第2話 絡みつく

 初めてここにたどり着いたのは、もう幾年前のことだろうか。

 降りしきる雨粒からこの身を庇おうと、屋根が葺かれたばかりの社に入り込んだ。

 まだ神が住み着く前の建物は、新しい木材の匂いが立ち込めていて、居心地が良かった。

 雨宿りのつもりが一日、また一日と日を重ねてしまい、気がつけば年を重ねてしまっている。


 神の住まいになるべき場所であったせいか、そこに存在する力が、徐々に私の体に入り込んだ。

 私のことを駆除するはずの人間すら、自らの力では近づくことができなくなったのはいつからだろうか。


「あぁ。退屈だ」


 私の声を聞き付けたように、しゅるしゅると糸が伸びてゆく。

 しまった。私の退屈しのぎに、また誰かがつれてこられてしまう。

 私は、もう感情を動かしてはいけないというのに。

 私の欲求を叶えようと、糸は何かを捕えて戻る。その何かを見た途端に、私の意識を占領する本能。

 糸があるかぎり、私は自身の気すら自由にならない。




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「昨日は大変世話になった。ここらで私も出発させてもらうとしよう」


「大したお構いもできませんで。懲りずにまた立ち寄ってくださいませ」


 昨夜私が泊めてもらおうと思っていた家を見ながら、老婆は困ったように笑った。

 夜な夜な側に寄り付いてくる女たちから逃げるように、老婆の家に転がり込んだのだ。


「見境のない娘達で困りました」


「いえ。仕方のないことかもしれませんので」


 このように周りに何もない土地では、人の行き来も稀であろう。退屈な時間と体を持て余せば、欲を抑えきれなくなるのも理解する。

 ただ、私が相手をすることはない。


「ありがたいお言葉です。それではまた」


「ところで、この先の森の中にある社は、取り壊したりはしないのですか?」


「あそこには、近寄ってはなりませぬ」


「えぇ。それは聞いております。ですが、あのままでは朽ち果ててしまうだけ。それを放っておくのもいかがなものでしょうか」


「あれには、近寄ることができません。周りをびっしり蜘蛛の糸が埋め尽くしておりまして、焼き払おうとも次から次へと伸びてきて。何かよくないものが憑いておるんでしょうな。不気味に思って誰も近寄りません」


「そうでしたか」


 水に濡れて煌めいていた蜘蛛の糸を思い出す。

 物の怪の方が……とも思ったが、本当に憑いているとは。

 恐ろしや。人間も物の怪もどちらも本に恐ろしい。


 老婆と別れた村の入り口。そのまま真っ直ぐ元の街道へと進んで行く。

 急ぐ道ではないけれど、無駄に時間を使う旅でもあるまい。


 足を進めていけば、横目に見えるはあの社だ。

 ぞわぞわと背筋を這い回る気味悪さを感じながら、更に早く歩みを進める。

 走り出さないのは誰に対する意地であろうか。

 

 足早に通り過ぎてしまえば良かった。

 意地を張らずに走り抜けてしまえば良かった。

 それなのに、ふと何を思ったのか足が止まる。

 自らの意思ではない。

 それだけは間違いじゃない。


 足元に絡みつく蜘蛛の糸。

 蜘蛛の糸なんてものじゃない。

 まるで強固な紐の様。

 昨日、糸が煌めいた道。

 そこから伸びる糸。

 私の足へとまとわりついたそれに、そのまま引きずり込まれた。

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