第2話 囚われの王女

「王女殿下。足が疲れたでしょう。どうぞこちらへ、少し歩くと楽になります」

「ありがとう」


 帝国へ帰還する一行の中に、窓を覆われた、囚人護送馬車があった。

 その中にいるのは、聖女の国の王女、テッサ。


 この日は、長旅の疲れを考慮して、少し早めに野営することにした。

 グラントは湖畔に馬車を止め、野営地の設営の指示を出す。


 監視役の騎士が馬車のドアを開けると、身の回りの世話をする侍女が、テッサの手を取って、馬車から降りた。


 テッサはグラントが初めて会った時と同じ、灰色のドレス姿だった。


 テッサが自身を捕虜と理解していることは、グラントも知っていた。

 テッサには手枷も足枷も付けていないが、もし逃げ出すなら、侍女もろとも殺す、と言ってある。


(もっともこの大人しい王女が、何か問題を起こすとは、考えられないが)


 しかし、夕食時に、騒ぎが持ち上がった。

 急に騎士が叫び声を上げると、腹部を押さえて、地面に転がったのだ。

 騎士はテッサの監視をしている騎士で、彼の近くにはテッサと侍女が立っていた。


「!?」


 グラントはとっさに剣を抜いて現場に走った。


(まさか、あの王女が何かしたのか!?)


 叫び声を聞いて、兵士達も集まってくる。

 グラントは彼らを押しやって、倒れている騎士に駆け寄った。


「何事だ! どうしたと言うんだ!?」


 悲鳴を上げる侍女を、脇へ押しやる。


「……まさか、おまえが何かをしたのか!?」


 グラントは迷わず、テッサの喉元に剣を突きつけた。

 その間も騎士は倒れたまま、うめいている。


「閣下」


 テッサは剣を見ても、顔色ひとつ変えなかった。


「医師はいますか? 痛み止めが必要です。痛みのある箇所を下に、姿勢をうつ伏せにしてあげてください。痛みは数時間、続くかもしれません……落ち着いたら、水を飲ませてあげてください……少し楽になるかも」


「なぜ、おまえがそんなことを、知っている?」


 グラントは警戒を解かず、テッサに剣を突きつけたまま、問いただした。


「塔にいる時、わたくしが必要な時に医師が来てくれるとは、限りませんでした」


 テッサと目が合う。

 命を握られているのに。

 媚びる気持ちも、怒りも、恐れもない、ただまっすぐな瞳。


「閣下!! 何があったのですか!」


 騎士に連れられて、医師が走ってきた。

 医師は不審げに、王女に剣を突きつけているグラントを見る。

 グラントは剣を収めた。


「王女はテントへ連れて行け。外には出すな。医師は騎士の容体を確認しろ。毒物ではないか、判断して報告するように」


 そしてグラントは足早にその場を離れたのだった。


「王女殿下……!!」


 慌てふためいた侍女の声が、辺りに響いた。


***


「あれは騎士の腹の中で、小さな石が移動していたものと思われます」


 激しい腹痛を起こした騎士を診た医師は、最終的にそうグラントに報告した。


「毒薬は出なかったか」

「はい」


 グラントは考え込んだ。

 もとより、王女が何かをしたと本気で考えたわけではなかったが———。

 グラントは王女のテントに向かった。


「閣下」


 頭を垂れる騎士にうなづく。


「あれから王女はどうしていた? 王女と話したか?」

「は……」


 騎士は動揺した。


「お、お礼を申し上げました。同僚が腹痛で倒れた時に、あの方がすぐ適切な助言をくださり」


 グラントは沈黙した。


「……王女の様子は?」

「基本的に……静かにされています。許可なくお話になることも、動くこともされません。まるで囚人のように、じっと座って……し、失礼いたしました……っ!!」


 騎士は青ざめて、再び深々と頭を下げてしまった。

 宰相の采配を批判したと思ったのだろう。

 しかし、グラントは軽く頭を振った。


「よい。侍女は何か言っていたか?」

「は……その、王女殿下は何でもご自身でしようとされ、なかなかお手伝いさせていただけないと。また、あまりに静かでいらっしゃるので、心配だと……言っておりました」


 グラントは再び、沈黙した。


 帝国へ帰還する部隊の中で、何か不思議な空気が生まれつつあるのを、グラントは感じていた。

 しかしそれが何なのか、彼もまた、わかっていないのだった。


***


 翌朝、王女の監視をしている騎士がやって来て、王女が水場での沐浴を希望していると言ってきた。


 グラントは許可を出し、王女が侍女と二人の騎士を連れて、水辺へと降りていく姿を眺めた。


 まもなく出発となる。

 グラントが何気なく見ていると、顔と手足を清めた王女は、水辺にひざまづき、静かに目を閉じた。


(祈っている……のか?)


