第21話 狐狩り

 根元を一刀で断ち切られた大木が、音を立てて軋みながら地に倒れた。地響きと砂埃が舞い、驚いた鳥の群れが飛び立っていく。あの場にいたら私の首も同じ末路を辿っていただろう。

 血振りの様に刀を軽く振る音がして、狐の異能により研ぎ澄まされた聴覚が奴の言葉を捕らえる。

「狐憑きか……面倒だな」

 砂埃の煙幕に乗じて印を切った。奴の背後から、氷で作られたクナイが複数飛ぶ。刀を振るい小気味よい音を立てて氷刃を叩き落とす相手は、物陰に身を潜めているにも関わらず間違いなくこちらを視認している。

まともに相手をするのは危険だと、私の中に宿る狐が警鐘を鳴らした。

「お前らの得意分野は幻術だから、正面切って戦いたくないんだろ? 森の奥に逃げ込めばいいと考えたんだろうが——」

 奴の周りで作り出された水流が渦巻くように宙を舞う。急いで木陰から飛び出した。奴が刀を振るうと水流の斬撃が飛ぶのだ。

「——俺から逃げ切れると、本気で思ってるのか?」

 なるべく遮蔽物を背にして幹を蹴り、木から木へとジグザグに飛び移る。両断された太い木の枝が頭上に落ちてくるのを避けるため身を捻って飛び降り、地に足を付けた時だ。

「鼻が利く奴め……」

 足元が沼の様に一瞬でぬかるみ、一瞬体制を崩す。そこから水流が噴き出す前に、即座に地を凍らせて飛び上がり樹上を駆けた。どうやら座標軸の術だ。詠唱の代わりに視線を照準のように合わせ、狙った箇所に発動する類だろう。詠唱と違い前動作がなく厄介だが、狐の反応速度があれば捕まらない。

 逃げに徹しようかと考えていたが、このままではいい様に誘導されて体力を消耗し、いずれ追い込まれるだけだ。余力のあるうちに一度立ち向かうしかないだろう。

 斬撃を躱し飛び移る樹の幹に掌で触れて、結界の杭を仕込んでいく。森の奥に向かうにつれて、霧が深くなってきた。好都合だ。誘い込んだ先で迎え撃つ。逃げるふりをしながら五カ所に仕込んだ杭が完成した。樹上に潜んで短刀の鯉口を切り、刃を掌で撫でるようにして、氷の刀身を作り出す。結界の中心で、狙い通り奴が歩みを止めた。その背から、奇襲をかけようと飛び出した時だ。

 狙いを定め翳した左手が、波に呑まれた。

「——っ、なんだ⁉」

 浮遊感に襲われ、手足がばたつく。——海の中?

 息ができない。咳き込んでしまった口から泡が吐き出される。水面などは見えず、周りは深海のように暗い。身体は状況に応じて苦痛を返すのに、脳は何が起こっているのかわからず理解ができない。冷たい。苦しい。これが実際の光景であるはずがないのに、このままでは溺れて死んでしまう。

 必死に藻掻くも体はいう事を聞かず、深淵の中で意識を失う寸前、翡翠の目が光る悍ましい魔物を見た。


「急いでくれとは言ったが——っ」

「はは速すぎますよこの魔物いったいどうなって——ひええっ⁉」

「魔力の気配が近くなっています、もう少しですよ!」

 あの後、バレットにお前の主人の元に連れて行って欲しいと全員で頼み込むと、なんとか理解してくれたのか馬形態に変身した。アルジャーノンは後ろに、ホーリーは聖獣形態のまま空を飛び森の奥を駆けてみたのだが——とにかく速い。速すぎる。明らかに一般の馬が出せる速度ではない。足場も悪い森の中のはずなのに、まるで弾丸のようなとんでもない速度で地を駆け、景色が吹き飛んでいく。いったいなんだこれは。

「便利って、こういう、意味だったのかっ?」

「王子、なるべく姿勢を低くしてくださいね! こんな速度で頭や首に枝が当たろうものなら——」

「恐ろしい事を言わないでください——あっ、いましたよ!」

 わいわい三人で騒ぎながら全力で走る先に見たのは、意識を喪失しているのか仰向けに力なく転がった狐の面頬をした女性と、その首に刀を向け、振り被った姿勢で驚いたようにこちらを見たディランの姿だった。

「は? お前らなんでここに——」

「うわぁ——⁉ 止めろ————!」

「お待ちください! ステイですよ!」

「さっ、殺人はいけません!」

 飛び込むどころか最早突進に近く、慌ててディランが進路から避ける。

 勢いを殺すどころか全然止まれずに、バレットが尻を落とすようにして地を削りブレーキをかけたので体制が崩れ、二人揃って悲鳴を上げながら地面に落馬した。宙に浮かんでいるので平気なホーリーが心配そうにのぞき込んでくる。

