第4話 彼女の看病
なんだか額が冷たくて気持ちいい。
嫌な夢でも見ていたかのように、そっと目を開ける。
「あ。おきた?」
意外すぎる顔がそこにはあった。
「渡良瀬、さん……?」
「うん。そうだよ!」
底抜けに明るい声が返ってくる。
なんで? てかどうやって?
「学校は!?」
「サボっちゃった」
テヘペロという言葉がよく似合う可愛らしい笑みを浮かべる渡良瀬さん。
「単位、たりなくなるよ」
ずれ落ちそうになった額の冷えピタを貼り直しながら、上体を起こす。
「まだ大丈夫だよ」
根拠のない答えを返してくる。
そんな彼女らしさが頬を緩ませる。
「笑ったところ初めてみた」
「笑っていないし」
私は気を持ち直す。
渡良瀬さんに恥ずかしい顔を見せた。
「笑った、って!」
「笑っていないよ」
押し問答。
頑なに言う渡良瀬さんに私は白旗を上げる。
「はいはい。そうですね」
「笑った顔、可愛かったな〜」
渡良瀬さんの吸い込まれそうな茶色の瞳がこちらを捉える。
「ねえ。笑ってよ」
「そう言われてすぐに笑える人がいると思う?」
ジーッとこちらに視線を向け続ける。
「確かに」
ふむふむと納得した様子の彼女。
良かった。
これで変なことは言わないだろう。
「代わりに物理的に笑わせるよ」
そう言って手をわさわさと動かす。
「ちょっと……待って!」
「うりゃうりゃ!」
渡良瀬さんは私の身体をこちょこちょし始める。
「ひゃん!」
変な声が出る。
「あ。脇腹が弱いのかな?」
イタズラちっくな笑みをもらす彼女。
「ふふ。可愛い」
こちょこちょされていたせいか、私と渡良瀬の距離は近い。
ふいに渡良瀬さんが顔を近づけてくる。
甘いいちごのような香り。
柔らかそうな唇。
とろんとした顔。
優しい吐息。
トクンと跳ねる心臓。
私、これから何をされるのだろう?
不安と期待が綯い交ぜになった気持ちで目を閉じた。
私の頬に手が触れる。
――と、
「うん。まだ熱あるね」
額と額が触れ合う。
「そろそろお昼にするね」
渡良瀬さんはそう言うと一階にあるキッチンに向かう。
「あー。びっくりした……」
私は落ち着いてきた心臓の辺りを撫でる。
依然体調は悪いけど、でも少し良くなった。
手がラノベに伸びる。
「乃々葉ちゃん。できたよ」
キィとドアが軋む音がする。
文庫本から顔を上げてそちらを見る。
「それ小説?」
「あ。うん」
咄嗟にラノベを隠す。
絵柄がちょっと露出の多いものだから、バカにされると思った。
「なんで隠すのよ」
何か可笑しいことでも見つけたように、上品な笑いをする。
でも嫌味や嫌悪は感じない。
屈託のない笑みだ。
「そうそう。小粥だよ」
渡良瀬さんはお盆に乗ったお皿からスプーンで掬う。
「え? なに?」
「はい、あーん」
「自分で食べられる」
恥ずかしさ私は顔をプイッと背ける。
子ども扱いされるのが我慢ならなかった。
心の内に秘めた甘い誘惑を断ち切り、私は手を出す。
スプーンを奪い取り、口に含む。
「あ」
懐かしい味がした。
母の手料理に近い。
この味好きかも。
「これでもわたし、料理教室に通っていたの。得意なんだから」
長い袖を捲ってみせる。
「ふっ。なによ、それ」
たまらず微笑んでしまった。
「その顔好き。食べたい」
「いや、今食事中」
ギュッと抱きついてくる渡良瀬さん。
私は困惑した。
そのまま食事をする私。
「少しはときめいてよ」
渡良瀬さんは唇を震わせる。
妙に生っぽい。
私は小粥を置き、ポンポンと背中を叩く。
「わたし、ずっと好きだったんだよ?」
同性で、あり得ない。
自分はそう割り切れるけど、彼女は違うのかもしれない。
なんだか渡良瀬さんの早い鼓動が伝播してくるような気がする。
暖かく優しい鼓動。
こんなにも心があったかい人は初めてかもしれない。
でも。
「私は普通の恋愛がしたい」
身体を離す。両手で渡良瀬さんの肩を掴む。
「普通だよ!」