 グラントは灰色のドレスを身につけた王女を見つめた。

 太陽が姿を現し、王女の金茶色の長い髪を照らしていた。


 王女はただ、静かに祈っているだけだ。

 しかしなぜ、こんなに穏やかな気持ちになるのだろう。

 グラントは雷に打たれたように、その場に立ち尽くした。


 その時、王女の背後にいる侍女と騎士もまた、目を閉じているのを、グラントは見た。


「聖女のようだ」


 王女の姿を見ているのは、グラントだけではなかった。

 出発の準備をしていた兵達もまた作業の手を止め、祈る王女を見つめ、ある者は同じように目を閉じ、頭を垂れて祈っている。


 ある者はあろうことか、涙をぬぐっている。


(こんなことがあろうとは)


 グラントは衝撃を受け、王女の姿から目を離すことができなかった。


***


「そなたの母の骨を渡せば、命は助けてやる」


 帝都に着いた王女テッサは、皇帝の前に引き出され、膝をついていた。


「母の骨、でございますか?」


 皇帝の言葉に、テッサは衝撃を受けて、思わず顔を上げた。


「たしかに、母は伝統に従って、火葬にされたと父に聞いておりますが。わ、わたくしは母の骨は持っておりません……」


 皇帝はそんなテッサを黙って見ていたが、突然そばに控えていたグラントに命令をした。


「グラント、王女を捕えよ。牢で過ごせば、気持ちも変わるだろう」


 王女は再び皇帝の前にひれ伏した。

 そんな王女の姿を見て、なぜかグラントの心は動揺する。


 ———何とか、王女を助ける方法はないだろうか。


 思わず、らしくないことを考えたグラントだったが、しかし皇帝はそんなグラントの気持ちを察したのだろうか。


「グラント。王女の身体改めをするのだ。自分の目と手で確認しろ。他の人間に任せるな。王女のすべての所持品を引き渡すように」


 そう言って、皇帝は退出した。


***


 グラントとテッサは、テッサのために用意された貴人牢の中で、静かに向かい合って立っていた。


「手早く済ませる」


 グラントが言うと、テッサは無言でうなづいた。


 心配するな、と言いたかったグラントだが、テッサにとっては、何を言われても、この行為への気持ちを和らげることはできなかっただろう。


 牢にはきちんとしたドアが付いていて、中のプライバシーは守られている。

 ドアの外には、二人の騎士が立ち、テッサにと付けた侍女も、テッサを心配しながら待っているはずだった。


「じっとしているように」


 手早く済ませてやりたい、という気持ちからか、普段よりもさらに冷たい声が出てしまった。


 しかしテッサは静かに立ち、両手を広げながら、琥珀色の目を伏せ、かすかに唇を震わせていた。


 グラントはかすかな衣ずれの音をさせながら、手早くテッサのドレスを脱がした。


 心を鬼にして、コルセットもその下に着ているものも、すべて取り去る。

 衣類も含め、王女の持ち物はすべてまとめて、皇帝に提出しなければならない。


 グラントはテッサの全身に目を走らせ、彼女が身に付けているものはないか、確認した。


 右手の小指に、小さな指輪を見つけたので、外す。

 髪をかき上げると、小さな耳たぶに、耳飾りを付けているのに気がついた。

 慎重にそれも外して、浅いトレイに置く。


 テッサが身につけていたのは、たったそれだけだった。


(王女という身分なのに、なんと寂しいことだろう———)


