第2話 通学路
「ねえねえ! ハルキくんって人形ごみの家の前通って学校来るってほんと!? どんな感じ!? やっぱり怖い!?」
「…………はぁ」
誰がチクったのか、クラス一うるさい女に僕の知られたくない個人情報第二位が漏洩していた。
「アカネ知らないの? ハルキはあの家の前怖くて通れないから、わざわざ十五分もかけて迂回してるんだよ」
「十五分じゃない七分ちょっと。通れなかったのなんて小学校低学年の頃の話。今はなんも感じずに普通に通ってる怖いわけない。はい終わり」
「えー! えー! ほんと!? すごーーい!!」
「うるさい。もうすぐ授業だぞ席に帰れよ」
「なんだよもっと話してやれよ~。俺も聞きたいな、あの天然お化け屋敷の怖い話」
「だったら自分で肝試しにでも行きゃいいだろ。嫌なんだよ、自分の日常をそうやってイジられるの。小学校からもう八年も言われてるし。うんざり。頼むからほっといてくれ」
本当にうんざりだ、あの家の話をされるのは。
もうあのことは忘れたいのに。
◇
怖くてそこを通れなかったのなんて九歳までだ。前を歩いてみればなんてことはない、不気味なだけのゴミ屋敷。そう思ってからは普通に通学に使っている。そこの階段で坂道をショートカットすれば二十分ほど寝過ごしても大丈夫になる。この違いは大きい。だから朝は、多少の気持ち悪さは我慢してあの家の前を通る。
ただ帰り道はダメだ。
中学に上がって、初めて部活動が夕方遅くまで続いた日。すっかり陽が落ちてから帰ることになったあの日も、僕は当然のようにあの家の前を通る道を選んだ。
街灯が照らす足元には階段横の柵の向こうからやってきたのだろう、葉っぱや虫が落ちていた。生ぬるい風が木々を揺らすと、真っ黒な森がざわざわと音を立ててその存在を主張する。視線をよこせば目玉が浮かんでいそうなその闇が不安を煽って、僕は足早に階段を下りた。
下りてすぐ目の前があの人形ごみの家。正面からは二つの山積みになった人形の手足や頭がぼんやりと見える。長くは見ない。階段から地面に足をつけ反射的にパッと見たらすぐ目を逸らす。左に折れて真っ直ぐ進んで、少し進んだところを右に下れば僕の家。さっさと帰ろうと足早に立ち去ろうとした、そのとき。
カタッ。
小さな音にビクリと跳ねて僕は止まった。
無視して逃げればいいのに、僕は振り向いて人形ごみの家を見た。
ごみ山から何か落ちただけ。怖いことなんかない。そう安心したかったのかもしれない。明日の朝だって通る道だから。
だけど塀から半分出た頭を見て後悔した。
日本人形の両目が真っ直ぐ僕を見ていた。
「……いや、いや。そういうふうに落ちたんだよ。塀の向こうに人形がすとんと、立つ感じで落ちた。というか最初からあんな感じだったかもしんないし。朝見なかっただけでそうだったんだよ。ふつうふつう。おかしくない」
前を向き直して逃げるように歩く。ふつうふつう。おかしくない。言い聞かせるような独り言。バクバクと脈打つ心臓を落ち着かせるための言葉。
振り返ってもう一度見る。あの人形の頭が動いていなければもっと安心できると無意識で思ったのかもしれない。
こちらを見つめる頭は動いていなかった。
「ほらそうだ! あるある。そういう風に落ちただけ。いやな偶然ってだけじゃん」
前を向き直してまた歩く。今度はさっきより落ち着いている。歩く。歩く。少し歩いてまた振り返ったら、やっぱり頭は動いていない。塀から覗く小さな瞳は変わらずそこにあるだけだ。一切変化していない。
……ずいぶん歩いたはずなのに景色が変わっていない?
「ちがう……そんなわけ……!」
走って逃げる。走って逃げる。けどいつまでも前に進まない。見慣れた家々が横滑りするように流れていくだけで、僕の家に続く分かれ道は一向に現れない。
振り返る。塀から半分頭を出した日本人形は変わらず僕を見ている。動いていない。動いていない。ただこっちを見ているだけ。何もしてこない。
「いや、何言ってんだよ僕。人形だぞ、動くわけないじゃん、何気にしてんだか」
走って逃げる。走って逃げて、躓いて転ぶ。
「いたっ!」
痛い、まずい! よろめきながら起き上がり、息を整えながら振り返る。
大丈夫、塀の上、半分の頭は、変わらずそこにある。動いていない。追って来てない。大丈夫!
「塀の……上に?」
視点が低くなったことでそれが、半分頭を出しているのではなく、半分の頭が乗っているだけだとわかった。
半分から下の体は、もう僕の顔の横に立っていた。
◇
「おはよーーーー!!」
朝、家を出たらクラス一うるさい女がいた。
「……ストーカー?」
「なにそれ失礼! 肝試し自分で行けって言ったのハルキくんじゃん!」
「ほっといてって言ったとこは聞いてなかったわけ? それに朝だと肝試しにならないでしょ。ていうかなんで僕の家知ってんの」
「秋津くんが教えてくれた!」
僕のまわりにはリテラシー無いやつしかいないのか。
「どうせだから一緒に登校しよ? それとももしかしてぇ……本当は怖かったりする? やっぱり怖い目に遭ってたりする!?」
「うっざ……。僕もう行くけど離れて歩いてよ。耳が壊れる」
「ええー! ひどーい!」
離れろと言ったのが聞こえなかったのか忘れたのか、軒先を出てゆるやかな坂を上り始めたらすぐ横についてきた。いつから住んでるのとかこの辺に他に友達がいるかとかうるさい質問が殺到するが無視する。T字路はすぐやってきて、左折してあの家が目に入る道へ。
……だけど今朝は、僕よりでかいアカネが左にいるおかげで、人形の山は目に入らなかった。
「人形ごみの家って言われてたからもっと汚いとこ想像してたんだけどさ、あの日本人形だけなんか綺麗だったね! 塀の上で、通る人に挨拶するみたいに立ってたの!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます