*第三十四日目 六月十四日(土)

 本日は、五時の目覚ましで目を覚まし…カーテンと曇りガラスの窓を開けると、一面濃い曇り空。

 朝食前に出発の準備をしていると、開けておいた窓の外から、ポツポツと雨粒の落ちる音。まだ、さほどの降りではないが…。


 六時から、一番で朝食。

 メニューは…焼魚・で卵・漬物・味噌汁、御飯二杯にお茶。

 ちょうど食べ終える頃、他の人達が登場。

 先に席を立ち、六時半前に出発。


 雨はポツリポツリ程度。傘は要らない。

 先ずは、食料調達。昨日横断してきた「県道48号」へ戻る。

『すぐそこ』くらいに思っていたのだが、コンビニの見える直線道路は、実際に歩いてみると結構あった。

 今日は、街を抜けると山道となる。そこで、少し多目に食料と飲物を買い込む。

 目覚めのモーニング・コーヒーを飲んで(ただし缶)、本格的にスタート。


 来た道を戻らず、県道を先へ。すぐ先の、市街地方面へ斜目に入る道へ。ドンピシャリで、目指す役場横に出る。

 ここからは、ガイド・ブックに書いてあった通り。

 その先の、まだ開店していないスーパーの前を右折すれば、「丹原」の中心地。曇りの土曜の早朝。人影はほとんど無い。

 次の目標は「丹原温泉」。街中を、感覚的にはかなり歩き、少々不安になってきた頃、左側に「丹原温泉」という古い銭湯。その先を左へ。

 路肩の狭い普通の道。ここを、霧に煙る山並に向かって歩く。街並を出るに従い、ポツポツと来ていた雨粒が、遂に本降りに…傘を差す。

「中山川」という大きな川を渡る頃には、すっかり「丹原」の市街地を出る。あたりは田園風景。でも、こんな天気の日には殺風景だ。


 その先で「国道11号」を越え、少し行った右側に、番外霊場「石鎚山いしづちさん 妙雲寺みょううんじ」。


 本尊に「大日如来」をまつり、宗派は「真言宗高野派」。

 天平五年、「石仙道人」の開創とも云われるが、詳細は不明。

 火除けの霊験があるといわれている場所。


 道路向かいの駐車場に、屋根のある納屋風の建物。ここで雨宿りしながら、最初の休憩。

 雨足は、いっそう強くなる。ここでポンチョ着用。

 そこに、昨日中学校前で行き会った、そして多分、昨晩同じ宿だった(ナゼか、まったく顔を合わせなかった)若者がやって来る。少し話をして、彼は先に行く。


 ここからは、徐々に上り始める退屈な道。雨は降っているし、それでなくとも険しい山々が迫っていて、見通しが利かない。淡々と歩くのみ。

 ただし、幸いな事に、道はず~っと舗装されているし、傾斜も思ったほどきつくはない。歩道は無いが、通る車もほとんど無い。

 途中(地図上では、先の「妙雲寺」から5キロ弱)、左手の林に「八幡神社」という小さなおやしろ。でもヘビはいるし、この天気のもと、雨に打たれた森の中。休憩できるような場所ではない。

 結局、そこからさらに1キロ強。舗装路が、張られたロープで行き止まり、登山道が始まる所まで歩き続ける。


(最後の区間は、最近整備されたのだろう。ガイド・ブックでは、破線の表記=未舗装路になっている。実際、舗装はまだ新しそうだ)。


 道路右側。大きく回り込んだ右カーブの内側が、パーキングになっている。「四国のみち」休憩所&トイレもある。

 そうそう、ここに着く少し手前。下から上がって来た、軽トラに乗った初老の御夫婦。助手席に座っていたおばさんに飴を頂く。こちらがここに到着すると同時くらいに、ここを出て下って行った。

 屋根付き休憩所には、先客が一人。二台停まっている軽自動車の一台。地元の人と思われるおじいちゃんが、タバコを吸っている。山菜採りか何か? ハイキングやお遍路さんでない事は確か。あれこれ話をしながら、ビショビショになったTシャツを着替えるが…訛りのきついおじいちゃん言葉。よく聞き取れない。

 おじいちゃんが立ち去った後、トイレを済ませてから合羽フル装備。ここからは、傘を差しながら行けるような道ではない。

 そこに、同宿だった息子さんと、続いて髭のおじさんが到着。お父さんは、少々遅れている模様。こちらは先に発つ。


 舗装路脇からの登山道入口には「2・2キロ」とある。

 登山道は森が深く、いっそう薄暗くなる。じかに雨粒は落ちて来ないが、枝や葉を伝った大粒のしずくが垂れて来る。

 所々、石や木の階段があるが、特別急だったり、長い登りも無く…合羽を着ており歩きづらいが、途中でペット・ボトルをあおりながら…

『アレ?』

 意外なほどアッサリ、山門が見えてくる。『下手をすれば、上で一泊』などと思っていたのに拍子抜け。


《第六十番札所》

石鎚山いしづちさん 横峰寺よこみねじ


  本尊 大日如来(伝 行基菩薩作)

