第25話 二ヶ月
「という感じで……でもあの、会議の時間は私のうっかりかもしれないから……」
「ちょっと……なんでもっと早く言ってくれないんですか……」
霧島くんは深いため息をついて項垂れてしまった。私は慌てて言い訳を口にする。
「いや、会議のことは気のせいかなって思ってたの。でも資料がないことでさすがに誰かがわざとやったのかな、ってようやく思い出して……薫さんとはいろいろあったけど、仕事とプライベートは分けなきゃって思ってて」
「元カレのことは」
「……びしっと強く言ったから、さすがにもう諦めたかと思うし……」
「先輩。先輩はしっかり者だしほんといい人なのが魅力ですけど、もうちょっと人を疑った方がいいです。会議時間の時も、中津川さんがあっちの肩持ったんでしょ? 怪しすぎるでしょ。あの人、自分の性格腐ってるのが悪いくせに先輩を逆恨みしてるんですよ。ここまで腐ってたらもう戻らないでしょうね」
「わあ、口悪い……」
「正直なことを言っただけです。明日の飲み会もなんで出席って言ったんですか。そんな奴のために行かなくていいですよ。一緒に欠席しましょ」
「だから、仕事とプライベートを一緒にするのはよくないから。それに、書類を抜き取った犯人だっていう証拠は何もないよ。決めつけるのはよくないし……」
「もう……そしてクズ元カレですよ! 本当に諦めたんですか? 俺、かわりに話します。今付き合ってるのは俺だって言ってきます!」
「そ、そんなことまでしなくていいって! 昨日直接話してびしっと言ったからもう大丈夫だよ」
慌ててそう言うと、彼は不満げに口を尖らせた。
「もっと俺にいろいろさせてくださいよ……せっかく彼氏になれたのに……」
「ごめんね、気持ちはありがたいの。でもあんまり波風立てたくないっていうか……」
「まあ、先輩はそういうタイプなのは知ってますけど。でも油断はダメです。元カレから連絡来たらすぐに知らせてください。次一通でもライン来たら俺が相手します。帰りも一人はだめ、俺が送ります。どうしても時間合わない時は敦美さんと一緒に帰るとかにしてください」
「そんなに?」
「そんなにです」
ずいっと顔を寄せられてとてもまっすぐな目で見られたので、つい頷いてしまった。彼が心配して言ってくれているのは十分分かるのだ。
「あとは嫌がらせについてか……確かに証拠がないっていうのと、まだ頻回に起きてないっていうのがな」
「最近はパソコンもデスクも鍵を掛けてるし、カバンも常に持ち歩くようにしてるから」
「でも、時間が空いて油断したときにまた仕掛けてくる気がするな……でも次も同じ方法を取ってくるとは思えないし……どう対処しようかなあ……」
「あのでも、こっちもそんなに大事にしたくなくて……鍵とかかけることで予防できるならそれでもういいし。犯人も確定してるわけじゃないから、疑ってばかりもよくないから」
「放っておいたら絶対また仕掛けてきますって。多分忘れたころにやるだろうなあ……」
一人でぶつぶつ呟きながら考える霧島くんの横顔は、普段の犬っぽい感じとは雰囲気が違ってなんだか新鮮だった。ついその顔をじいっと眺めてしまっていると、しばらくして彼が苦笑いした。
「あの、そんなに見られるとなんか恥ずかしいんですけど」
「あ、ごめん。霧島くんってこう……普段は犬っぽい感じがするけど、中津川さんのストーカーを追いはらった時とか、私を庇ってくれる時とか凄く男っぽくなるよな、って」
「俺犬っぽいですか?」
「うん。言われない?」
「別に言われたことないですけど……それに、どっちかって言うと今はオオカミでは?」
にやりと笑ってそういった瞬間、彼が私の肩を抱いて口づけた。突然のことに呆気にとられ、頭の中が真っ白になる。
そしてそのままゆっくりと私を倒し、いつの間にか背中に冷たい床を感じていた。とてもスムーズで無駄のない動きだった。それに身を任せたまま、私は体を強張らせている。
家に誘ったのは自分だし、こういうことを想定していなかったわけではない。お互いいい大人で正式に付き合っているのだから自然な流れだ。
ただ頭の中でいろんな意見がぐるぐる回る。今までモデルみたいな人ばかりを相手にしてきた彼が、私みたいな凡人相手で大丈夫だろうか? とか、信じてはいるけどやっぱり一、二か月で終わったらどんな顔して仕事をしよう、とか、私はそれほど経験も多い方ではないので何も応えられないかもしれない、とか。
心配事が重なり肥大化する。それでも、どこかで期待する気持ちもあって複雑だ。好きな人とは、ちゃんと触れ合いたい。
けれど二人で床に倒れ込んだ後、彼がゆっくり顔を上げて私を見下ろした。
「……どうしたの?」
髪を垂らしてこちらを見下ろす霧島くんは、じっと何かを考えるようにしている。
もしや、すでに何か私がやらかしてしまっただろうか。キスが下手過ぎたとか!?? それとも口臭!!?
