第5話 もしかして緊張してますー?
店の外に出ると、ひやっとした風が通り過ぎる。
それは秋が過ぎ、嫌いな冬が訪れることを意味していた。
“冬”は嫌いだ。
感覚のなくなるくらいに冷たくなる体。
皮膚にチクチクと刺さるような痛い風。
内臓までぶるぶると冷えてしまうせいで、心まで冷えてしまったのではないかという感覚。
どれも冬に感じるものは嫌いだ。
冬は体が冷えないように信じられないくらいエアコンの温度を上げて、さらに毛布に包まる。
朝起きた時には汗をびっしょりとかいていて、そのせいで体調を崩すこともあるけれど、それでもいいと思うくらいに冬の寒さは好きではない。
「なんか、社会人になってからあっという間に季節過ぎていきますよねー。この間まで花粉すごいと思ってたのに、もう冬が来るんだって感じです」
「そうだね」
「美鈴さんと飲むようになってから、季節が一周したなんて信じられないですね」
「そうね」
「なんか今日はいつもより冷たくないですか?」
「普通だよ」
冬が訪れることに気分が沈んでいたから彼女の話が上の空になっていた。なんて言えるわけもなく、適当に受け答えをする。
逆になぜ彼女はこんなにも普通にしていられるのだろうか。
これからのことを考えたら、少しばかり緊張とか憂鬱とか、そういう感情が生まれてくるものではないのだろうか。
いや、彼女は経験豊富そうだから、私を抱きしめることなんて呼吸と同じくらいに思っているのだろう。
心春は私を抱擁することなんてなんとも思わないのかもしれないけれど、少なくとも私は好きな人以外を抱きしめることに抵抗がある。
しかし、彼女のストレス解消の提案に乗ってしまったのは私で、今更それを嫌だと否定できるわけもなく、今に至る。
なんで嫌と言わなかった……?
きっと、週末のこの関係を失いたくなくて、なんでもいいから彼女との繋がりの糸口を探したかったのだと思う。
行きつけの居酒屋から心春の家までは、徒歩十分くらいで到着する。玄関に足を踏み入れると、心春は靴を脱ぎ捨てパタパタと部屋の中へ入っていた。
「ちょっと綺麗にするから待っててください」
「どうせすぐ帰るから」
「そうだとしても、汚いと思われたくないんです。美鈴さんって変なところ馬鹿ですね」
「ばか?!」
私が問いかけているのに、小柄な女性は部屋の奥の方へ行ってしまう。
心春は1LDKの家に住んでいて、部屋の様子や普段の様子から、恋人はいないのだろうと思われる。
「美鈴さん、中にどうぞー」
私はその言葉に従って部屋の中に入った。
中に入ると、リビングにはソファーや家具が転がっており、普通の一人暮らしの部屋だ。
廊下を歩いている途中に見えた寝室のベッドを見て、顔に熱が集まっていた。
私はここで彼女と体を重ねた――。
よくそんな相手を平気で家に呼べるな……と彼女のガードの緩さに驚きだ。
リビングの端に荷物を置き、中途半端な位置で棒立ちになっていると、心春はお腹を抱えながら笑っていた。
「何?」
「美鈴さん、もしかして緊張してますー?」
「はぁ? してないし」
「じゃあ、もっとこっちに来てくださいよ」
私の動揺が簡単に見透かされてしまい、恥ずかしさが込み上げる。
いつだって心春は私の弱点を探しているのだから、私は少したりとも隙を見せてはいけないのだ。
ゆったりと足を進め、彼女のもとに近づく。
酔っていて覚えていないけれど、彼女とはもっとすごいことをしているのだから何も気にすることはない。
私は小柄な少女の体をそっと抱き寄せた。
小動物みたいにピクッと動きを止めていたけれど、のったりと彼女の腕が私の背中に回っていく。
私の背中を這う手があまりにも不器用で、わざとやっているのだろうかとすら思う。
「普通にしてよ」
「わかってます……」
今度はぎゅっと強過ぎるくらいに抱きしめられた。
いつも話す時は器用に話しているのに、なぜ、こういう時ばかりそんな行動になるのだろうと思う。
そんなことをされるせいで無意識に呼吸を止めていた。
私も私で、人を抱きしめるだけなのになんでこんなに緊張しているのだろうと嫌気が差す。
この行動にストレス解消効果があるのか疑わしい。
この不思議な状態が早く終わってほしいのに、心春が離れてくれないから、口が喧しくなる。
「長くない?」
「三十秒以上ってネットには書いてありました」
誠実に私のストレスを解消しようとしてくれることは嬉しいが、それでも長過ぎだと思う。
「ちゃんと数えてるの?」
「はい。心の中で」
「変なとこで真面目だよね」
「いつも真面目です。美鈴さんとは違って」
「は?」
心の中でちゃんと数字を数えているなんて、なんていじらしいのだと思ったけれど、その次の言葉で全て帳消しになった。
本当にかわいくない年下だと思う。
本当にかわいくない年下とハグをする関係――。
もう、ただの飲み友達とは言えないだろう。
ハグする友達ってなんていうんだ?
そもそも、なんでこんな関係になったのか記憶を遡ったが、よく分からなくて、考えれば考えるほど無駄だった。
頭を忙しなく動かしていると、ぽすっとお腹を押されるので彼女との距離が離れた。
それは私たちの週末の終わりを意味する。
早く終わってほしいはずなのに、終われば今度は胸が冷やされていく感覚に陥る。
そんなことを口にできるわけもなく荷物をまとめた。
「じゃあ、また来週」
「はい」
私は心春に背を向けて急足で家を出ていた。
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