  開基 役の行者 小角おづね

  宗派 真言宗御室派


 明治初年の「神仏分離令」で一時廃寺となるが、明治四十二年、「横峰寺」として独立・再興される。


 森を抜けると、土砂降りに近い降りに気づく。

 山門をくぐって、先に休憩。納経所手前の休憩所。壁・窓・戸は無いが屋根があり、雨・風はしのげる。中は結構広い。

 ここに昨日の女の子と、先ほどの若者。二人が話をしている間に、ビショビショのTシャツから白衣びゃくえに着替える。

 若者、女の子の順で出発。こちらは朝買った菓子パンを食べながら、もう一息。時刻はまだ十時だ。

 そのうち、三人組が順次到着。彼等にしても、予想に反して楽な道程みちのりだった模様。きつい行程を見越して、ここから「石鎚山」方面に10キロ足らずの所に宿を取ってあるようだ。今度は、どうやって暇を潰すかの算段。まあこんな天気の日だ。ゆっくりのんびり、無理をする事もないだろう…が、こちらはそういう訳にもいかない。

 三十分ほど休んだところで出発しようと、身支度を整えていると…反対方向から登って来た、三人組と顔見知りのおじいちゃん。道の情報を得る。下りも、大した事はなさそうだ。この時間にここにいるなら、ずい分先まで行けそうだ。

 石段を登り、本堂と大師堂にお参り。

 そのまま進めば遍路道。右への道には「バス乗り場」と書いてある。『バスが来てるの?』と、さらにガッカリ。


 そこから先は、林道風の下り道。

 少し下った所で…『アレ?』。下から登って来る二人組。こちらに向かって手を振っている。よ~く見れば…合羽を着込んだTさんとユキちゃん。数日ぶりの見知った顔。ユキちゃんも元気そうだし、二人ともニコニコしているので、何だかとても懐かしい気分。昨日は「丹原」まで来られず、こちらがこれから向かう方面に向かったそうだ。


(先ほどのおじいちゃんもそうだが、このお寺は、次の六十一番を先に回って打ち戻った方が、効率は良いようだ)。


 上りと下りなので、ユックリもしていられないが…あいにくの天気に滅入っていた気分が、一気に軽くなる。「今日は○○温泉」と、ふもとの宿の名をげていたのだが…。


 そこから道は、下りの山道。

 スリッピーな路面に足裏を滑らせ、尻餅を着きそうになったり…

 平坦な場所では水溜りがすごい…

 おじいちゃんの言葉通り、登りの場面も多少あり…

 昨日もらった杖は、役に立っているような(登りでは第三の足、下りではつっかえ棒)、邪魔なような(狭い山道では、長さを持て余してしまったり、手がふさがっているのでバランスが取りづらかったり)…

 途中で一度、ペットのお茶を立ち飲み休憩。6・5キロほどの道程みちのりを、二時間の予定でほぼ二時間。

「六十一番奥之院―番外霊場 白滝」に着く。

「不動明王」をまつり、滝の行場があるそうだ。


 道路右側にコンクリート製の建物。人の気配がある。

 その先で、道は舗装路に。左に「四国のみち」休憩所があるが…中に張られたテントで占拠されている。脇にはママチャリ。白衣びゃくえが干してあるので遍路さんなのだろうが…入りづらいので素通り。

 そこからテクテク3キロ弱。すっかり山を下って午後一時、次のお寺の敷地に入る。


《第六十一番札所》

栴檀山せんだんざん 香園寺こおおんじ


  本尊 大日如来

  開基 聖徳太子

  宗派 真言宗単立


 約1390年前、「用命天皇」の御病気平癒を祈願して、「聖徳太子」が創建。

「弘法大師」が逗留中、難産に苦しむ婦人に加持して安産を得られたとの伝説から、「子安大師」の名で知られる。


 お参りの前に、駐車場のはずれで着替え。いつ降り出してもおかしくない雲だが、今のところ雨は上がっている。

 合羽はすべて脱ぎ、素肌に長袖シャツ、それにナイキのキャップ。

 生乾きのコンクリート塀に持たれて、遅めの昼食。今朝コンビニで買ったおにぎりと、この敷地内で買ったホットの缶コーヒー。

 でも、再び雨。見回せば、一番近い雨宿り出来そうな場所は…まだ新しいコンクリート建屋のトイレ。

 しかし、さすがに中で食事する気にはなれない。屋根には、わずかばかりの出っ張り。外壁に張り付き、その下に入って傘を差す。

 遠くに、例の女の子が出て行く姿。こちらは、食事&休憩を済ませてからお寺へ…と言っても、ここは変わったお寺。「どうして・いつから」こうなったのかは知らないが…建物は、「ビル」と呼べるほど大きな、角ばったコンクリート製。博物館や近代美術館といった造り。

