第2話 特殊捜査員

そのひと言を境に、少年のまとう空気ががらりと変わった。


 さっきまで無邪気そうだった笑顔はそのままに、

 黒目の奥だけが、ひどく冷静に澄みわたっていく。

 少年は透明な袋をきゅっと握りしめ、楽しげに言った。


「確かにいただいたよ。麻薬密売組織――“dolphin’s”ドルフィンズのみなさん」


 その場の空気が、一瞬で張り詰めた。

 目の前の男だけでなく、その周囲を取り囲んでいた取り巻きたちの視線が一斉に鋭く変わり、少年と少女を値踏みするように見据える。


「……は? お前、今なんて――」


「おっと、それ以上は聞く必要ないと思うけど?」


 少年は肩をすくめて、小さく笑った。


 今にも噛みつきそうな視線を浴びながらも、その態度は揺るがない。

 さっきまでの“好奇心旺盛な少年”の仮面はすでにどこにもなかった。


「リュウさん!!」


 その緊迫を破るように、奥の扉が乱暴に開く音がした。

 飛び込んできた若い男が、息を切らしながら叫ぶ。


「なんだ新人。見張りをつけておいたはずだろ」


「そ、それが……まずいです! パトカーが、こっちに向かってきてます!」


 新人は顔面蒼白で、明らかに場慣れしていない様子だ。

 リュウと呼ばれた男は舌打ちしつつも、すぐに冷静に問い返す。


「チッ……ついてねぇな。パトロールか? 何台だ」


「それが――」


 言いかけたところで、窓際にいた男が外をのぞき込み、数え始めた。


「いち、に、さん……まだ来るぞ、リュウさん! これ……」


「ああ、パトロールなんかじゃねぇ。完全に――」


 リュウの歯ぎしりが、部屋の空気をさらに重くする。


 窓の外からは、赤色灯の明滅が薄暗い部屋の中まで揺らめきながら差し込んでいた。

 数台のパトカーがビルのまわりを囲み、ドアが開閉する音が次々と響く。


 ほどなくして、夜の静寂を破るスピーカーの声が街に響いた。


『この建物は西鈴特別警察区警察本部により包囲されている。中にいる者は、ただちに両手を挙げて出てこい――』


 その声は、まぎれもなくこの廃ビルの下から聞こえていた。


「……チッ、完全に囲まれてやがる」


 リュウが低く吐き捨てると、場の緊張は一気にパニックへと傾く。

 逃げ場のない現実が、全員を一瞬で焦らせた。


「こうなりゃ仕方ねぇ! そいつらを人質に――」


 リュウの号令と同時に、部屋にいた男たちが一斉に少年と少女へと飛びかかる。


 だが――


「残念。そう簡単に捕まるほど、俺たちヒマじゃないんでね。……行くよ、葉月」


 少年はひらりひらりと手をすり抜けながら、姉・葉月の腕を引いて駆けだした。


「ちょ、ゆず!? まさか、そこから飛び降りる気じゃ――」


「お、勘いいな。正解。しっかりつかまってろよ」


「えっ、ちょ、待っ――」


 問答無用で少年――柚紀ゆずきは、窓枠に脚をかけて勢いよく蹴り出した。


 二人の身体は夜気の中へ放り出され、

 すぐ下の張り出した屋根に片足から着地する。

 金属がきしむ鈍い音がして、そこからさらに地面へと飛び降りた。


「……ッ、っはぁ……!」


「ほら、無事着地。余裕余裕」


「よ、余裕じゃない!! いきなり飛び降りるとか、心の準備ってものが――!」


「悪かった悪かった。結果オーライってことで」


 涙目で詰め寄る葉月を、柚紀は悪びれる様子もなく笑ってかわす。


「相変わらず命知らずだな、お前は」


 背後から投げかけられた声に、二人はくるりと振り返った。


 そこには、ぴしっとアイロンのかかった白シャツに黒いネクタイ、

 ジャケットを片手にかけたスーツ姿の男が、やや呆れ顔で立っていた。


「……あ、櫻井さくらい


「“さん”をつけろ、“さん”を。で、どうだった?」


 よほど慣れたやり取りなのか、柚紀のぞんざいな呼び方にも、軽く訂正を入れるだけで本題に入っていく。


「ああ、ビンゴ」


 柚紀はポケットから、先ほど受け取った透明な袋を取り出し、櫻井に差し出した。


「……確認する」


 櫻井は小型の検査キットを取り出し、中身の一部を触れさせる。

 瞬時に色が変わり、予想どおりの反応を示した。


「よし、決まりだな」


 櫻井は頷くと、無線機に向かって短く指示を飛ばした。


「こちら西鈴特別警察区・特殊捜査課、副総監代理・櫻井。証拠確認。――各隊、突入準備」


『了解』


 数秒後、スピーカーが再び鳴る。


『これより建物内へ突入する。中にいる者は一切の抵抗をやめ、武器を捨てろ!』


「ま、待てよおおおお!!」


 ひときわ大きな叫びが、ビルの上からこだました。リュウの声だ。