必死な顔をする渡良瀬さん。
彼女にとってはそうかもしれない。
「わたし、こんな気持ち、初めてなの」
「そんなこと言われても……」
私は気乗りしないのよね。
恋人じゃなくても、遠くから眺めていればいいだけじゃない。
恋なんて、傷つくだけなんだから。
だから私は一生独身でいい。
父を見てその気持ちがますます強くなった。
「何かあったの?」
優しげな気遣うような声が耳朶を打つ。
「ええっと。ははは」
乾いた笑みがもれる。
だが、その裏の気持ちを知ったのか渡良瀬さんは困ったように笑い返す。
「付き合う……まではいかなくても、友達になれないかな?」
「とも、だち……?」
私はその言葉に困惑する。
友達なんて本当にいるのかな。
私には分からない。
ふるふると力なく頭を横に振る。
私には友達なんていらないもの。
うつむき、暗い影に視線を落とす。
「……ふーん。かわいい」
「え。へ? その反応なに!?」
私は渡良瀬さんの言葉にびっくりして顔を上げる。
「なんだか強がっているみたい」
「……。そんなことないよ」
私は視線を逸らし、先ほどまで温かったお椀を見つめる。
「ん。お腹すいた?」
「いえ。そういうわけじゃないけど……」
「ふーん」
首を巡らせる渡良瀬さん。
くりくりとした大きい目が室内を見聞する。
「なんだか、寂しい部屋だね」
そう言われて胸がずきっと痛む。
「別に、あんたには関係ないでしょ」
乾いた心が生み出す棘のある言い方。
しまった。
と思った時には渡良瀬さんは困ったように眉根を寄せる。
「そうだよね。ごめんね。しつこくしちゃって」
ふわりと漂う柑橘系の香りを残し渡良瀬さんは立ち上がる。
「あの……」
ドアから出ようとする渡良瀬さんを呼び止める。
自分が何を言いたいのか分からずに。
「なに?」
彼女を傷つけたかったわけじゃない。
違う。ちがう! チガウ!!
ピシリとひびがはいる。
ひびがはいる。
「私……!」
「ごめん。帰るね」
小さくバイバイと別れを告げる渡良瀬さん。
その手をつかみたかった。
でも私の手は虚空を掴む。
なんにもない、虚空を。
虚しくなった。
私はこんなにも空虚な人間だっただろうか?
ジワジワと湧いてくる感情に押しつぶされそうになる。
楚々とした振る舞いで出ていく渡良瀬さん。
意外とお嬢様なのかもしれない。
頭痛が私を引き留める。
追いかけるだけの膂力がない。
ふらつく。
私は置かれた風邪薬を飲み、床につく。
ああ。なんだか嫌な日だった。
ゆっくりと瞼を閉じる。
寝ている間に全て解決していればいいのに。
恋愛かー。
考えたことなかったな……。
翌日には風邪から完全回復した私はトボトボと通学路を歩く。
なんだろう。
やましいことをしたつもりはないけど、どんな顔で渡良瀬さんに会えばいいのだろう。
そんな疑問がふつふつと湧いてくる。
それに自己紹介の「男に興味がない」発言は本気だったらしい。
彼女、まさか同性愛者だとは知らなかったな……。
でも男性って怖いイメージある。
私も理解できる気がするけど……。
学校に着くと自分の席に座る。
私への噂は小さくなっているけど、なくなるわけじゃない。
ちらほら噂をする生徒がいる。
裏で援交しているだの、先生にこび売っているだの、他の生徒を見下しているだの……。
もう嫌になる。
でもそんな噂よりも、渡良瀬さんの噂が目立つ。
転校初日からサボりがちだし、見た目も派手とは言えないが目立つ。
そして私と一緒にいるところを見た生徒がいるらしい。
結果的に私の話題も上がるが、それ以上に渡良瀬さんの言動が噂になっている。
塩対応な私に必死で話しかける渡良瀬さんの姿。それに「好き」と言われた言葉。
それらの証言が彼女の立場を怪しくしている。
私どうすればいい?
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