第10話
郷の――聖の母親に言われたことが、微妙に引っかかっていたのだった。
聖が、えっそんなことないよ分かんないけど、みたいに答えてくれるのを期待していたんだけど。
「見える。結構露骨だよ、赤坂さん。だから私も思い切ったことができたんだけど。……あれ、どうしたの、膝ついて。汚れるよ、床濡れてるから」
「いや、いい。なんでもない。あそう、そうかい。ふーん。あれか、つまりこう、もの欲しそうみたいな顔してたわけだ、あたし」
さすがにそんなことはないよ、と言ってくれるはずだと踏んだのに。
「そう、……そうだね。もの欲しそう。ぎらついてるっていうか、そんな感じ。……どうしたの、両手を床について。汚れるよ、床濡れてるから」
「いやなんでもない全然ショックなんか受けてない。でもあれなのお前、相手がキスして欲しそうに見えたら、してやるわけ」
「……だって、私もしたかったから」
「ほう。なんで」
「両片想いだったわけでしょ、私たち」
「……聖」
月の光が強い夜だった。
おかげで、空からは太陽の光が完全に消えたのに、聖の顔がよく見える。
「なに」
「好きだ」
「私もだよ、赤坂さん」
聖が私の前でかがみ、顔を覗き込んできた。
そのかわいらしさのせいで、あたしは急激に限界に達した。
セミロングの黒髪の頭をできるだけ優しくつかんで引き寄せる。
聖も、あたしのライトブラウンの髪に手を添えてきた。
今度は、さっきよりも、ずっと自分たちのままのキスをした。
途中で郷が唇を開いた。ほとんど同時にあたしもそうした。
キスが深くなっていくと、床が冷たいとかここ外なんですけどとか、そんなくそ邪魔要素はこの世から消滅して、あたしたちは本当に二人っきりになった。
やばい。二人っきりってやばい。自分たちだけの居場所で、自分の欲望を出すってやばい。
気がついた時には押し倒されてた。
顔と顔がくっついてるから見えないけど、聖は体をあたしの足の間に入れてる。待て待て待てこの野郎。
「待って聖、やばいって。ていうかお前凄いな」
「……赤坂さんこそ、こういうので引くとは思わなかった」
荒い息をつく聖が目の前十センチのところにいる。
人は見かけによらない。そんなことは分かってる。
自分だって見かけによらない。あたしにだってあたしは分からない。
「あたしは、たぶん、……帰る場所が用意された上で、自由になりたいんだ。欲しいものをそのくらいにしか想像してない。だから、いざ生身が近づいてくるとびびるのかな」
「人を生身呼ばわり」
「生身じゃんか」
「そうですとも。……少なくとも、こんなことができるくらいには、赤坂さんには自由はあるよ。足りないかな。……両片想いの相手と、キ……せ……く……キス、できるくらいじゃ」
「キスと接吻と口づけで迷って結局キスに戻るんじゃねえよ」
「なんで分かるの」
「両片想いに照れたのも分かる」
「どうして」
「あたしがそうだから」
もう一度キスした。今度は唇だけで。
「聖、……一応聞いておきたいんだけど、あたしなんかのどこがいいわけ?」
「……あんなふうに助けておいて、好きになるななんて冷た過ぎる」
お前こそ、あんなに気高く迫害に耐えておいて、助けるなっていうほうが無理があるんだよ。
下のほうで音がした。施錠されてるらしい。あんまりここにいると、出られなくなるかもしれないな。
聖もうなずいて言う。
「内側から一階の窓の鍵でも外せばどこからでも出られるだろうけど、それだとどこでどう妙な騒ぎになるか分からないから、できれば穏便に帰りたいね」
来た時と同じ、足音を忍ばせて通用口に向かう。
ありがたいことに、最後の先生が帰る前だったらしくて、まだドアは開いてた。
校舎を出て、裏門をくぐり、さっき降りた駅へ向かう。
あたしたちの体は今や、濡れているだけじゃなくて砂もついていた。特にあたしの背中に。
これ下手したら補導されないかな。ぱんぱんとはたく聖の手が汚れて、悪いなと思う。
「私、お母さんに謝らせるからね」
「無理すんなって」
「でも、それは絶対に必要だよ。最低限、赤坂さんが手に入れないといけないものだよ」
「……どうも」
それからは、結構淡々と時間が進んだ。
あたしたちは、それぞれの家に帰った。
あたしは母親が帰ってくる前に寝た。
聖は、しらふの母親と話ができたらしかった。そしてやっぱり日焼けのせいで、夜中に熱が出たってのも聞いた。
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