「ご、ごめん、何か私……」
「今日、言おうと思ってたんです。勝手ですけど俺、考えて決めました」
「……え、何を……?」
「『そういうこと』は、時間をかけて行こうと思っています」
ふざけているわけではなく彼は本気でそう言ったので、きょとんとしてしまった。
「……え? 急になんで?」
「俺が先輩を好きってことは理解してもらったと思いますけど、でもきっと先輩まだ信じ切れてないところもあるでしょう? すぐ終わっちゃうかも、とか思ってません?」
彼に痛いところを突かれてぐっと言葉に詰まった。確かに、そういう不安が全くないとは言えないからだ。霧島くんがこれだけ全力で気持ちを伝えて来てくれているのに、失礼だと分かっている。
「……ごめん、これは単に私が自分に自信がないだけなの……」
「違います。今までの俺がいけなかったんです。信頼されないのもしょうがないと自分でも思います。でもだから、小さなことから積み重ねていこうと思っています。とりあえず、二か月過ぎるまで我慢しよう、って決めたんです」
そう言って優しく微笑んだ。
私が心のどこかで不安に思っていることを見抜いて、彼なりに考えてくれているのが嬉しく思って胸が温かくなった。付き合うって返事をしたくせに、まだごちゃごちゃ考えているこっちが悪いのに。
彼はとことん優しい。今、私を見下ろすその瞳さえも。
「あ、ありがとう……」
「んーでも先輩の表情を見るに期待されてたのかなって感じもするので、そうなら全然俺は進みますけど?」
「べっ! 別に期待なんてしてない!」
つい顔を熱くして言い返す。その反応は、図星ですと言っているようなものだと自分でも思ってしまったので、気まずくなってしまう。
霧島くんは少しだけ目を丸くする。
「に、二か月あったら私もありがたいかも! 最近太ってきちゃってお腹何とかしたいなーって……多少は絞れるかもだし!」
やけに早口にそういって誤魔化す私を見て、霧島くんは深いため息をついた。そして、赤い私の頬を撫でた。
「あー可愛いなー可愛くてむかつくくらい……つらい」
「え、怒らせた?」
「自分で提案しておきながらすでに後悔してます……」
霧島くんががくりと項垂れてそう呟いた。その光景が何だか可愛く見えて、私は少し笑ってしまい、手を伸ばして彼の頭をそっと撫でた。
「でも、嬉しかった。霧島くんはいつも私に誠意を見せてくれるから、安心する」
「……もう」
彼は少し顔を上げて私をむっとした顔で見る。けれどその後すぐに、何かをひらめいたような顔になった。
「言った言葉には責任を持ちますね、最後まではしません。でも先輩も期待してるようだし、途中までなら許されますよね?」
「……えっ」
「俺のいかがわしい欲も我慢しきれそうにないですしね。すこーしだけ」
「……え!!?」
「だって可愛い事言ったり頭撫でたり、先輩煽ってるもんねー」
「煽ってなんか……!」
すると彼は再びキスをしてきて、私の口を塞いでしまった。こちらの反応を窺うような優しく、それでいて熱いキスで、頭がすぐにぼうっとしてくる。
ふわりとどこかで嗅いだことがある爽やかな香りがして何だろう、と思ったけれど、霧島くんの家でシャンプーを借りた時の香りだと思い出した。そういえばこの香り、結構好きだな。私もこのシャンプーに変えてみようかな、なんて。
とんでもなく緊張しているのに不思議と心地よさも感じるのはなぜなのだろう。高校生の頃から知っている霧島くんとこんなことになっているなんてなんだか未だに信じられないが、もちろん嫌ではない。ただひたすら恥ずかしいのと、戸惑いがあるだけ。
とにかくキスについていくのに必死になっていると、ふと胸の圧迫感が緩んだことに気が付いた。ハッとしてつい、声を上げてしまう。
「う……わあ!! イリュージョン!!?」
全く知らない間に下着のホックが外れていたので、私はそんな素っ頓狂な声を上げた。だって、床に押し倒されている状態なのに! 彼の手が背中に滑り込んできたなんて全く気付かなかった。それとも、それだけ私がキスに必死になってしまっていたのか? そうだとしたらただひたすら恥ずかしい。
「ぶはっ。イリュージョンて」
「び、びっくりした!」
「ムード皆無! でもそれなんか先輩らしくて好き」
少し笑った霧島くんが、私の頬にキスをした。でもその唇が首元に下りてくると、私はもうイリュージョンだとかそんなことはどうでもよくなって、ただ彼に身を任せて吐息を漏らすしかできなくなった。
結局、確かに最後まではしなかったものの、いろんなところに自分の物といわんばかりのマーキングをつけられ(やっぱり動物なの?)お腹も見られた。二か月後に絞ってももう意味がない。
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