運命の邂逅⑦

  翌朝、日が昇るか昇らないかの、いつもの時間にベルナデットは起きた。すると、何やらリビングの方から物音が聞こえてくる。まさか、ジャンヌ以外に誰か、もしくは稀に入って来る野生動物がいるのだろうかと身構える。恐る恐る寝室を出てリビングの方へ行くと、たき火の弾ける音と少しの温もりを感じる。そして、暖炉の前にはジャンヌが薪をくべていた。

「ジャンヌさん!?」

 ベルナデットは驚きの声を上げた。

「あら、おはようベルナデット。勝手に暖炉に火を入れちゃったんだけど、大丈夫だった?」

 ジャンヌは笑顔で尋ねた。

「は、はい。それはとてもこちらとしては助かったんですけど…早起きなんですね?」

「ええ、昔から日の出と同じ時間に起きるようにしているの。私、早朝にしかない澄んだ空気が好きで」

 ジャンヌが手に持っていた一本の薪を炉に入れると、手に付いた木の屑などを払った。

「あ、分かります。すっかり日が昇った頃にはない空気というか…って、そうじゃなくて! 怪我は大丈夫なんですか?」

「ええ、お陰様ですっかり良くなったわ」

 ジャンヌはそう言うと、昨晩自分で巻いた包帯を片足で立ったままほどいて見せた。すると、切り傷の痕が少し残る程度で、殆ど傷は治っている状態であった。まさかたった一晩で、とベルナデットは驚きのあまり声さえ出ない。

「あの泉の水は凄いわね。痛みも熱もすっかりひいて、しっかり歩けるようになったわ」

「そ、そうなんですね、それは良かったです…」

 ベルナデットは後に続く「でも」という言葉を飲み込んだ。――確かにあの泉は昔から傷に効くとされ、ベルナデットも転んで擦りむいたときなどはあの泉で傷を洗って治していた。効くには効くが、完全に治るのには多少なりとも時間がかかる。しかし、ジャンヌはあんなにも大きく深い傷にも拘わらず、たった一晩でほぼ治ってしまった。こんな事があるのだろうか。

「…そうだ、私まだ支度してない! ちょっと待ってて下さい! すぐ朝食にしますね!」

「慌てなくても大丈夫よ。朝食も台所を使わせて貰えれば、ちょっとしたものでも作ろうと思って」

「いえ、怪我が治ったばかりの人にそこまでさせられません! 待ってて下さいね!」

 ベルナデットは慌てて自室兼寝室に戻り、ジャンヌはその様子を微笑ましそうに見ていた。



「ベルナデット、昨日言っていた泉…私も行ってみたいのだけれど、このあと案内して貰っても大丈夫かしら?」

 朝食を終え、食後の茶を飲んでいるときにジャンヌはそう切り出してきた。

「今日は仕事のお手伝いもないですし、良いですよ!」

「仕事…そういえば、ご両親や親戚の方は…?」

「両親は二人とも病気で亡くなりました。他に親戚もいません」

「そう…それは本当に辛かったでしょうね…。ごめんなさい、蒸し返すようなことを訊いてしまって」

「いえ、大丈夫です。それに一人暮らしにもすっかり慣れましたし」

「…とても立派ね。もしかしたら、女神も…」

「女神も?」

「いいえ、何でもないわ。それより、もう少し休んだら泉に行ってみましょう」

 ジャンヌはそう言って言葉を濁した。ベルナデットは気になるもののそれ以上追求せず、一口薄い茶を飲んだ。


                 ■


 ベルナデットは、ジャンヌを引き連れて泉へと来た。特に水を汲みに来る人間もおらず、昨夜と同じく静けさに包まれている。ジャンヌはしゃがんで泉を見た。

「透き通った綺麗な水ね。それに、良い空気も感じる。怪我がすぐ治るのも納得ね」

 ジャンヌは感心したように言った。そして、振り返ってベルナデットを見る。

「そしてここで、セラディアーナ様に遭ったのね?」

「はい。…そこに現れて…」

 ベルナデットは女神が現れた場所を指さした。ジャンヌも指先を辿ったあとを見る。すると、ジャンヌが見たのを見計らったように、突然洞窟内が眩い光に満ち、ベルナデットもジャンヌも目を瞑る。光が収まり目を開けると、そこにはまた、淡い光を纏った少女――セラディアーナが立っていた。

「やっぱり、ここへ来たようね。ジャンヌ」

 セラディアーナはジャンヌを見つめ、ジャンヌはセラディアーナに対して恭しく膝をつき、頭を垂れる。

「お久しぶりです、セラディアーナ様」

 打って変わって畏まった口調のジャンヌはそう言った。ベルナデットは二人が顔見知りであることに戸惑うしかなかった。

「まさかあなた様に、再びお目見えするときが来るとは思いませんでした」

「…面を上げよ、ジャンヌ。そのままでは話し辛いでしょう?」

「はっ!」

 セラディアーナに促され、ジャンヌは顔を上げた。

「あなたは本当に昔から変わってないようね。損得勘定などなく、迷うこともなく弱き者に手を差し伸べる…それで人々に恨み妬みを買い、苦労したことも多かったでしょう? よくここまで生き延びたわね。前の持ち主とはそこが違う」

