第2話
だだっ広い塀をぐるりと旋回し、スー・ロウは正門まで移動した。
正門には夜陰に紛れ、殺気を隠しているものの嗅ぎなれた血の臭いが漂っていた。
「―――ズーランか?」
「ご無沙汰しています、スー・ロウ」
闇から抜け出てきたように、小さなサングラスを掛け、背中まで黒髪をたなびかせた男が現れた。ズーランはスー・ロウの前まで来ると、すっと頭を下げた。
「僭越ながら、今夜は私を共にしてくださいませ」
「他の人材は寄こさなかったのか?」
スー・ロウはため息交じりにそう言うと、ズーランはかっと目を開き、その場に崩れた。
「ああ、愛しきスー・ロウに拒まれても、蔑みの目を向けられても、貴方と共に使命を全うできるだけで至上の幸福―――」
「あああもう分かったから。あまり喧しくすると支障が出るだろ」
えっくえっく
会話の音量が思いの外大きかったのか、背中のレイレイが少しぐずり始めた。
「あ、やばい。レイレイが本格的にぐずりだす前にやるぞ」
「その赤子は、まさか、スー・ロウの御子……!?」
「ちげぇよ。会長から聞いてねぇか?組織を抜ける元になった原因」
ズーランは小さく頷いた。
「それなりな制裁は覚悟していたけどな。こうして、また組織の恩恵を受けながら仕事をさせてもらえてるのは、感謝しかねぇよ」
スー・ロウはカチャと銃を構えた。ズーランは腰元からすらっとサーベルを取り出した。
「さっさと済まそうか」
事前に西街に情報が漏れていたのか、邸宅には数十人規模の殺し屋部隊がすでに配置されていた。これを想定し、会長はサーベルの使い手にして組織ナンバー2の強さを持つズーランを寄こしたのだろう。
ただ、スー・ロウへの尊敬の念が度を越していて、扱いに困るのが玉に瑕だ。
ズーランがサーベルで敵を薙ぎ払い道を作る、その隙にスー・ロウが後方から銃で攻めていくという流れだ。
ズーランは長い髪を馬油で念入りにトリートメントをしていることから、髪が傷ついたり汚れたりすると手に負えなくなる。ならば、結べばいいのにとも思うが、そこは本人の譲れない美徳があるらしい。
相手の人数が把握しきれない。姿の見えない二階からも銃弾が降り注いでくる。ジエンに用意してもらった防弾防刃のコートは頑丈だが重さがあり、いつものように俊敏に動けないのがデメリットだ。だが、スー・ロウの背中に雨のように降り注ぐ弾丸はレイレイに当たってはいないようだ。
レイレイ本人は、そのカンコンと音が鳴るのが楽しいのか、こんな危なげな状況の中きゃっきゃと声を上げている。
「機嫌が良いようなら、ありがてぇけどよ―――!」
20代の若い頃と違って、やはり動きにキレはなくなってきている。それに、睡眠不足も相まって、視界がぐらぐらと揺れている。
仕事も、急な訪問者も多すぎるのだ。
「これが終わったら、がっつり寝かせてもらうからな」
標的に銃口を向けた途端、肩に焼けるような痛みが走った。
弾が飛んできた方向を見やると、二階に赤い髪の少年が銃口を向けてこちらを睨みつけている。
スー・ロウはレイレイが無事でいることを確認すると、そのまま二階へ向けて銃を撃った。
赤い髪の少年は軽快に弾を避けると、そのまま一階へとジャンプした。
「スー・ロウ!大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫だ。肩をちょっとやられただけだ、問題ない」
ズーランは戸惑いながらもそのまま頷き、仕事を続行した。スー・ロウは怪我をした時のために両利きでも撃てるように訓練している。
そのため、逆の左で銃を構えた。
一階から降りてきた少年は、銃を仕舞い、峨嵋刺(がびし)を向けながらゆっくりとこちらに向かってくる。
「―――久しぶりだな、ユンファ。腕、上げたじゃねぇか。気配に気づけなかった」
「耄碌したな、スー・ロウ。こんなの、昔のあんただったら避けられたはずだ」
そこにはかつて自分の子供のように育て上げたユンファが立っていた。
今から10年ほど前、珍しく雪がちらついた凍えそうに寒い夜。
その時は西街と特に関係性が悪化しており、毎日のようにあらゆるところで抗争が起こっていた。
その日は西街の小さな村の鎮圧で、何でそんなところとは思っていたが、会長の意図はあまり考えず無心で言われた仕事をこなすだけだった。
スー・ロウは前の仕事の片づけで現場に駆け付けたのが遅くなり、現場に着いた時にはあちこちに死体が転がっていたり、家が燃やされていたりしていた。
仕事とはいえ、何度見ても胸糞が悪い光景だ。
だけど、小さい頃に会長に拾ってもらい、育て上げてもらった恩に報いるよう全うしなければならない。感傷的になることは、一番仕事をする上で足枷になるものだ。