「お、おまえら警察だろ!? 証拠もねぇのに俺たち捕まえようなんて、不当逮捕もいいとこだぜ!」


 ふん、と櫻井が鼻を鳴らすより早く、柚紀が楽しそうに口を開く。


「証拠ならあるよ。あんたたちが“ご丁寧に”くれた、決定的なのがね」


「て、テメッ……!」


「“通りがかりのガキ”の戯言だって言いたいんでしょ? 安心して。ちゃんと身分はあるからさ」


 そう言って柚紀は、胸元で揺れていたシルバーリングを指先でつまみ上げた。

 雲の切れ間から覗いた月が、それを静かに照らす。


「!? そのリング……!」


「あ、気づいた。おじさん、見る目あるじゃん」


 細いチェーンに通されたリングの内側には、小さく紋章が刻まれている。


「俺たち――

 西鈴特別警察区警察本部・特殊捜査員。

 葉月はづき柚紀ゆずきです。よろしく。


……ま、あんたらとゆっくり話す機会なんて、これが最初で最後だろうけどね」


西鈴市は、能力犯罪の急増を受けて国が指定した「特殊治安強化都市」のひとつだ。

五年前、この街には東京と同じ権限を持つ独自の警察組織――「西鈴警視庁」が設置された。

「警視庁」を名乗る街は、日本でたった二つだけ。

そのひとつが、この西鈴市である。


男の悔しげな悲鳴が、暗く街を包む闇夜に広くこだまする。

突入してきた警官たちに、dolphin’sのメンバーが次々と連行されていく。


 柚紀と葉月は、その光景をしばらく黙って眺めていた。


 ――いつも通りの“仕事の終わり”として。


          ◇ ◇ ◇


 西鈴特別警察区・特別寮から本部へ続く長い廊下。

 朝の出勤ラッシュとともに、大人の警察官たちが行き交っている。


 その合間を、制服姿の双子がのんびりと歩いていた。


「葉月、柚紀」


「ふぁい……」


 制服はきっちり着ているのに、片方はあくびを噛み殺しながら返事をする。


「おはようございます、櫻井さん」


「おはよう、葉月。――昨日はご苦労だったな、二人とも」


「ほんとですよ。学生の深夜労働ってブラックじゃない?」


 柚紀は大きく伸びをしながら、遠慮のないぼやきを口にする。


「はは、学生は学生で忙しいからな。……このあと学校だろ?」


「はい。もうすぐテストもありますし、あまり休むと変に疑われますから」


「そうだな。一般人としての生活に支障が出たら、本末転倒だ。

 ――くれぐれも“目立つ行動”は控えろよ、柚紀」


「え、なんで俺限定?」


「お前以外、誰がいる」


 即答だった。


 櫻井はそこで少し声を落とし、表情を“副総監代理”のものへと切り替える。


「それと――近頃、学生の間で妙な話が出ている。“特別な力”を悪用しようとしている連中がいるらしい」


「特別な……力?」


「そうだ。“超能力者”だなんだと騒いでる。まあ真偽は不明だが、変な噂話に近づくな。

 情報があれば、必ず俺に通せ。いいな?」


「了解しました」


 そう短く返事をして、二人は廊下の先へと歩き出した。


 ――ここから先は、警察官ではなく「ただの高校生」の時間だ。


          ◇ ◇ ◇


 ――ガラッ。


 教室の扉を開けた瞬間、いつもの声が飛んでくる。


「お、柚紀。おはよう」


「おー、あゆむ


「葉月! おはよー!」


「なっちゃん、おはよう」


 浦木うらき あゆむ

 俺が最初に仲良くなったクラスメイトだ。


 そして、葉月に駆け寄ってきたのは、なっちゃんこと城山しろやま なつ

 歩の所属する野球部のキャプテンの妹――だった、はずだ。たぶん。


 部活どころか委員会にも所属していない俺たちにとって、そのあたりの人間関係はだいぶ曖昧だ。


 捺は、いつも通りのセットで登校してきた俺たちを見るなり、あきれたようにため息をついた。


「あんたたち、ほんっと仲いいよねぇ。一緒に登校して、一緒に帰って。

 ……ほんとに付き合ってないの?」


「まあね。歩たちほどじゃないけど」


「「なにその言い方! うちら別に“好き”とかじゃないし!」」


(誰も“好き”とは言ってないけどな?)


 内心ツッコみつつも、俺の挑発にそろって乗ってくるあたり、やっぱり仲がいいんだと思う。


 俺たちが双子だということは、この学校では一部の教員以外には伏せられている。

 だから歩たちからすれば、「いつも一緒にいるよくわからない男女」にしか見えないのだろう。


 一方で、歩と捺はというと――


 血の繋がりはないくせに、

 いつどこを見ても大体セットでいる。


 俺から見れば、それはどうしたって「仲良し」にしか見えなかった。

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