「私は心臓が鋼で出来ているので、今までなんとかやってこられました」

 ジャンヌがそう言って笑うと、そこでやっとセラディアーナも微笑んだ。

「肝が据わっているところも変わらないわね。…あなたも最近感じているんでしょう? 魔獣が増え、世の中が大きく乱れつつあることに」

「……はい。あのときと同じ雰囲気です。そして、あなた様が御顕現されたということは…」

「あなたも覚悟しているようね」

 セラディアーナの言葉に、ジャンヌは無言で首肯した。――一方でベルナデットは、ただ黙って二人のやり取りを聞いている他なく、洞窟の壁と一体になっていた。

「ベルナデット」

「はいっ!?」

 突然セラディアーナに名前を呼ばれたベルナデットは思わず、上擦った声で叫んでしまった。

「あなたはジャンヌの正体を知らないわね?」

「正体…? ええと、ジャンヌさんがあちこち旅をして回っている、というのは聞いていますけど、その他は特に何も…」

 ベルナデットがそう答えると、セラディアーナはジャンヌを見る。

「ジャンヌ、この娘にあなたの正体を明かしても良いわね?」

「それがあなた様の御心ならば」

 セラディアーナはジャンヌの意思を確認すると、もう一度ベルナデットを見る。

「あなたは“三十年戦争”というものを知っているかしら?」

「三十年戦争……何か聞いたことがあるような…。確か、英雄が当時の王女様だったような…」

 ベルナデットは“三十年戦争”という言葉に関する記憶を引っ張り出そうとするが、今話したもので精一杯であった。

「今からおよそ100年前、アルディア帝国とこのリュヴェレット王国を含む三ヶ国が同盟を組んで戦った出来事…それが三十年戦争よ。二度の休戦を挟んで戦争が終わるまでに三十年かかったことから、人間たちの間でそう呼ばれるようになったわ。そして、その戦争を終わらせたのが、私の神託を受け、聖剣“クラージュクレール”を授けられたリュヴェレット王国の王女…ジャンヌ・リュヴェレット・フィエルよ」

「……ジャンヌって…まさか…!」

 ベルナデットはそこで、今ここにいるジャンヌを見た。ジャンヌも立ち上がって、ベルナデットを真っ直ぐに見つめる。

「ちゃんと話せなくてごめんなさい。私はその三十年戦争と同じジャンヌ。ジャンヌ・リュヴェレット・フィエルと同一人物なの」

「え……」

 あまりにも想像の範囲を超えたジャンヌの言葉に、ベルナデットは驚きの声すら出なかった。

「まあ、そんな反応になるのも無理はないわね。だって、130年以上生きている人間がいるとは思わないもの」

 ジャンヌはベルナデットの胸中を代弁するかのように苦笑した。

「ベルナデット、にわかには信じられないと思うけど、彼女が英雄と呼ばれている“ジャンヌ”と同一人物であることは私が保証する。彼女が戦争終結時から歳を取らないまま生きているのは、クラージュクレールの力によるものよ」

 セラディアーナはジャンヌの言葉を補足した。ジャンヌは腰に佩いている剣を鞘から抜き、剣身をベルナデットに見せる。――柄は白、装飾は金細工で出来た白金の剣。とても美しい剣だ、とベルナデットは釘付けになってしまう。

「これがセラディアーナ様から賜った聖剣・クラージュクレールよ。この聖剣は瘴気や邪気を浄化し、聖剣に認められた持ち主は歳を取ることはなくなり、怪我もすぐに治る恩恵を得るの」

 ジャンヌの話の最後の部分に、ベルナデットははっとする。

「じゃあ、昨日の怪我がすぐに治ったのって…!」

「治りが早かったのは、この泉の水とあなたの手当のお陰もあるけれど、この聖剣の力でもあるわね」

 ジャンヌは微笑んだ。

「ジャンヌは聖剣が怪我を治してくれるのを良いことに、戦争のときはかなり無茶をしていたわ。だからこそ戦争は同盟側の勝利で終わったものの…無謀なところは結局ずっと変わらないまま、よく今日という今日まで生きてこられたわね」

 セラディアーナは呆れたように言い、ジャンヌは苦笑しか返せずそのまま聖剣を鞘に収めた。女神と気易く接する本物の英雄を前に、ベルナデットは混乱していた。

「…それで、ジャンヌ。あなたがここへわざわざ私に会いに来たのには、何か理由があるのでしょう?」

 セラディアーナがそう言い放った瞬間、ジャンヌの顔からは笑みが消え、真剣なものへと戻った。空気すらも少々張り詰めたものになる。

「やはりそれもお見通しでしたか。私があなた様に訊きたいことは、昨晩ここでベルナデットが受けた“神託”の詳しい内容です」

 ジャンヌの言葉に、セラディアーナも元の無表情に戻った。ジャンヌはさらに話を続ける。

「昨晩の神託で『運命が大きく動く』とベルナデットに仰ったそうですね。その神託は、具体的にどう起こるのでしょうか?」

「……あなたのことだから、そう訊いてくると思ったわ。でも、私は答えない。答えられない。もし私がここで詳しく話してしまったら、世界に干渉し過ぎて因果が歪んでしまうから。…また会えて嬉しかったわ、ジャンヌ」

 セラディアーナは一方的にそう告げると、光の粒となって一瞬で消えてしまった。張り詰めた空気はそこで緩む。

「本当に神々ってのは気まぐれね。でも、あの言葉は嘘じゃない。セラディアーナ様が仰る“運命が動くとき”まで、私たちは待つしかないようね」

 ジャンヌはそこでため息をついた。一方ベルナデットは、一連の流れが中々受け止めきれず、緊張の糸が切れてその場に座り込んでしまった。それを見たジャンヌはぎょっとする。

「大丈夫!?」

「あ…すみません、大丈夫です…その、気が抜けたというか…腰も…」

 ジャンヌの問いかけにベルナデットはなんとか答えた。

「まあ…普通はそうなるわよね…私の妹も初めてセラディアーナ様にお目にかかったときはそうなっていたし…」

 さりげなく当事者にしか知り得ないことを話しているが、ベルナデットには返す言葉が思い当たらず、まだ腰も抜けたままであった。

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