二章 山の神(4)

 膳の上の料理は大分減ってきた。空閑は自分で持ち込んだ酒を傾けながら、話を続ける。


「それにしても、おぬしもやるものよのう。以前より見初めていた娘を嫁にもらうとは」


 確かに神の嫁に見初められたというていで、ここに嫁入りしたわけだが。いやしかし、妻として相応しい振る舞いを期待されているなら、肯定したほうがいいのだろうか。


 ひよりが悩んでいると、常葉が返答した。


「見初めていたというのは語弊がある。この娘の村での境遇を不憫に思ったまでのこと」

「待遇を改善したいなら、他にいくらでもやりようがあったじゃろうに」


 盃の酒を一気に飲み干してから、空閑は続ける。


「それともなにか。ひよりが村から離れられてそれでよかったというなら、わしがもらい受けても構わぬと?」


 山の神と村の神の視線が交錯する。空気がぴりぴりと震える。


 不穏な雰囲気になってきたことを察し、ひよりは冷や汗をかきながら空閑と常葉の様子を交互に窺った。


「駄目だ」


 常葉はきっぱりとそう返した。

 それを聞き、ひよりの鼓動が跳ねた。


「ほう。そうか、この娘を好いておるわけではないが、手放すのは嫌だと。わしに渡したくはないと」

「……そもそも他者の嫁を奪おうなどという道理が通るとでも」

「それは人の世の決まり事なれば」


 互いに声を荒げてこそいないものの、言い争っているような気配だ。空閑はなぜこうも挑発的なことを言ってくるのだろう。


 神に逆らうなど、人の身に過ぎた所業。客の主張は否定すべきではない。そうだとしても、ひよりは常葉の妻だ。常葉の味方でいたかった。


 勇気を振り絞って、ひよりは口を挟んだ。


「わ、わたしはここに嫁いで来たのです! 他の誰のものにもなりません!」

「では、この神のものになるのはよいと?」

「神に捧げられたのですから、もうこの方のものです!」


 そう叫ぶように言ってから目を開くと、空閑は肩を震わせていて、常葉は俯いて顔を手で覆っていた。


「く、空閑様? どうかしましたか」


 すると空閑は顔を上げ、大口を開けて盛大に笑った。


「いや、実に面白いものを見せてもらった」


 あまりの空気の変わりように、ひよりは呆気にとられた。


 なんだろう、この反応は。ひょっとして、からかわれたのだろうか。困り顔になったひよりとは対照的に、常葉は眉をつり上げた。


「貴様、とっくに酔っているな。私を困らせて楽しいか」

「ああ、実に楽しいのう」


 それからしばらくしてようやく笑いを収めてから、空閑は常葉に向き直った。


「それでどうなのじゃ。この娘は、おぬしのものだと言っておるぞ」

「……それは」

「い、いえ、それは売り言葉に買い言葉といいますか……」


 頬を赤く染めながら、ひよりはなんとか軌道修正しようとしたが、空閑には届かないようだった。


「それなのにおぬしの態度が素っ気ないようでは、気の毒だのう」


 それすらもからかいの一つなのか。ひよりの混乱気味の頭では、判別がつかなかった。




 日も暮れて来た頃、酔い潰れた空閑を屋敷の客間に運び、布団に寝かせた。障子を閉めて息を吐くと、常葉が声をかけてきた。


「すまなかったな。この者は昔から迷惑千万な言動で」

「い、いえ。そんなことは……」


 確かに困ったこともあったが、少し嬉しかった。常葉の本音を聞けた気がしたから。


「そういえば、空閑はなにを贈ってきたのだったか」

「あ、確認していませんでした」


 屋敷の一室にひとまず置いておいた葛籠を開けると、皿や器が入っていた。


「わあ、すごいですね。村では見たことがないような柄や模様で……」


 常葉を振り返ると、首を傾げている神と目が合った。


「こうしたものを贈られると、そなたは喜ぶのか」

「いただけるのならなんでも嬉しいですよ」


 そうか、と常葉は頷いた。そして懐からなにかを取り出し、ひよりの手に載せた。


「では、これを」


 小さな花と羽根の飾りがついたかんざしだった。


「え、あ、ありがとうございます」

「ああ」


 それだけ言って、常葉は去って行った。


 ひよりは常葉の姿が見えなくなってから、かんざしをまじまじと見つめた。もしかして先日、八武崎町に行ったときに買ったのだろうか。それから今日まで、渡す機会を窺っていたのだろうか。


 ひよりの口元に笑みが浮かんだ。真実はどうであれ、嬉しいなどという一言では収まらない気分だった。




 翌日。空閑を送り出すため、ひよりと常葉は鳥居の前まで来ていた。


 背に羽根を生やした空閑は、飛び立つ前に常葉のほうを振り返った。


「それにしても、十年ほど前に様子を見に来たときは、このままでは村人に忘れ去られて消え去るかと思ったものだが。確固たる存在を取り戻したのみならず、めんこい嫁をもらうまでになるとはのう」


 めんこいと言われて顔が熱くなりかけたが、それ以上に聞き流せないことがあった。


「……待ってください。なんですか、消え去るって」

「おぬしは三廻部村の娘じゃろう。かの村で、いまでも和守谷神社の常葉という名の神を熱心に信仰している村人が何人いる?」

「それは……」


 宮司も巫女も置かれず、朽ちるに任せて放置されていた神社の様子を思い出した。猪俣の家が管理していたが、神を敬っていたかと言われると疑問が残る。


 村にある他の神社のように祭りを行うわけでもなく、村人たちの寄り合いの場所となるでもなく、森の中にある神社はひっそりと存在しているだけだった。


 村人だけではなくひより自身も、和守谷神社の神のことは、神に見初められるまでよく知らなかった。


「神は人からどう扱われるかによってありようを変えるものじゃ。信仰をなくし忘れられた神は、存在が薄れて消え去るか、零落して妖怪となるか。こやつも存在が薄れた状態のまま時間が経過すれば、どうなっていたことやら」


「そうだったんですか……」


 そうなっていたら、常葉とは会えなかった。嫁になることもなかっただろう。そこまで考えて、ふと思った。神社で男の子と会ったのは、何年前のことだったか。


「おぬしのおかげかもしれぬのう、ひよりよ」

「えっ」

「そなたが神社で常葉とかかわっていたから、こやつはあれ以上存在が薄れることなく、村人に認識されたという結果を得られたのじゃ」


「わたしは――神様を信仰していたわけでは」

「ふむ。もしや、こやつを荒ぶる神だと思っていなかったことこそが、よい方向に働いたのかもしれぬのう」


 そう言い残し、空閑は羽根をはばたかせて、神社から去って行った。

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