第34話 白黒つけよう
夜遅くなっても、霧島くんがやってこない。
私は一人、仕事着から着替えることもなく静かなリビングで彼を待ち続けている。
前に霧島くんが来てくれた時は、この家は楽しく温かな場所で笑い声が漏れていた。でも一人の今は、冷たい部屋に思える。狭い場所なのに広すぎるとさえ感じた。彼が慣れたこの部屋を素敵な場所に変えてくれていたんだと痛感する。
ソファの前に座り込み、鳴らないスマホを眺めて俯いていた。あれ以降霧島くんから連絡はないし、インターホンも鳴らない。私の心はどんどん冷えていっている。
薫さんとどうしてこのタイミングで二人でいたんだろう。あの様子だと、薫さんは霧島くんと上手く行くと思っていそうだった。もしかしたら誘惑なんかされていたらどうしよう。いや、されたとしても霧島くんならきっぱり断ってくれるはず。……はず。
いや、だからダメだって。信じろって言ったじゃないか。
心の中の私が喝を入れるが、どうしてもふつふつと出てくる不安を拭いきれない。万が一があったらどうしよう、と思ってしまっている。私は膝を抱えてぎゅっとそれを抱いた。
早く来てほしい。話を聞いてほしい。
勝手に涙が溢れてきて参ってしまった時、インターホンの音がして飛び上がった。私はバタバタと騒がしい足音を立てながら玄関に向かい、勢いよくドアを開けた。
「うわっ、びっくりした!」
霧島くんが驚いた顔をして立っていた。
「凄く早く扉開いたけど、ちゃんと誰が来たか見ました? 確認せずに開けたら危ないですよ」
彼は少し笑いながらそう言いつつ、すぐに私の顔を見てハッとする。私は涙を浮かべたまま霧島くんを見上げていた。
「……霧島くん」
「……蒼汰、でしょ? すみません、遅くなっちゃった」
そう言った彼は中に入りドアが閉まった途端、私を強く抱きしめた。ふわりと蒼汰の香りがして、私はその胸に顔を埋めてしっかり体温を感じた。その抱擁には、何も言葉がなくても、彼を信じていて正解だった……と思える強さがあった。
「ごめん……私、油断してたから……! こんなことになっちゃって、蒼汰も、敦美も、迷惑かけちゃって……」
「こういう時も人の心配してるの、先輩っぽいなあ。あ、璃子だった」
「……もう。呼び方なんていいよ今は」
「駄目ですよ。大事なことなんだから」
「……これだけは最初に言わせてね。私は浮気なんてしてないし今後することもないし、好きなのはたった一人だけだよ。信じてほしい。絶対だから」
私がしっかりと思いを口にすると、一瞬彼は黙り込んだ。しばらくそのまま固まったようになり動かずにいた後、少しして苦笑いする。
「……ぐっときちゃった」
そう言って笑った彼は、涙で濡れた私の頬を両手で包んでキスを落とした。大丈夫だよ、と言ってくれているような優しいものだった。
何度かキスを重ねた後、蒼汰は真剣な顔で私を見る。
「ちゃんと璃子の口から何があったか聞きたい。聞かせてください」
私は静かに頷いた。
リビングで並び、私は昨日あったことを全て説明した。さらに、今日あった出来事も全部だ。薫さんからの電話に、大輔からのメッセージ。細かなことも漏らすまいと、時間を掛けて丁寧に説明した。
霧島くんは(油断するとやっぱりすぐこの呼び方)黙って話を聞いて、何か考えるように眉間に皺を寄せていた。
「……というわけで……私が油断して一人で帰ったりしたから、こんなことに……」
「まあ、俺が交際宣言したからもう大丈夫かと思っちゃったんですよね。相手の執着心がヤバいんですよ。でも、今後はもっと警戒した方がいいのは間違いないので気を付けてください」
「……ごめんなさい」
私が静かに頭を下げると、そこに彼がぽん、と手を置いた。
「謝ることはないです。そんなの、加害者が全部悪いに決まってますから。先輩は何も悪くないんですよ。嫌がる相手に無理やりキスとか、強制わいせつ罪だし」
霧島くんは微笑んでいるが、怒りのオーラが凄くて少し怯んでしまった。今なら魔物も倒せそうなぐらいのオーラだ……。
「でも、いろいろ気になる点がありますね……コンビニって、どこのコンビニですか? あそこのエブン?」
「そ、そう!」
「ここに来るときいつも通るけど、ガラが悪い奴なんて見たことないんだよな……どっちかっていうと静かな店舗なのに。なんであんなところに……」
一人でぶつぶつと霧島くんは考え込んでしまう。その横顔をじっと見つめながら、私はふうと息を吐いた。
「……私が言うこと、ちゃんと信じてくれるんだね……あんな、誰が見ても誤解するような写真があったのに……」
そしてそれを会社中の人に見られたのに、彼は私を叱ることもなく優しく支えてくれている。申し訳なくなるほど、霧島くんは温かい。
すると霧島くんは私に向き直り、そっと手を握る。
「だって、先輩が嘘なんかつく人じゃないって分かってるから好きになったんですよ。浮気? しかも、散々付きまとって来てたあの元カレと? ありえないでしょ。何か事情があったんだって思う方が普通。これで信じない方がおかしいです」
「……霧島くんはきっとそう言ってくれるだろうって思ってた。でも心のどこかで、愛想尽かされたらどうしようって……薫さんと会うって言ってたし……」
「え、何で知ってるんですか」
「薫さんから電話が来た……」
「あーなるほど。会ってきちんと説明しようと思ってたんですけど、ちょっといろいろ仕組んできました。あのタイプは、結構引っ掛かりやすいんですよ」
にやりと彼が笑ったので首を傾げる。一体何をしてきたというのだろう。
「でも、それで先輩を心配させたのは俺が悪かったです。すみませんでした」
「ううん、謝ることは何も……!」
「ただ、今話を聞いてやるべきことはもっとあったんだなって分かりました。明日と明後日の休みで白黒つけようと思っています」
「え……? どうするの?」
そう尋ねたが、彼は答えずこちらの頬にキスをしてきただけだ。
「少しだけ待っててくださいね。俺、頑張るから」
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