微々たるその感情を打ち払うように、スー・ロウは銃を片手に村の中を疾走した。
ある家の中に入ると、すでに男性と女性、その隣に小さな女の子がすでに死体となり転がっていた。
だが、こういう時にスー・ロウの長年の勘は冴えている。
台所の脇に置かれた大きな水瓶、かつてスー・ロウも息を殺して隠れていた場所。そこから微かな息遣いが感じられた。
このまま、見過ごしてもいい。その方が、スー・ロウのように生き延びるだろう。
だけど、それは自分のような人間がもう一人生まれるということだ。
それは、隠れている人間の将来のためにはならないのではないか。一人で荒野を生き延びるのは辛く厳しい。はっきり言って地獄を見る。そんな人生を、歩ませていいのだろうか。
そんな逡巡が生まれた一瞬、水瓶から勢いよく赤いものが飛び出した。
スー・ロウは懐から峨嵋刺を取り出し、繰り出されたナイフを受け止めた。赤いものは少年の髪色で、荒い息を吐きながらスー・ロウを睨みつけている。
咄嗟に、反撃してくる少年の芯の強さに感服した。5歳から6歳くらいだろうか、台所にあったらしい刃の細い包丁で切りかかってきたようだ。
この歳で、この屈することない強さ。
「―――おまえらみんな、殺してやる!」
「いいね、殺しに来い、相手してやる」
少年は粗いものの、臆することなくスー・ロウに立ち向かってくる。太刀打ちできるものでもないが、その執念にスー・ロウは思うところがあった。
「なあ、おまえ、名前は何ていう?」
「殺人者のおまえに言うことなんてない!」
「俺が、おまえを立派な殺し屋に育ててやるよ。俺のところに来い」
スー・ロウの提案に、少年は一瞬怯んだものの返事をすることなく更に立ち向かってきた。腕が痺れてきたのか段々と振るう速度が落ちてきた。いつしか、少年は膝をつき、無言でスー・ロウを睨み上げた。
「―――早く、殺せ!」
悔しそうに唇を噛みしめている。口の端に血が滲んでいることを厭わない少年に、ますますスー・ロウはある欲望が湧き上がってきた。
「気に入った、絶対おまえは俺を超える存在になる。だから、殺さねぇよ」
スー・ロウは少年に当て身をし、気絶させると肩に担いで現場を後にした。
目が覚めた少年は見覚えのない場所とスー・ロウにしばらく暴れたが、カップ麺を食べさせると目を丸くし黙り込んで食べていた。
少年は小さな声でユンファと名乗った。
スー・ロウはユンファと暮らす中でいつ寝首をかかれても仕方ないと思いながら過ごしていた。ただ、それは自分の技術をユンファに伝えきってからにして欲しいと思っていた。一人前になれば、会長がユンファを一殺し屋として重宝してくれる。
自分がいなくなっても、一人で生きていける。
そんなスー・ロウの心配することもなく、ユンファは黙って技術を磨いた。そして、いつしかスー・ロウを超えるほどの暗器使いになった。
そして、10年が経った頃、ユンファはスー・ロウにも何も告げずに組織を抜け、自分の生まれ育った西街についた。
ユンファと対峙しながら肩の傷はうずいていた。
レイレイをおぶっているのもあるが、肩に重みが加わると気が遠くなりそうだった。
「―――また、俺のように西の子供を拾って、殺し屋に育て上げるのか」
どこか悔しそうに呟くユンファに、一瞬、スー・ロウの集中が切れた。
その時、左の脇腹にも痛みが走った。
一気に熱が帯びて、激痛が走る。だけど、倒れてはいられない。
ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには愉悦を交えた表情のズーランが立っていた。
「……ズーラン、おまえ」
「申し訳ありません、スー・ロウ。これも会長の命なのです。ああ、でも、スー・ロウをこの手で殺すことが出来るなんて、至上の幸福……!」
恍惚な表情を浮かべ、ズーランはサーベルを抜き取ると、そのまま再度貫こうと構えた。
「―――スー・ロウ!」
ユンファがスー・ロウの脇を通り抜け、ズーランに切りかかった。
「その子を連れて、早くここを出ろ!」
「―――ユンファ」
「スー・ロウ、約束しろ。その子を、俺みたいな人間に育て上げないことを!」
「あなた、スー・ロウが育てたという御子ですね……ああ、羨ましい。私も、スー・ロウと共に過ごしたかったのに、その権利を独り占めするなんて。ああ、憎らしい憎らしい。あなたを先に殺しましょう!」
ユンファとズーランが激しい剣戟を繰り広げる中、スー・ロウは朦朧とした意識の中、足を引きずりながら出口へと向かった。
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