第7話 だって軽そうじゃん

『今日は飲みに来ます?』

『行く』

『先週会えなかったから嬉しいですー!』


 明るい気持ちを乗せて送ったメッセージに“既読”の文字が浮かんで、私のテンションは地に落ちた。

 

 せっかく連絡先を交換したのに、美鈴さんはいつもこんな調子だ。


 お酒を飲んでいる時はもう少し会話が弾むのに、メッセージのやり取りだと全く会話が盛り上がらない。

 

 彼女にとって私はただの飲み友でそれ以上でもそれ以下でもない。このくらいの温度感が当たり前なのかもしれない。


 しかし、最近はそれにハグというオプションも追加され、わけのわからない距離感になっているのも事実だった。


 連絡先を交換してくれたのだって交換したいからしてくれたわけではない。この前みたいに私が迷惑な行動を取らないように嫌々交換してくれただけだ。


 そう考えると、気管に何か詰まったみたいに呼吸が苦しくなる。


 ある程度は好かれたいと思っているお姉さんとの距離が全然縮まらない。

 

 というか、私はなんでこんなことにこんなに必死になっているのだろう……。

 

 人には期待しない。

 自分にも期待しない。

 人との距離を詰め過ぎない。


 これは自分が傷つかないために必要なことで、今後も守っていくべき意識だろう。


 ペチペチと両頬を叩いて、残りの仕事に手をつけた。


 ※※※

 

 居酒屋までの道の途中にあるアーケードを抜けると、街はクリスマスモードになっていて、季節の流れの早さを感じる。


 クリスマスなんて、しばらく誰とも過ごしていない。


 大学生の頃の友達はみんな他県に行ってしまったので近くにはいない。唯一、職場が一緒の和奏は恋人と過ごすだろうと思って、クリスマスに遊ぼうと声をかけたことはなかった。

 

 今年はきっと一緒に暮らしている従姉妹の紗夜ちゃんと過ごすのだろう。


 社会人になって四年目。


 入社して一、二年くらいは一人暮らしの生活を安定させることで精一杯になって、クリスマスなんて知らない間に過ぎていたが、まさか、四年目になって寂しいと思い始めるなんて思いもしなかった。


 風の冷たさがズキズキと顔の皮膚に刺さってくる。その寒さから逃れるようにマフラーに顔を埋めた。


 居酒屋に到着すると、美鈴さんはすでに席に座っていて、お酒を口に運んでいる。


「美鈴さん、こんばんは。仕事終わるの早いですね」

「忙しい時期終わったからね。心春は珍しく遅いじゃん」

「私はこれから繁忙期なので」


 そっと彼女の横に腰掛け、いつものようにビールを頼もうと思ったけれど、ハイボールにした。

 

「ハイボール頼むの珍しくない?」

「たまには違うのにしようかなって思いました」

「ふーん」


 本当は美鈴さんが飲んでいるもの真似した。なんて言えるわけもなくハイボールを口に運んだ。


 苦い……。

 

 一番初めに飲んだ時から思っていたが、やはりハイボールは好きになれないと思う。

 

 美味しいと感じられる要素が全くない。

 簡単に言えば、アルコール消毒をそのまま飲んでいる気分になる。


「ハイボール好きじゃないでしょ?」

「えっ……?」

「顔に『おいしくない』って書いてるよ」


 お酒に酔っているのか、いつもよりも柔らかな表情をした美鈴さんが頬をつんつんと触ってきた。

 

 こうやって子供にするみたいに頬をつついてくる美鈴さんはあんまり好きじゃない。


 その指を握って、彼女の方に押し返した。


「飲めます」

「苦手なのに頼んだの?」

「苦手じゃないです」

「意地ばっか張ってるクソガキだ」


 美鈴さんはすっと私のハイボールを取って、カシオレを頼んでいた。


「なんで……」

「あれ、カシオレ好きじゃなかった?」


 美鈴さんは私の飲んでいたハイボールをグビグビと勢いよく喉に通していく。


 なんで、私がいつもビールの後にカシオレを頼んでいるのを覚えているのだろう。いつも冷たいくせになんでこういう時だけ優しくするのかわからない。

 

 彼女の気まぐれに心を揺さぶられることがすごく嫌だった。

 

 私は届いたかわいい色をしているカシオレをグイグイと口に運ぶ。カシオレに入っているオレンジジュースがいつもより甘い気がして、口の中にベッタリと甘味が残る。


 その後もたわいのない話をして、私の家に向かった。


 今日も一分に満たない時間、美鈴さんを抱きしめるために彼女を私の家に上げる。この歪形な関係になってから数ヶ月経つと思うとそのことにも違和感を覚える。


 美鈴さんがゆるりと足を進めるので、私も彼女に身体を近づけた。

 

 いつも美鈴さんを抱きしめる時、呼吸が苦しくなる。


 この抱き締め方は普通なのかとか、変じゃないかとか、どうでもいいことが気になって、ほとんど集中できていないと思う。

 

 そして何より、これが美鈴さんのストレス軽減につながっているのかは未だに謎だ。

 

 彼女から効果がないとは言われていないから、この行為に意味はあるのだろうけれど、こんな週一で効果が現れるわけがない。ネットには毎日ハグをすることが当たり前のように書かれていた。


「ねえ、長い」

「あっ、ごめんなさい……」


 すっと彼女を離し、微妙な空気が流れる。美鈴さんは眉間に皺を寄せたままこちらを見ていた。


「じゃあ、帰るね」

「あの……ちょっとだけ話ませんか?」

「何話すの?」

「喋り足りないなって……」


 苦しい言い訳だった。

 

 美鈴さんと話したいことがあるかと言われると、そんなに多くはないと思う。

 

