第13話 大魔導師の弟子2 クソ爺


 オスカーが大魔導師ギデオンと共に故郷ラカリズ村を旅立ってから早一月が経過していた。

 ラカリズ村から一番近い距離にあったイバンの町。そこで数日を滞在した後、いくつかの町を経由し、今はブーブルの町にいる。

 だがこの町もまた、数日後にはたつこととなっていた。

 ブーブルの町を出て二人が向かう次なる目的地は、フェイチール伯爵領の領都フェイチールだ。


 そもそもこの旅の目的は、終わりなき開閉の旅と、もう一つ、オスカーは直接知らされているわけではなかったが……ラカリズ村からここまでの道のりの間でギデオンはそのつど銀色の傷を持つ者たちの情報を集めていた。


 その事から……開閉の旅と、銀色の傷を持つ者たちを追いかけることが大魔導師ギデオンの旅の目的なのだと、宿を離れ、町中へ情報収集に出かけているギデオンの無防備な荷物から魔導書を勝手に読み漁りながらオスカーはその読書の傍らに推測していた。

 ギデオンの目的の中に忘れてはいけない事があと一つ存在していた。

 オスカーに修行をつける日々だ。


 ラカリズ村を出たあの日、意識をなくしたオスカーが倒れ、その後、目覚めた時から厳しい修行の日々が続いていた。

 いきなり川の中に投げ込まれ、浮上しようとしたら頭頂を杖で叩き落され沈み込まされる。

 息もできない水中で死を幻視しながらオスカーは空へ必死に手を伸ばした。

 ラカリズからブーブルまでの道のりの間で、何度もこの体験を繰り返し行わされ、命の恩人であるギデオンに対し怒りの衝動が日に日に増していた。


 最初は恩人だからとギデオンに対して慣れないまでも丁寧な言葉を使おうと心掛けていたオスカーだったが、川に落とされるようになってからはそんな気持ちも消え失せていた。


 ――俺を川に落としやがる奴は例え恩人だろうが、どこの誰であろうがクソ野郎だ!


「おいクソ爺! いい加減にしやがれ! 俺を何度も川に落としやがって!」


 そんなこんなで最終的にはギデオンに対する態度もラカリズ村で暮らしていた頃、村の大人たちに行っていた態度へと即座に戻っていた。


「お前の属性は水属性……ならばお前は水の事をよく知らなければならぬ」


 理不尽な修行の時間。

 オスカーは憤怒を覚えながら、しかしギデオンの説明に納得感も覚えていた。


「数刻もの間、雨に打たれながら考えたことはあるか? あるいは水中に浸かった状態でお前は一体どれほど水というものを真剣に肌に感じ取ってみようとしたことがあった?」


 オスカーはギデオンから投げかけられた言葉に対してなにも言い返せなかったのだ。

 これまで当たり前のように水はオスカーにとって身近な場所にあった。

 だからこそ深く考えを巡らせたことはなかった。


「己が扱う力がなにものなのかを知り、常日頃から冷静でいられるよう精進を行え。それこそが悪開閉の世界で生き残る事にも通じていく」


 ――水の強さ、重たさ、ゆっくりと自分の体が……深い、水の底に引きずり込まれていく。……この先にあるのは死だ。……悪開閉の世界で見た死の気配にも似た、冷たい水の恐怖がここにはある。これが俺の魔導属性だって言いたいのかあの爺は?