「い、痛い……」

「王子⁉ お怪我はありませんか⁉」

「大変! 治療します!」

 淡い光に包まれながら額を抑える。幸い大した怪我ではなかったからいいが、とんでもない体験をした。もう一度やれと言われたら流石に躊躇する。くらくらする頭で必死に振り返り、予想外の事態に流石に困惑しているディランに叫んだ。

「その人を殺すな!」

「殺すなって……何馬鹿な事言ってんだ。お前の命を狙ってるんだぞ」

 当然の指摘である。ディランは呆れたように返事をしたが、切っ先は刺客に向けたままだ。

「何か、話を聞けるかもしれない」

「どうせ組織の末端だろう。仕事も雑だし、こういう奴は大した情報持ってねぇよ」

「だからって命を奪ってはいけない」

「お前なぁ……」

 ピクリと刺客の指先が動いた。すぐさまその喉に刀を突き付け、ディランが脅す。

「動くな」

「……」

「待つんだ、そのままでは話すのも話せないだろう、刃をどけてやってくれ」

 信じられないものを見る目でディランがこちらを見てきたが、いいからと諭す。ずぶ濡れで、息も絶え絶えな様子の刺客に声をかけた。

「大丈夫か? すまないが、あなたに聞きたい事があるんだ」

「……なんだ貴様、同情か? 舐めた真似をっ」

「お人よしも大概にした方がいいんじゃないかと思うがな」

「王子危険です、あまり近づいてはいけません!」

 ぐいぐいとアルジャーノンが刺客との間に割り込んで守るように眼前に立つ。ホーリーが、警戒するように隣に浮かんだ。

「この仕事を、依頼してきた人物が誰か知っているか」

「何かと思えば……知らない。知っていたとしても、言うわけがなかろう」

「お前からは大物の気配がしない。いったい、裏でどれぐらいこの依頼があるんだ?」

 ディランが問うと、彼女はフンと鼻で笑った。

「ここら一帯全てだ。なんなら国中に回っているんじゃないか? 自国の王子だというのに、暗殺依頼に躍起とは笑わせる。私は任務に失敗して追われる身となるし、どうせ次の刺客がやって来るだろう。さっさと殺せ」

「では、このような刺客が次から次へと……⁉」

「そんな……」

 アルジャーノンとホーリーが息を呑む。言葉通り刀を振ろうとしたディランを再び制止して、私は声を上げた。

「では、貴方は今後組織から追放されると?」

「そうだ。だからもう——」

「ならば、一緒に来てくれないか」

 言うと思った、とディランが頭を抱えた。驚いた顔の彼女が完全に思考停止し、アルジャーノンが刺客まで仲間にするのですか⁉と悲鳴を上げる。

「何をふざけた事を」

「私は事情があって旅を続けなければならないんだ。仲間は多い方がいい。貴方こそ、何もここで命を捨てる必要はないんだ。行く宛が無いと言うなら、何かの縁だと思って共に来てくれ」

「……馬鹿にするな!」

 振り抜かれた短刀は、アルジャーノン諸共ディランに軽く突き飛ばされたおかげで当たる事はなかった。二人揃って尻餅をつく。

「どうせ次の刺客が来るんだ。お前がそんな甘い考えで生き残れるとは到底思えない。——これは借りとして受け取っておく」

「あっ」

「行ってしまいましたね……」

 呪詛のように言葉を吐いて、彼女の姿は瞬く間に森の奥へ消えてしまった。

 あーあ、逃がしちまったと消えた方向を眺めながらディランがぼやく。

「本気だったのか?」

「そうだ。依頼主については聞き出せなかったが……大方私の兄だろうと踏んでいる。ならば、刺客は止む事はないだろう。彼が諦めると思えない」

 その言葉を聞いて、ディランは驚いたように目を見張った。反対に、アルジャーノンは苦しそうに視線を逸らしている。

「城内は、王位継承で争っておりまして」

「そうか……巫女騒動だけじゃなく王子の件も」

「兄は、私が王となる事が気に食わないらしい」

「ああ、そういう事か。悪いが、王族家系図や内情についてはあまり詳しくないんだ。基本は社で勤務してたしな」

 鼻を鳴らし、傍に寄って来たバレットの首を軽く撫でてから、ディランは館に戻ろうと言った。

「襲撃の後に呑気な話だが、どのみち街で必要物資を揃えなきゃならない。俺は魔法で転移するから、お前らはバレットに乗せてもらえ」

「え」

 待ってくれ、と言い終わる前に彼の足元から水が噴き出し、姿が消えてしまう。

 上機嫌に首を振りながら前足を掻いて乗れと示すバレットに、アルジャーノンと青ざめた顔を見合わせた。

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