 先ずは正面の、ドアが開いている所。そこから建造物の中に入り、左手の階段を上がって本堂(?)へ。金色の像が安置されている。

 一人では入りづらい雰囲気だが、雨とはいえ土曜日、どこへ行っても団体さん。いつもならウンザリするところだが、ここではこれ幸い。

 先ほど靴下を履き替えた際、その上に履いたコンビニ袋のままスリッパを履き、団体さんと共に中へ。お参りを済ませる。


 ここからは、少し旧道を歩く。雨の方は、時折ポツポツ程度。だがまだ油断は出来ない。

「へんろマーク」に従い、「国道56号」に出て右折。東進して「小松町」の市街地に入る。それほど大きな街ではないが、通りの多い国道には歩道が無い。

 続くお寺は、この街の国道沿いから少し左に入った所。


《第六十二番札所》

天養山てんようざん 宝寿寺ほうじゅじ


  本尊 十一面観世音菩薩(伝 弘法大師作)

  開基 弘法大師

  宗派 天台宗高野派


 天平年間(708~781)、伊予一国一の宮の御法楽所として建立。

 洪水のため、再三被害を受け荒廃したが、天養二年(1144)に再建。

「天養山」と改号。後に「弘法大師」により本尊が安置される。

 天正十三年の兵火で焼失。

 寛永十三年に「宥伝上人」が再興。

 大正十三年、予讃線開通のため現地に移転。


 本堂は工事中。狭い境内には結構な人出。ここでは先の女の子とスレ違う。

 さっさとお参りを済ませて、先ずは旧道。JR「伊予小松駅」前から国道に出る。前方には女の子の姿。

 次のお寺までは1・5キロ。やはり国道を、左側に少し入った所。


《第六十三番札所》

密教山みっきょうざん 吉祥寺きっしょうじ


  本尊 毘沙門天(伝 弘法大師作)

  開基 弘法大師

  宗派 真言宗東寺派


 弘仁年間、「弘法大師」により「坂元山」に創建されたが、天正十年、兵火に遭い焼失。

 万治二年(1659)、現地に再興される。

 ここには「長わずらい封じ」(通称 ポックリさん)のお札がある。


 前のお寺とここは、距離も近いし雰囲気も似ているので…印象が薄い。

 お経を上げているのであろう先ほどの女の子。納経もしていない人間は、さっさとお参りを済ませて国道に出る…と、対岸の遍路札に気づき、道路を横断。

 このあたりから旧道に入るのだが…国道から少し入った所に、手持ちのガイド・ブックには載っていない番外霊場「芝之井御加持水」。


(苦労して水を運んでいる老婆から、一杯の水を差し出された「弘法大師」。錫杖しゃくじょうで地を突き、水を湧き出させたと云う井水)。


 変な方向に進んでは、後が面倒だ。再び降り出した雨に傘を出し、ついでにガイド・ブックを取り出していると、さっきの女の子。

「ヒック!」と、シャックリしている。「朝から止まらない」のだそうだが…彼女のガイド・ブックによれば、このまま行けば良いようだ。

 そこで突然「ヒック! 忘れた!」。

 ここで彼女は杖を忘れた事に気づき、あわてて引き返す。でもまあ幸運。ここでこんな事をしていなければ、そのままになっていたかもしれない。

 その間こちらは、少し休憩。戻って来た彼女には、先に行ってもらう。何しろ彼女はスタスタと速いし、こちらはすでに残り3キロ。Tさん達が言っていた宿に予約済み。宿の少し先に次のお寺があるが、納経しているわけでもないから、遅くなろうと明日になろうと構わない。

 ここまで来たら、もう焦る必要も、急ぐ用事も無い…が、こうなると、急に足がダルくなって、ペースがガタンと落ちるのが毎度の事。ゆえに、ここからの道程みちのりは…体感的には長かった。


