第28話 塩握りは美味いだろうが
困っているところへ、どこか得意げな大輔が近づいてくる。
「送るよ璃子。帰るぞ」
「え、いや私は……」
「またお前んち泊って行こうかなー」
やけに大きな声で言いながら私の手を取った大輔は、そのまま強引に連れ出そうとする。するとその手を、霧島くんが乱暴に払った。
大輔が目を見開いて霧島くんを振り返る。霧島くんは目を吊り上げていた。
「二人はとっくに別れてますよね? 今璃子先輩と付き合ってるのは俺なんですけど。触んないでもらえます?」
まさかの発言に、周りがどよめいた。
女性社員の絶望の声と疑いの目。薫さんと大輔は目玉が零れ落ちそうなぐらい見開いており、言葉を失くしているようだった。
「え? 霧島さんと高城さん?」
「前から仲いいと思ってたけど……」
戸惑いの声の中、霧島くんはぎゅっと私の手を握った。
「とっくに先輩に振られてるのにいまだに付き合ってるみたいな振る舞い止めてもらえますか? 今先輩は俺と付き合ってるんです。もうあなたの彼女じゃないんで、俺が先輩を送っていきます。あ、増田さん、酔っぱらってるなら宇野さんに送って行ってもらってください。二人は昔からの親友なんでしょ?」
そう言うと霧島くんは荷物を持ち、お金だけ置くと私の手を引いてみんなの間を突っ切ってその場から離れた。未だにたくさんの人たちが私たちを呆然と見つめており、中でも大輔と薫さんはひどく睨んでいるように見えた。
霧島くんに手を引かれて夜道を歩き続けてしばらく経つと、彼はしょんぼりした声で突然謝った。
「すみません……」
「え?」
少し人通りが減った小道に入ると、彼は私から手を離して足を止める。振り返って眉を垂らした顔で私を見た。
「先輩、周りにはバレたくないってさんざん言ってたのに……俺我慢できなくて言っちゃいました。だって、元カレは未だに彼氏面してるし、増田さんはやけに二人をくっつけようとしてるし耐えられなくて……怒ってますよね?」
「そ、そんなことないよ!」
私は首を横に振って否定した。
そりゃ、霧島くんと付き合っていることがバレたのはちょっと大変かもとは思う。彼はモテるがゆえ敵が多いからだ。でも、さっきの状況は私も困り果てていたし、ああ言ってしまうのは仕方ないと思っていた。
むしろ、少し嬉しかったとも思う。
「ほんとですか? 別れようとか思ってないですか?」
「お、思ってないよ! ……助けてくれて今日は嬉しかったの。ありがとう」
私がそう言うと、霧島くんはわかりやすく安心したように表情を緩めた。私が頑なに秘密にして、と言っていたため、まずいことをしたと思っていたのだろう。悪いことをしちゃったな、こんなに気にしてくれていたなんて……。
「よかった。俺、我慢できないやつだなって自分でも呆れてたから……先輩にそう思われても仕方ないと思って。あーほんとよかった! これで堂々と出来ますね。あ、でもそれで変な因縁つけてくる奴とかいたら教えてくださいね。俺、ちゃんと守りたいんで」
「もう充分やってくれてるよ……」
霧島くんは嬉しそうにはにかむ。その顔が可愛くて、つい私の胸はときめいてしまった。何かに怒ったり真剣な時はかっこいいけど、二人でいるときは可愛いと思うことも多い。彼はいろんな顔があるなと思う。
霧島くんは再び私の手を取ってしっかり握る。
「そういえば先輩、今週の土曜って空いてますか? 出かけません?」
彼の提案に、私はついぱっと顔を上げた。
「行きたい」
「……うわ、思ったより可愛い反応でびっくりした」
霧島くんが恥ずかしそうにしたので、こっちまで恥ずかしくなる。確かに食い気味に返事をしてしまった。
だって、思えば仕事帰りのデートばかりで、出かけたことは一度もなかった。彼とどんな一日を過ごすのか、想像するだけで楽しくなる。
「えっとじゃあ、行きましょう! 買い物とか、映画でも」
「うん、楽しみにしてる」
「やった、楽しみ! とりあえず今日は遅いし、計画はまた立てましょう。送っていきます」
「ありがとう」
「もう遅いので家には上がらずに帰ります。あ、でも玄関でおやすみのキスだけしましょう! 十回くらい!」
「お、多くない? それにそれ、外で言うこと?」
「まじですか、かなり少なく言ったつもりなんですけど……『足りなくない?』って言われるの期待してたんですけど……」
霧島くんがそんなことを言うので、私は声を上げて笑ってしまった。多分、明日から会社で大変なことになるんだろうと分かってはいたけれど、彼がいてくれるならきっと怖くない、と心で思いながら。
だがそれはやっぱり、甘かったと思い知らされることになる。
「えー霧島くん、最近はもう社内恋愛は止めておくって前言ってたのに、なんで高城さん?」
