2.It never rains but it pours
2-1.
ヴェントーラ一味が運営している、違法マッサージ店の上のフロア、その片隅にある一室。
今日もまた、
アニエロが昨日と同じように、ソファに酒臭い体を横たえて、イビキをかいていた。
そこへ、インターフォンが鳴る。
アニエロの青い瞳がゆっくり瞬く間にも、インターフォンが何回も鳴らされる。
――昨日と、まるで同じだ。
アニエロは嫌な予感を胸に、ソファから起き上がる。テーブルに置いた
ドアスコープを覗くと、黒い瞳がこちらを見ていた。昨日と同じだ。
背中に嫌な汗が伝ってくるのを感じながら、アニエロは唾を飲み込む。
ドアのロックを開錠し、少しだけ開ける。
「
昨日と同じように、開いたドアの隙間からニヤッと笑って現れた女。
女の姿を見たアニエロの表情が、みるみる青ざめた。
「もぉぉやだ、なんでいっつもこの時間に来るの?」
泣きそうな顔で、ドアにしなだれかかっていた。何もそこまで狼狽えなくてもいいだろうに、とみちるが思うほどに。
「夜は、お前の本業が忙しいだろうが」
みちるの背後にいた
「昨日今日と連続で会いたくなかった! 心臓に悪いんだよ、あんたら!」
アニエロは本心を取り繕いもしなかった。
「私たちもそうだったんだけど、ちょっと問題が起きて」
みちるはドアのそばで泣き言を言っているアニエロを横目に、勝手知ったる様子でソファに座る。梟もそれに続いた。
「問題が起きた、って、何があったんだ?」
そう尋ねたアニエロは、二人を警戒しながらも、向き合うようにソファに座る。
「知り合いが突然、行方不明になったんだ。それについて調べたい」
胸ポケットから煙草を出した梟は、喋りながら煙草に火を点けた。
梟の口から行方不明という言葉が出たタイミングで、アニエロが困惑した顔で眉を下げる。
それを、みちると梟は見逃さなかった。
「何か思い当たる?」
みちるは、前のめりになって、目の前にいるアニエロを上目遣いで見た。
「思い当たるっていうか……まぁ、『殿下』がらみかなーなんて……」
見透かすような黒い眼に見つめられたアニエロは、目を泳がせる。
「その話、もうちょっと詳しく聞かせて」
みちるの黒い眼は、アニエロが目を逸らすのを許さない。アニエロは、みちるに
「……俺も、そこまでよく知らないけど、噂は……聞くよ」
瞬きをゆっくり繰り返しながら、アニエロは言いづらそうにしている。
「どんな噂?」
みちるは瞬きもせず、食い入るようにアニエロを見つめている。
アニエロはその瞳から逃れたい、と思ったが、視線を外せなかった。
「まず……この街の外れに、廃墟が建ち並ぶエリアがある」
アニエロは右手で窓の方を指す。そこから見えるのは、都心部のビル群の隙間からわずかに見える、廃墟と化した建物だった。
「知っている。行方不明になったのは、その辺りに住んでいる人間だ」
梟は煙を吐いてから、そう言う。そして、アニエロが指差した方向に顔を向ける。
「あー……そこは、いわゆる廃墟団地って呼ばれる、スラム街なんだよ。廃墟になった団地に、移民とかが勝手に住み着いて、コミュニティを作ってる」
行方不明になった人間が、廃墟団地周辺で暮らしていると聞いたアニエロは、半分呻き声のような声を漏らして、言葉を続けた。
「相当数の人間があそこで暮らしてるが、そいつらのことを、この国は面倒見る気がない」
廃墟と化した建物をそのままにしている時点で、行政は管理を放棄している側面がある。
「要するに、『殿下』はスラム街の住民の生活を支えてやる代わりに、裏の仕事もさせて、使い倒しているのか」
「まぁ……そういう、噂だよ」
梟が事実を確認するように問いかける。しかしアニエロは、今した『殿下』の話は、あくまで「噂」だと強調した。
「だから……あそこの住民が時々いなくなるっていうのも、そんなに珍しい話じゃない、とは思うよな」
アニエロは、窓を指した手を下げ、膝の上で握り締めた。
「『殿下』に頼まれた裏の仕事をして、そのまま帰ってこれなかっただけだろうから」
帰ってこれない、つまり死だ。
「消えた本人がそれを望んでやったかどうかは、わからないけどね」
みちるは、一瞬だけ敵意のこもった眼差しをアニエロへ向ける。
「やりたくてやってるヤツなんか、そう多くないだろうよ」
みちるから向けられた敵意に対し、アニエロは溜め息をついて、言葉を返した。
「……うちの店にいる、廃墟団地出身の女たちは、『殿下』のところから、命からがら逃げ出したヤツらばかりだ。……だから『殿下』は、俺を嫌ってる」
話しているうちに、アニエロが『殿下』に出禁を食らっている理由が、見えてくる。
逃げ出さなければ抜け出せない。それも命からがら逃げ出せた者だけ、という言葉に深刻さが滲み出ていた。
「お前はそれで、女たちを救ったつもりになっているのか」
そう言って、梟は口元だけを笑う形に歪めた。アニエロへ、冷ややかな眼が向けられている。
「俺は、自分を善人だとは思ってない。俺だって、どうせ女を食い物にしてるのは変わらないんだから」
とどのつまり、『殿下』もアニエロも、やっている仕事は大して変わらない。
「それでも、まぁ、『殿下』のやり方は少々目に余るから、多少はいいことしたとは思ってるさ」
それでもアニエロが胸を張れるのは、『殿下』よりは、女たちへは人道的な扱いをしているという自負だった。
「それを、ボス・ヴェントーラには?」
梟が尋ねる。その鋭い視線は、アニエロを試すようだ。
もともと『殿下』の店にいた女たちを引き抜く形になるわけだから、下っ端のアニエロが独断でやっていいレベルの話ではないはずだ。
「言ってあるよ。ボスはファミリーには甘いから、俺のやっていることを許してもらえた。お前は若くて甘ちゃんだからな、って鼻で笑われたけど」
アニエロは肩を竦め、皮肉めいた笑みを浮かべる。
アニエロは、まだ二十代半ばくらいの青年だ。ボスの立場から見れば、まだまだ青くて、現実の過酷さを知らない子供みたいに見えているのだろう。
「で、あんたらは俺に何をしてほしいんだ?」
アニエロの青い眼が、みちるの黒い眼を睨むように見る。みちるは薄く微笑んだ。目を細めて黒目を隠す仕草が、アニエロの視線を強制的に弾き返した。
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