 湧水の出ている番外霊場を回って、細い旧道が遍路道。はっきり言ってこんな日は、古い民家が並ぶだけの旧道より、歩道があるなら国道を歩きたい気分。

 途中、道路右側に小さな神社。「丹民部神社」とある。社務所のプレハブ前には、屋根があって、ベンチがあって、自販機もある。時刻は三時二十五分。ここでしばし休憩。

 ここは「丹民部塚」。つまり「丹民部」のお墓。地元の有名な伝説の人物らしい。


 降ったり止んだりしていた雨は、このあたり以降は小康状態。

 そこからさらに行けば、右側に「石鎚いしづち神社」の鳥居が見えてくる。

 ここには、寄らないわけにはいかない。

 厚い雲に覆われた夕方近く。もうあたりは、かなり薄暗い。でもおかげで、人気ひとけがほとんど無くてグッド。

 本殿まで上がってみる。

 ここは良い所だ。神聖で荘厳な空気が漂っている。ピリッと身が引き締まり、姿勢も足並みもシャキッとする。

 ここの御神体は、背後にそびえる「石鎚山いしづちさん」。


(まったく姿は見えないが)。


 山道入口もある。「やはり登るならここから…」といった感じ。機会があったら、登ってみたいものだ。

『晴れていれば、瀬戸内海が望めて綺麗なのだろう』と思いつつ、そこを後にする。


 そこから次のお寺までは、たったの200メーター。

「お隣りさん」といった感じで、道路右手の境内へ。


《第六十四番札所》

石鎚山いしづちさん 前神寺まえがみじ


  本尊 阿弥陀如来(伝 役の行者作)

  開基 役の行者 小角おづね

  宗派 真言宗石→派(総本山)


「天武天皇」の御代、役の行者「小角」が開創。

「石→蔵王権現」をまつる。

「桓武天皇」が病気平癒を祈願され、霊験著しき由、勅願所となる。

明治初年の「神仏分離令」により、「石鎚神社」内から、「塔中寺 医王院」であった現地に遷座される。

(ここの「づち」も、正しくは「金」へんに「夫」です。また、「→」も、正しくは白ぬき矢印です)。


 もう四時を過ぎていたので、閑散としているが、人の姿もチラホラ。

『神様(石鎚さま)の前だから「前神寺」というのだろうか?』などと思いながらお参りを済ませ、今来た道を突っ切って、数百メーター先で国道に突き当たれば、道路の向かい側、ほぼ正面に本日の宿。

「○○温泉」と名うたれた、大浴場のある「銭湯」というか「サウナ」というか…今風に言えば「健康ランド」。それほど大きくはないが、それに付随して、宿泊設備もある施設。

 正面ロビーから中に入って、カウンターで受付しようとしていると、後ろから呼ぶ声。振り返れば、Tさんとユキちゃんだ。自分達で言っておきながら、ここの予約が取れなかったと言う。


(実際、満室のようだ。こちらだって、予約を入れた時には、宿泊者用の夕食は〆切しめきり後だった)。


 少し先にある、もう一軒の宿に泊まるそうだ。二人とは、そこで別れる。


 大浴場前は、土曜日という事もあって、結構なにぎわい。

 そこを抜け、奥の宿泊棟へ。二階へ上がった、右奥の角部屋。詰めれば四人は泊まれそうな畳敷きの部屋に、一人で泊まる。

 いったん部屋に入り、先ずは洗濯。館内のコイン・ランドリーへ。タオルやマットを洗っている洗濯係りのおばさんと話をしながら、洗濯物を放り込む。

 風呂に入る前に、部屋に戻って合羽を干したり荷物の整理。洗濯が終わる頃合いを見計らって風呂へ。

 先ずは洗濯物を乾燥機に移す。三百円で三十分。

 その間、大浴場へ。ジェット・バスや露天の打たせ湯。釜風呂(木炭のスチーム・バス)、そして普通のお風呂。


(サウナと赤い薬湯は、混雑していたのでパス)。


 風呂を出れば、乾燥終了数分前。先ほどのおばちゃんと話をしながら、洗濯物を引き上げる。

 部屋へ戻って、本日の記録を六時半まで。

 お腹が空いたので、大浴場前のレストラン…と言うより大食堂へ降りて行く。

 珍しく長風呂したせいか、座敷に座って、先ずは生ビールの中ジョッキ。

 その後、本日のメイン・ディッシュは、料金控え目の「ラーメン&チャーハン・セット」。味はまあまあ、量はもうちょっと欲しかった…で、終了。


 今晩は、テレビで放映中の「超能力捜査官」番組を見ていて、本日の記録、なかなかはかどりません。

 前にも書いた「ダウジング」(棒や振り子で金鉱や水脈を探り当てる技=弘法大師「ダウザー」説)も紹介されている。


 それを見ていて思いついた小噺こばなし

 砂漠で遭難した冒険家。

 水を探そうとダウジングを試みるが、掘り当てたのはなんと「石油」。

『生きていれば大金持ちになれたのに…』と息絶える。

 おそまつ。


 明日はお寺の無いLong Walk.天気はどうだろう?

 館内は暑いし、夕食は少々物足りなかったので、これから仕上げにフロント前の自販機で、アイス、買ってしまおうかと思っています。



本日の歩行 36・37キロ

      47235歩


累   計 1205・07キロ

      1565590歩

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