第17話
夜明け前の薄闇を湛えたViRtualis。
桜乃詩月が自室を模したプライベートルームで、ゆったりとしたソファに腰かけている。壁には彼女の配信に使う背景が投影され、ブランドロゴやグループ名が浮かんで見えた。
「予想以上の反響、ね――」
そう呟きながら、詩月は目の前のウィンドウに映る配信アーカイブを確認していた。
まひろとのコラボからすでに数日。SNSや動画サイトでは、さまざまな形で誤解や憶測が渦を巻き、未だ収束する気配がない。しかし、その混乱こそが彼女の狙いどおりだった。
「これだけ盛り上がっているなら、もう少し続け――」
言い終わらないうちに、視界がグニャリと歪む。まるで接続不良かのように、VR空間が一瞬乱れた。
「なに……これ?」
歪みが消えると、詩月のプライベートルームはすっかり見慣れない場所へと変貌していた。
いつもなら、きらびやかなデザインの自室が広がっているはずなのに、まるでどこかの廃墟のような空間に塗り替えられている。壁はひび割れ、床には謎の文様が浮かび上がり、薄暗い光の中に紫の靄が漂っていた。
「どこなの、ここっ……?!」
慌ててメニューを呼び出そうとするが、UIは反応しない。操作が一切受け付けられない状態に詩月は顔を強張らせる。
「見事な演出でしたよ」
不意に、誰とも知れない声が虚空から聞こえた。
詩月はハッとして周囲を見回すが、人の気配は感じられない。あるのは、この奇妙に歪んだ空間だけ――その中に、声の主の存在感だけが満ちていた。
「誰……なの?」
「貴女の計算された“完璧な演技”は、なかなか見応えがありましたね」
その声にはどこか冷たく、無機質な響きがあるが、不思議と圧倒的な力が滲み出ていた。
詩月は彼女なりにVTuber活動や炎上対策の知識を持ち、常に情報を制御してきたが、これほどの強制力を持ってVR空間を操作する相手には心当たりがなかった。
「私に何のつもり……?」
「これをご覧ください」
空中に無数のウィンドウがバッと開き、詩月の視界を埋め尽くす。
そこには、詩月自身のSNSアカウントからの投稿ログや、裏アカウントでのやり取り――そして、まひろへの誹謗中傷を誘導する細かい指示が、時系列順にずらりと並んでいた。
「これは……!」
詩月は目を見開く。自分の裏工作の証拠だ。誰にも知られないよう、慎重に運用したはずの複数アカウントが丸裸にされている。
「そして、これも」
さらに新たなウィンドウが開く。そこに映し出されるのは、一年前の夜桜チトセとしての配信記録や、まひろとのコメントのやり取り。あの頃、彼女が抱いていた憧れや期待――そして挫折や孤独。そして、活動休止へ追い込まれていく経緯までも、克明にまとめられていた。
「どうですか、桜乃詩月さん」
声はどこまでも冷静で、一歩も引かない。
「いいえ、夜桜チトセさん――と呼ぶべきかもしれませんね」
「まさか……あなた、犬槙まひろ……?」
詩月は思わず問いかける。まひろがこんな形で報復してきたとでもいうのか。
だが、その声は軽く鼻で笑うように否定する。
「いいえ。私はシステム。この世界の秩序を保つ存在。今日は、貴女が成し遂げた結果をお知らせに来ました」
「……結果?」
新たなウィンドウが開く。そこには、ほんの数時間前に更新されたニュースサイトが映っていた。
『新人VTuber、自死か――』
「な……」
詩月の顔から音を立てて血の気が引く。まさか、そこまでの事態になっていたなんて。
確かに、まひろを炎上させて痛手を与えたかった。彼女に自分と同じような苦しみを味わわせたかった。配信者を止めて欲しかった。でも……死んで欲しいなんて思ってない――。
「計画通りでしたね」
システムの声が、耳元で囁くように響く。
「SNSでの工作、ファンを装った扇動、そして最後の追い込み……いずれも完璧でした。貴女の演技力には目を見張るものがあります」
「そんな……違う、私はただ――」
「違う? では、これらのデータは?」
画面に次々と映し出される裏アカウントの投稿、巧妙に仕組んだ嫌がらせ、切り抜き動画の作成依頼……。
すべて詩月が裏で糸を引き、まひろを炎上の標的に仕立て上げるための周到な戦略が記録されている。
「お気づきかもしれませんが」
システムは一歩も譲らず、言葉を続ける。
「貴女の行動はすべて意図的。結果的に対象を死へ追いやった――完璧なシナリオです」
詩月は震える指を見下ろした。仮想空間では白磁の様に美しいアバターの手。しかし、その手が、誰かの命を奪ったのだと、今更ながら理解し始めていた。
「私……そんなつもりじゃ……私、ただ――」
「本当に、そうでしょうか?」
システムの無機質な声が、詩月の心をさらに深く抉る。
「すべては貴女の望んだ結果。完全な“報復劇”が、期待どおりの結末を迎えたのですよ」
その言葉とともに、詩月の周囲に紫の靄が渦を巻く。
まるで詩月自身が生み出した悪意に、今度は自分が飲み込まれようとしているかのように。
*
詩月の視界で、まひろの最後の配信アーカイブが再生される。
震える声で謝罪と感謝を語り、最後に「さよなら」と呟いて配信を切ったまひろの姿が、容赦なく画面に映し出されていた。