 そうしてオスカーが水属性への理解を深めていく中、あっという間にブーブルの町を立つ前日となった。

 本日も、町近くの川底から風魔力でできた手によって引き上げられたオスカーは草原に仰向けでぶっ倒れた。

 濡れたオスカーの衣服をそよ風が撫でつけてゆく。

 ラカリズを発った時、着ていた汚れた衣服ではなくギデオンに与えられた青いローブ姿だ。

 まだ乾いていない緑髪がオスカーの新緑色の瞳に垂れかかる。


「なあ」


 とオスカーはそばに突っ立つギデオンに問いかけた


「……アンタ、修行だとか言って俺のこと殺す気じゃねえだろうな?」


「なぜそう考える?」 


「あれからもう一か月……その間アンタにやらされてるこの修行で何度も俺はくたばりそうになってる……」


「お前の中にある本能を呼び起こすための修行だ。泣き言は一言も耳に入れぬ」


「……本能?」


「古の時代に存在した巨大生物たちの魔力を現す言葉だ。巨大生物、その存在の名は耳にした事はあるか?」


 オスカーは眉間にしわを寄せた。


「当たり前だ。……俺が、小さな村出身の人間だからって馬鹿にしてんのか? 教会の教えにだって何度も出てくる話だろうが? アンタが前に話してた大魔法時代こそが、巨大生物信仰があった頃の話なんだろ? そんでもって遥か昔にこの星が誕生したころの話にも巨大生物の話は登場する。そん時、存在してた巨大生物のほとんどが魔王シニツロイヤに付き従って、女神シヒツノと敵対してたってな」


 ギデオンは頷いた。


「我々人間の持つ魔力の源にはその巨大生物たちの魔力がある」


「……本当かよ、それ?」


 信じられないといった感じでオスカーは大地に背を預け、青空を眺めた。

 この地域の気候はラカリズ村よりも大分暖かった。


「かつて、女神シヒツノと共に巨大生物たちとの間でいくさを起こした我々人類の祖は、討ち取った巨大生物たちの屍に喰らいついた。そうして血肉として人体に受け継がれることとなった強大な魔力の流れは脈々と時代を越え、現在においても私や、お前の体に引き継がれている」


 ギデオンは言った。


「人間が頭部に持つ魔力の生成器官・魔昇核ましょうかくに内包された巨大生物魔力の残り火のことを魔導世界では本能と呼び、この本能に触れる事こそが、この世に存在する多くの魔導師たちにとって、一つの目的地となっている」


 近くを流れる川の水音が耳に届いていた。


「お前であれば、水属性を持つ巨大生物が魔力の祖先だ。ゆえに私はお前を川底に落とし続けている。お前の中に眠る本能に語り掛けるためにな」


 勢いよくオスカーは起き上がった。


「……本能ねぇ。アンタはその本能ってやつに触れてんのか?」


「無論だ。大魔導師の領域に踏み入るためには、己の本能とは必ず向き合わねばならぬ」


「アンタの見立てでは後どれくらいの時間をかければ、俺は自分の本能に到達することができるんだ?」


「魔導師たちの大多数はその領域に辿り着くことができず、寿命を迎えていくものだ」


 オスカーはげんなりとした。


「ならもしかして……俺は死ぬまでアンタからずっと川ん中に飛び込み続けさせられる可能性があるってことかよ……? 言っとくがな! 俺は川に落とされんのが一番大嫌いなんだッ!」


「反復し水という力を体に理解させる事ができればそれでよいのだ。その後は別の修行に移れ。お前自身にその才があれば本能にはおのずと触れることが可能となるだろう」


「……そりゃあよかった。川に落とされてばっかじゃ強くなれてる気がまったくしねえってんだ」


 見下ろしてくるギデオンの瞳にオスカーは己の目線をぶつけ返す。


「だけどよ。この修行って開閉魔導にはなんか意味はあんのか? 開閉魔導の成長こそがアンタにとって、俺に求めることの本命のはずだよな?」


「開閉魔導師からしても本能に向き合うことは重要なことだ。お前が侵入する悪開閉の世界には悪魔力が満ちている。そうした悪魔力は、その他の魔力を抑えつける性質を持つが故、あの世界に滞在している間、開閉魔導師の持つ魔昇核はダメージを常に受け続けることになる。あの世界内で起こる開閉魔導師の死は魔昇核の崩壊が切っ掛けとなり引き起こされる結果だ」


 オスカーは口笛を鳴らした。


「なるほどな。本能へ近づけば魔昇核が強まってあの世界に対する耐性も強まるってわけだ」


「私の旅に同行する中でお前には世界各地に出現する悪開閉の門の除去を行ってもらう。日々魔導師としての実力を高め続け、それでも足りない場合はあの世界へ赴き実践の中で学み掴くがよい」


「また悪開閉の世界に、か」


 オスカーは立ち上がった。

 それから川の方へと歩み寄って行く。


 ――本能に向き合えば強くなれる。強くなればラナや親父を、あの世界から解放することに繋がっていく。悪い話じゃねえ。


「……そのためになら川ん中にだって俺は――」


 意を決してオスカーは水面へ向かって飛び込んだ。


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