 グラントは用意しておいた布を取り上げ、テッサの肩にかけた。


「終わりだ」

「は、はい」


 テッサは全身で、小刻みに震えていた。

 グラントはテッサから目を逸らすと、侍女を呼んだ。


「新しい着替えを持たせた。すぐに着替えるといい」


 そう言って、グラントが牢から出ようとした瞬間、どさり、と音がした。


「王女殿下!!」


 牢に駆け込んできた侍女が叫ぶ。

 グラントが振り返ると、力なく床の上に倒れたテッサの姿があった。

 気丈な王女でも、さすがに緊張の糸が切れたのだろう。


「王女!」


 グラントは無意識に駆け寄り、テッサの細い体を、抱き上げたのだった。


***


「王女殿下……王女殿下……」


 ぐずぐずと泣き続ける侍女に、グラントはため息をつく。


「いつまで泣いている。おまえが泣いてどうするのだ。王女殿下は立派な態度を崩さなかったというのに」


「うう……も、申し訳ございません……!」


 その時、ベッドの中で、テッサが目を開けた。


「ララ、泣かないでちょうだい。わたくしは大丈夫だから」

「王女殿下!!」


「……もうよい。おまえはいったん下がって、王女殿下にお茶でもお持ちしたらどうなのだ?」

「は、はいっ!! すぐに」


 侍女はバタバタと牢から駆けて行った。

 その様子を見て、テッサは柔らかく笑った。


「ララをお許しくださいませ。道中、とてもよくしてくれたのです」


 その、思わぬテッサの笑顔に、グラントは硬直した。


「……なぜ、笑えるのだ。このような目にあっているというのに?」


 このような目にあわせているのは、自分自身だった。

 八つ当たりに近いのだが、グラントはそう言わずにはいられなかった。


「閣下は、皇帝陛下にお仕えする身。陛下のご命令は果たさなければなりません。閣下はご自身のなすべきことをされているだけです」


 テッサはあくまで穏やかだった。


「わたくしも同じ。今できる、精一杯のことを、していたいのです。……わたくしに質問があるのでは? 遠慮せずに、お尋ねください」


 グラントは深く息を吸った。


「では、教えてほしい」


 グラントはトレイに並べた、指輪と耳飾りを指した。


「これらの由来を聞きたい」


「この耳飾りは、生まれた時に付けられたものです。指輪は、母のものだったと聞いています」


 グラントが見ると、指輪も耳飾りも、台は銀製で、宝石は金剛石ダイヤモンド。しかし、ごく小さな石なので、その価値は小さいと思われた。


「どうぞ皇帝陛下にお持ちください」


 テッサは言った。


「わたくしが持っているものは、すべて差し上げます」


「大切なものなのでは?」

「天国に持って行くことはできませんから」


 テッサはそう言って、静かに微笑んだ。

 その時、グラントは初めて、テッサから顔を背けた。


 グラントに初めて会った時から、テッサは捕虜として、人質として、その命をグラントに委ねていた。


 それはある意味、正しいのだ。

 彼女の国は、帝国に滅ぼされたのだから。

 しかし、なぜ、こんなに心がざわつくのだろう。


 この気持ちは何なのだ。

 怒りか、失望か。


 グラントは道中、騎士や兵士が、王女を聖女ではないか、とささやき始めたことを知っていた。

 穏やかで、気高い。

 滅私を貫き、民の幸せを祈るこの王女なら、きっと天国に行けるだろう。


 しかし、なぜ彼女が、天国へ行かなければならないのか?

 彼女が何を、したというのだ!


「陛下のおっしゃった、骨は見つからなかった。しかし、これらの宝飾品は預かり、陛下にご確認いただく」


 グラントはトレイを抱える。


「はい」


 グラントは、ベッドで静かに体を起こしている王女を見つめた。

 王女の琥珀色の瞳には、希望もない代わりに、恐れもなかった。

 まるで湖のような静けさをたたえて、グラントを見つめている。


 ———この少女の瞳に、希望を、いや、怒りでも構わない。

 年相応の感情の発露を見たいと思うのは、ぜいたくなのだろうか?


「私は地方に、アドラー公爵領を持っている。ここ数年、忙しくて領地に帰れたことはないのだが。すごくいいところだ。静かで、森と湖があって、そこに、あなたを———」


 テッサが驚きで目を見開いた。


(あぁ、私は、何を言っているんだ……!)

(しかし、皇帝陛下には、王女は死んだと言って、そして彼女を連れて行けたなら———)


 グラントはそっとテッサの手を取ろうとした。

 その時。

 

 ドアが激しく叩かれた。


「閣下! 皇帝陛下から、至急のお呼びです……! 急ぎ、王女殿下を連れて来るようにと———!!」

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