「嘘、嘘……でしょう?」
思わず、自分の手を確かめるように震わせる。その指先が何かぬめり気のある液体にまみれているような錯覚を起こし、吐き気がこみ上げる。
「私、人を……私のせいで……」
息が詰まって、まともに呼吸ができない。
大切なものを自分の手で壊してしまった――あるいは、壊れるよう仕向けてしまった――そんな現実がずしりとのしかかる。
「違う、違う違う違う!」
詩月は耳を塞いで首を振る。
「私はただ……配信で……あれは演技で……」
「事実から逃げても無意味です」
システムの声は一切の情けを排している。
「貴女の行動は全て記録されています。工作、扇動、そして結果的には――殺人」
「……さつ、じん……?」
詩月はその言葉に息を呑む。自分がまひろを“殺した”――その現実が突きつけられ、内臓がひっくり返るような感覚に襲われる。
「私は……私はただ……」
言葉が続かない。自分がやった行為を正当化するすべなどなかった。
そのとき、詩月の意識の奥底で、何かがカチリと噛み合うように音を立てた。
「そう……そうよ、演技」
突如、詩月の声色が変わる。
まるで芝居のワンシーンに入り込んだ役者のような、張りのある調子。その中には、何かを無理矢理押し殺そうとする必死さが見え隠れする。
「私は演技をしていただけ、桜乃詩月として。リスナーが望む完璧な配信者を演じていたの」
システムが一瞬、疑問を孕んだ沈黙を見せる。
「私は……この世界に求められる役割を果たしてきただけ。夜桜チトセの時も、桜乃詩月としても……ただ役を演じていたのよ……!」
拳をぎゅっと握り、詩月は呟くように続ける。
「だから……そう、これは配信の一部。誰もが望む“演出”だった。まひろは単なる……そう、“役”に過ぎなかったんだわ……」
「しかし犬槙まひろは死にました。貴女の演技の結果として」
システムが突きつける厳然たる現実。だが詩月はさも聞こえないかのように、口元を歪める。
「……そうよ。全ては演技。チトセも詩月も、演じただけ。感情なんて、ただの道具。理解や寄り添いなんて……そんな幻想に付き合う必要なんてない」
紫の靄が、より濃密に彼女の周囲を蠢き始める。それは、詩月自身が抱える孤独や憎悪、罪悪感――それらが自己防衛本能と結びついたかのように見えた。
あまりにも重い現実から逃れるため、感情を凍らせてしまおうとする心の動きが、靄として具現化しているのだ。
「そう……」
詩月の瞳からは、すっかり生気が消えかけている。にもかかわらず、その声は妙に冷静で凍てついた響きを持っていた。
「私は、ただ真実を見せただけ。どこまで行っても、この世界は残酷だって……」
そこには、かつてチトセとして傷つけられた記憶と、自己嫌悪の果てに生まれた歪んだ思い――“誰かにも同じ苦しみを味わわせてやりたい”――が根を張っているのだろう。
「すばらしい洞察と理解です」
システムはまるで実験結果を評価する研究者のように呟く。
「感情に振り回されることなく、理想的な秩序を得るには、感情を切り捨てればいい。貴女ならその完璧な“役”を演じられるでしょう」
「ふふ……そうよ。私はただ“演じて”いただけ。それが、私の役割だもの」
詩月の声が、不自然に明るい調子を帯びる。
まるで自分に言い聞かせるかのように、口角を引きつらせて笑みを作る。紫の靄が、彼女の周囲でゆっくりとうごめいていた。
「感情なんて……邪魔なだけ。私はただ、完璧な配信者、完璧な演者であり続けたかった。それだけ」
かつての夜桜チトセとしての優しさや苦しみ、それを封じ込めるために“桜乃詩月”を演じてきた。
いつしか、その演技は現実と分かちがたく結びつき、まひろをも追い詰める“シナリオ”を作り上げてしまった――しかし、今この瞬間、詩月はその罪の重さから逃れるために、必死に自分へ言い訳をしているように見える。
「でもね、私は……私は間違ってなんかない。まひろは自分で勝手に――私が何かしたわけじゃなくて……ただ、ちょっとした“きっかけ”を与えただけ」
言葉を並べながら、詩月の瞳には決定的な揺らぎが宿る。自分の言葉で自分を欺こうとしているのだ。
紫の靄は、そんな彼女の葛藤を映し出すかのように、渦巻く色をいっそう濃くしていく。
「私だって、被害者よ。夜桜チトセのときは……私がどれほど傷つけられたと思ってるの?」
ぽろりと本音がこぼれる。
それは彼女が背負ってきた孤独や絶望――そして、誰かへの復讐心。それらすべてが彼女をここまで追い詰めた。しかし今、もはや自分の感情でさえ“演技”と区別がつかなくなりかけている。
「……私は、ただ現実を見せただけ。理解? 寄り添い? そんなの綺麗事。気づかせてあげただけよ、あの子にも……」
最後の言葉は震えながらも強がるように響いた。
まひろを死へ追い込んだという責任――それを否定するため、そして自分が歩んできた道を正当化するために、詩月は必死に“私は間違っていない”と唱え続ける。
しかし、そんな彼女の心中を読んだかのように、次の瞬間、暗い空間にシステムの冷ややかな声が降り注いだ。
*
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