左に」

そう言った後、今度は四ツ葉が聞いた。

「そう言えば、お兄さんのお名前は、何ですか?」

その一瞬だった。

いきなり、男の車が揺れた。

男が急ブレーキをかけたのだ。

シートベルトのおかげで、姉妹達は、前の座席にぶつからずにすんだ。

「ど、どうしたんですか?急に」

訊ねたのは二葉だった。

「へ?あ、ああ、ごめんごめん、ちょっと今、忘れてた事を思い出しちゃって」

男が答えた。

「大丈夫なんですか?今すぐ行かなきゃいけない、大事な用事なんじゃ」

一葉が言った。

「大丈夫、大丈夫、家の掃除を思い出しただけですから」

男が言葉を返した。

体勢を立て直させ、男は車を再び発進させた。

「それで、お兄さんのお名前は?」

「あ、私も気になる、何て言うんですか?」

二葉が四ツ葉に便乗した。

「えっと、俺は、ひ……」

男は考えながら、名乗った。

「ひ?」

姉妹は続きを聞いた。

「日向春太郎(ひなたはるたろう)」

「日向、」

「春太郎、さん」

三ツ葉が名字を、一葉が名前を繰り返した。

「そうです、俺の名前」

「へーえ、変わったお名前ですね」

一葉が言った。

「そ、そうですか?」

男が言った。

「偽名みたいなお名前ですね、あ、そこを左に」

四ツ葉も一葉に同意した。

「そ、そうかな?」

春太郎は、自分の名前の感想攻撃を受けながら、ハンドルを切った。

「ちょっと二人共、失礼でしょ、すみません」

二葉が割って入った。

「はは、いや、いいんだよ、よく言われるんだ」

春太郎は振り絞った言葉で、二葉を宥めた。

「でも、凄い(すごい)ですね、漢字にすると、日向春人とよく似た名前になってるなんて」

まさかの二葉からの、一言からも、ダメージを受けるとは、春太郎も二葉自身も、思いも寄らなかった。

動揺が分からないように、春太郎はせめて、今の姿勢を崩さないよう、堪えた(こらえた)。

そして、また言葉を絞り出した。

「そうなんだ、それが分かってから、すっかりファンになっちゃってね」

「へーえ、そうなんですね」

納得した様子で、二葉が言った。

と、考えてる中、此処で春太郎が閃いた。

「そ、そう言えば、東京音楽祭はどうだった?」

話を逸らすようにして、春太郎が聞いた。

「どうだったって、日向さん、東京音楽祭、見てなかったんですか?」

二葉が聞き返した。

「いや、参加したよ、参加したけど、同じファンとして、君達の感想を聞いておこうと思って」

春太郎が答えた。

「なるほど」

二葉はまた、納得した。

「で、どうだった?」

「そ……」

「そ?」

「そりゃあ勿論、最っっっ高でしたぁ」

運転席へと二葉が、身を乗り出して言った。

どうやら、何らかのスイッチが入ってしまったようだ。

「もぉー、春人の爽やか感ある声がたまんなぁーい」

テンションが上がった二葉は、更に続ける。

「いつも癒されてるけど、今日の〝Libra〟みたいな、ミステリアスな曲での歌声とのギャップもまた、いいのよねー」

二葉の周りに花が、舞って見えた。

だが、その幸せな雰囲気は、姉妹によって、終止符を打たれる事になる。

「あら、私はあの赤髪の人が好きよ?」

引き金は、一葉のこの一言だった。

「え?」

二葉のテンションが止まった。

「花咲舞流(はなさきまいる)って言うの」

四ツ葉が説明した。

「それを言うなら、私も」

三ツ葉が言った。

「日向さんがセンターに出てた時、左端で踊っていたあの人、カッコよかったー」

「え?」

再び二葉が反応した。

「渡瀬託人(わたらせたくと)さんね、三ツ葉姉、リーダー推しなんだ」

また、四ツ葉が説明した。

「そう言う四ツ葉は、誰が好みなの?」

三ツ葉が聞いた。

「青伊真鳥(あおいまとり)さん」

言い切るように、四ツ葉が答えた。

「へーえ、どの人?」

また、三ツ葉が聞いた。

「日向さんがセンターに出てた時、右端で踊ってた人」

詳しく、四ツ葉は答えた。

「あー、あの紫色の髪の人?」

確認するように、三ツ葉が聞く。

「そう」

頷きながら、四ツ葉が答えた。

「え?え?」

二葉を置いて行くように、姉妹は話を進めた。

「えーっ」

信じられない、というような声を、二葉が上げた。

「なんだぁ、みんなも春人に夢中になってると思ってたのに、つまんないの」

気落ちしながら、二葉が言った。

「でも、まあ、そんなもんだよ」

春太郎が言った。

「え、みんなも春人のファンでしょ?」

確認するように二葉が、姉妹に聞いた。

「ううん」

姉妹は仲良く返事をした。

「え、みんなも春人推しでしょ?」

「ううん」

これにも。

「え、みんなも春人の事、応援してたんじゃないの?」

「うん」

これにもだ。

「えーっ」

二葉が再び、声を上げた。

不満げな声の出し方だった。

二葉が座り直して、沈んだ気分でいると、歌が聞こえた。

鼻歌だった。

不思議に思って、耳をすませてみると、聞き覚えのある曲だった。

(この歌……〝virgo(ヴァーゴ)〟?)

それは、〝libra(ライブラ)〟より前に出された曲だった。

(綺麗な歌声)

暫く聞いていると、運転席の方から聞こえた。

(春太郎さんが歌ってるんだ)

歌声の主は、春太郎だった。

いつの間にか、二葉以外の姉妹達も、春太郎の歌声に酔いしれていた。

「綺麗な歌声ね」

二葉と同じ感想を、一葉が言った。

満天の星に見送られるように、車は道を進んで行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る