 ただ、なんとなくこうやって体を寄せ合って、それが終われば美鈴さんが私の家から出ていくことに、急に寂しさを感じてしまった。


 きっと、寒い季節だからそんな血迷った考えが生まれてしまったのだと思う。


 美鈴さんは「ふぅ」と溜息をついた後に、リビングにある椅子に腰掛けていた。

 私はそのことに安堵し、急いで台所に向かう。台所からひょこっと顔を出し、彼女に声をかけた。

 

「お酒飲みます? お茶とかの方がいいですか?」

「気使われると逆に疲れるから気にしないで」

「飲み物くらい出させてください。ホットミルクとかも作れますけど?」

「じゃあ、それで」


 美鈴さんはこちらに背を向けたまま話していた。ちょっと冷たいけれど、彼女がすぐに帰ってしまうよりはいいかと思って、電子レンジでコップに注いだ牛乳を温める。


 電子レンジの中を二つのコップがぐるぐると回っている光景に違和感しか感じなかった。


 いつも一人だった家に今は人がいる。

 しかも、居酒屋で知り合ったお姉さん……。


 チンっという音で意識が現実に戻り、私は急いでコップを彼女の目の前に置いた。


 美鈴さんは「ありがとう」と言って、手を温めるようにコップに手を重ねている。


「寒いですか?」

「大丈夫。これ暖かいし」

「そうですか」


 私はそのままミルクを口に運んだ。

 

 自分から話がしたいと引き留めたはずなのに、何を話したらいいとか全然考えていなかったので、ミルクをちまちまと飲んで、なんとか時間を引き延ばす。


「ホットミルクっておいしいね」

「この時期は重宝されますよね。美鈴さんはお酒以外で好きな飲み物ありますか?」

「んー、紅茶とか好きかな」

「意外とおしゃれですね」

「意外とは失礼」

「ふふっ。たしかに」


 お酒じゃない飲み物を片手に美鈴さんと話すのは初めてだろう。

 そのことに胸がくすぐったくなり、それが笑みとして外にこぼれていく。


「お酒飲んでる時より楽しそうじゃん」

「いつも一人の家に誰かいるってちょっと嬉しくないですか?」

「まあそうかもね。心春はてっきり恋人とかと暮らしてるのかと思った」

「そんな人いません」

「すぐできそうじゃん」

「私に対するその尻軽認定、なんとかならないんですか?」

「だって軽そうじゃん」


 ちょっと優しかったと思えば、今度はそうやって刃こぼれしたナイフでギリギリと傷をつけてくる。

 まだ切れ味のいいナイフで切られた方が良かった。


 下唇を噛み、眉間に力が入る。


「そんな不機嫌そうな顔しないでよ」

「だって、尻軽だと思われて嬉しい人なんていないと思います」

「まあ、確かにそうね」

 

 謝りはしなかったけれど、彼女は少しだけ申し訳なさそうにミルクを口に運んでいた。


「美鈴さんはいい人いないんですか?」

「いい人いたら、ここに来て変なことしてない。あと、仕事でそれどころじゃない」


 やはり、私と彼女が抱きしめ合うことは変なことなのだと再認識させられた。そして、仕事が忙しくなかったら恋人を探す気だとしたら、美鈴さんの方が尻軽だと思う。

 

「時間があったら探すんですね」

「んーまあね」

「なんで恋人ほしいんですか?」

「疲れて家に帰ってきて、好きな人がいてくれることって幸せなことだから――」


 どんな意味がこもっているかはわからないけれど、その言葉がやけに刺さって抜けなくなった。


 人を恋愛的に好きになったことがないから、好きな人がどうとかはわからないけれど、確かに仕事でクタクタになって帰ってきて、自分の気の許せる人が温かい家にいてくれたら幸せだと思うのだろう。


 しかし、それが気の許せる人でなければ最悪の状態だということも私は知っている。


「恋人できたら教えてくださいね」

「なんで?」

「だって、ストレス解消のためとはいえ、私とハグしてるなんて知ったらその恋人さん悲しみますよ。下手したら浮気扱いされて私が殺されそう」

「心春ってそういう感覚あるんだ」


 美鈴さんは本当に驚いた、みたいな顔をしていた。

 

 一体、私のことをなんだと思っているのだろう。

 

 流石に恋人がいる相手と服を挟んでもいたとしても、密着するほど私の性根は腐っていない。ハグどころか、手に触れることすら尻込みする。


 美鈴さんが変なことを言うから、私たちの間にはまた淀んだ空気が流れて、何を話したらいいかわからなくなった。


 来週は私の仕事が忙しくて彼女に会えるかわからない。だから、少しでもこの時間を伸ばしたかった。


 何かいい会話……と考えていると、今日の街中の光景が浮かぶ。


 そういえば、美鈴さんは恋人はいないけれど、クリスマスを誰かと過ごしたりするのだろうか。


「美鈴さんはクリスマス何してます?」

「仕事ですけど」

「夜です」

「一緒に過ごす相手なんていませんけど。わかってて聞くとか嫌がらせ?」

「捻くれすぎです。もしよければ、一緒にご飯食べませんか? 料理振る舞いますので」


 別に何も変なことは言っていないと思う。


 居酒屋で出会って飲み友達になって、ハグをするような関係になったお姉さんとクリスマスを過ごす。


 いや、冷静に考えればおかしいか……。


 誘ってから、自分の言葉に後悔した。

 

 何より、美鈴さんの性格を理解していたはずなのに、この誘いは失言だった。彼女は私をストレス解消のための存在という以外に何も思っていない。

 

「なんであんたとクリスマス一緒に過ごさなきゃいけないの」

「そ、そうですよね……」


 そのあとは何を話したかは覚えていない。


 いつの間にか美鈴さんは私の家からいなくなっていて、家の中が酷く冷たいと感じた。

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