「あまりに釣り合ってなさ過ぎて笑っちゃうー」
「年上だし、そう大して美人でもないし、何より二人ともタイプが真逆でしょ。何がどうなってそうなったの?」
私はトイレの個室から出ることが出来ず頭を抱えていた。
翌日になり出社すると、すっかり噂は回っていたようで、ちらちらといろんな人からの視線を浴びた。部署では同僚たちが待ってましたと言わんばかりに声を掛けてきていろいろ聞いてくるし、昨晩は同期達からのライン通知の音が凄かった。
みんな『なんで付き合うことになったの?』『どっちから告白したの?』と容赦なく質問をぶつけてきている。だが、それはとても健全なことで、問題は私に直接聞いてこない人たちなのだとすぐに分かった。
トイレに入ってすぐに化粧直しをする女性社員たちに気づき、出ることが出来なくなっている。女は人の悪口を言う時には人気のないトイレで行うことが多い。まあ、自動販売機の近くで大きな声を上げて話し、霧島くんと私に聞かれてしまった人もいたけれど。
今もまさにその場面で、私が中にいるとは思わずリップを塗りながら堂々と噂話をしているようだ。
「でもあれじゃない、霧島くんついに珍味に手を出したんでしょう。毎回ケーキばっか食べてても飽きるから」
「あはは珍味って! 珍味だと高級食材になるじゃん」
「それもそっか、例えるなら塩にぎりって感じだよね。ケーキ食べすぎて塩にぎり食べたくなったんでしょ」
「せめて具入れたげてー! 海苔巻いたげてー!」
「普通アラサー女に手を出すの遠ざけるもんだけど、恐れないのが霧島くんだよねー。まあ彼の場合、どうせ一、二か月で終わるだろうから、それくらいじゃ貴重な時間返してよ! とはならないもんね。むしろいい思い出出来てうらやまー」
「霧島くんってどの子とも長続きしないから普通女の敵になりがちな子だけど、根がまじでいい子だから反感買ってないんだよね。むしろみんなの霧島くんみたいな。恋愛に本気にならないタイプってみんな分かってて付き合うけど、年上アラサーは絶対そんな風に割り切ってないって。結婚せがみそう」
「うわー痛いわー。霧島くん上手く逃げられるかなー? いくら塩にぎり食べてみたくなっても相手は選んだ方がいいのにねー」
「すっかり塩にぎりで定着しててウケる」
楽しそうに話していた女子たちは、ようやく化粧直しが終わったのか笑いながら外に出て行く。私はやっと個室から出て手を洗いながら、さすがに気分を悪くしていた。
表情筋が固くなっている自覚がある。
「美味しいじゃん、塩にぎり。日本人ならみんな好きじゃん。おにぎり馬鹿にすんな」
これくらい言われるのは覚悟していたつもりなのに、やっぱり実際経験すると辛い。
いろんな人に見られてクスクス笑われ、こうして裏で文句を言われている。悪い事なんて何一つしていないのに、どうしてこんなにも嫌な思いをしなくちゃならないんだ。
私たちはただ、お互いの気持ちに素直になって付き合いだしただけなのに。
「……気にしない気にしない」
小さな声で自分に言い聞かせ、私はしっかり前を向いてトイレから出る。仕事も山のようにあるし、うじうじしてても仕方がない、今やるべきことをやっていれば、そのうち噂も落ち着いてくるだろう。時がたつのを待つしかないのだ。
デスクに戻ると、座るときにこちらをじっと見ている中津川さんと目が合った。向こうはすぐにそらしたが、明らかに不満の目で見られていたので苦笑いする。
座った直後、隣の敦美が小声で心配そうに話しかけてきた。
「大丈夫?」
その言葉に微笑んで答える。隣にいるのが事情を知った敦美でよかった、と心から思う。さっきのトイレの場面も、もし敦美がいたら怒鳴って追い払ってくれそうだ。そう想像するだけで心強く、そして頼もしく思えた。
「ありがとう」
「ちょっとざわざわしてるけど気にしないようにね。私はちょっと出てくる」
「私ももう少ししたら外回りに出なきゃだ」
「社内にいるよりいいかもね。行ってきます」
敦美は私に小さく手を振ると、そのまま出て行ってしまった。隣に敦美がいないと、一気に心細くなる。
だがふと、デスクの隅にチョコレートが置いてあることに気が付いた。
「あ……」
そっと振り返ると、他の同僚と何か相談している霧島くんの姿が目に入る。真剣な顔で仕事について話しているようだが、視線に気が付いたのかこちらと目が合った。彼は少しだけ目を細めて微笑みかけてくる。
ついドキッとしてしまったのを隠すように慌てて顔を背け、彼がおいてくれたであろうお菓子をポケットにしまい込んだ。
大丈夫、敦美も霧島くんもいるし……頑張れそう。
私は肩の力を抜いて、仕事に取り掛かった。
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