お隣の女子高生と百合漫画を描くことになった。
枯花―かか
第1話 お隣さんは女子高生
「すみません……明日には必ず。はい、はい。すみません…………はぁ~」
私は漫画家だ。
漫画家なんて言うけれど、有名でもないし、世間を騒がせた私の漫画なんてこの世にはない。
印税暮らしで楽してるなんて、本当に雀の涙ほどの才能に恵まれた人たちだけだ。
まぁ、そんな天才な人たちも今の私のように、編集者から催促の電話が来ているのだろうと思うと、少し気が楽になる。
でも私は新人で、やっとのことで連載を手に入れても、なかなか人気が得られず、来月まで生きられるのかも危ういという状況。
やっぱり、全然違う。
天才は天才で、私は私。
いくら努力したところで平凡な凡人の一般人。
「ああー!もう!続きが全然描けない!なんでコレが連載取れたの!?面白いかコレ!?読者の思考が分からん!お前らの頭のなかっ覗かせろー!!――――!!」
もちろん一軒家なんて贅沢はできないし、高級マンションでもない。
家賃の安いアパートで一人暮らし。
だからちょっと大声出せば、すぐにお隣さんからお返事を貰える。
「す、すみませぇん……」
何度目の壁ドンだろうか?そろそろ通報されてもおかしくないぞ?
そうなったら、強制退去?
いやいや洒落にならない、お隣は私を殺す気なのか?
……いや、私が悪いんだけどさ。
今度、賄――お詫びの品でも持って行くか。
どんな人が住んでるんだっけ?十九歳で引っ越してその時に挨拶して、今二十四歳だから……それから顔合わせてないや。
なんか小さい女の子いた気がするなぁ。まぁいいか、お菓子とかで。
両手を上にぐぅーっと伸ばすとスマホがまた震え出す。
スマホに表示される【クソ編集者】に私の両手は糸が切れるように落ちた。
「もしもし、はい。もう少しで……え?朝?朝っていつの……明日の?あ、今日?六時間後?」
時計に目をやるといつの間にか日付は変わっていた。
「え?ぜぜっ、全然平気ですよ?なんなら五時間でもいいくらいですっ!あはっは、なんてねぇ!……もしもし?もしもし!?」
編集者が「じゃあ五時間後に」と言った途端に電話が切られる。
まだ人が喋ってる途中だろうが。
六時間でも無理って分かるでしょう?ピリピリした雰囲気を和らいでやろうと思って言った冗談を真に受けやがって……。
確か私の一個年下だったよな?ガキが、真面な職について調子に乗りやがって……底辺漫画家だからって見下してんのか?
「むり……ムリムリムリ!ほんとぉっっっ……にっ!無理だから!!――!!」
恐らく近年稀に見る最大の壁ドン。
すっごい怖いけど、逆にあっちの壁が心配になるくらいの衝撃。
穴開いてないか?賃貸だぞ?無理するなよ?
だから、私が悪いんだって。夜中だぞ?そりゃ怒るさ。私だって殴るね。
今度とは言わず明日お菓子買って謝ろう。
「今日、か……」
叫びたい気持ちも、暴れたい衝動もなんとか抑えて、私はついに原稿を完成させることができた。
朝日を眺めながら飲むコーヒーは、なんでこんなにも美味しいんだろうか。
「
「……でも、本来の六時間だったら、間に合ってるんで、ね?」
「無駄に四十六分待たせたという、罪の意識はないのですか?」
彼女はまるでロボットのように表情を一切変えない。笑った顔なんて見たこともない。
私よりも小柄で、年下で、年上の私なんかよりちゃんとした職についてる。
そんな可愛げも敬意もない彼女は私の編集者。
新人の私に新人の編集者。あっちからしたら私なんていい練習台だろう。
新人漫画家にベテランの編集者は勿体ないってか?
「それについては、すみません……でも、私だって――」
「頑張っているなら、こうはなっていないはずです」
名前の通り氷の粒が私に飛んでくる。
真面目すぎるほどにキッチリしたスーツに身を包み、長いのは邪魔と言わんばかりの薄っすらとした栗色のショートボブ。
何を考えているのか分からないロボット顔だけど、私から見たら背伸びした子供にしか見えない。
彼女は年下だけど、私の相棒でもある。お互い不本意かもしれないが。
「次は、余裕をもって頑張り、ます……」
「当たり前です。では、原稿は確かにお預かりしました。お疲れ様です」
踵を返し彼女は会社へ向かおうとするが、私は呼び止める。
年下に頼るのは情けないかもしれないが、今はそんなこと言ってられない。
家に引きこもって漫画を描いている私なんかよりも、絶対に知ってるはずだ。
「
「……お菓子です、か?」
彼女は少し俯き、考える。……多分、考えているはず。
「駅前のお菓子屋さんが人気ですね。その中でも特にシュークリームが大人気で、開店して三十分で売り切れになるほどです。すごい時は一時間前に列ができるほどに、それと少々値は張りますが、十分に値する味だと私は思います。シュークリームだけではありません。他の物も大変美味しいですが私は。あの濃厚な――」
「あぁ、うん、分かりました!駅前のね?ありがとうございますっ!」
「……では、失礼します」
ものすごい早口で喋る彼女の姿に私は、少したじろいでしまった。
半ば強引に話しを割り、彼女を見送った。
「……チーズケーキがおススメです」
玄関のドアがゆっくりと閉まる中、彼女はぽつりと零した。
足音が次第に小さくなっていくのが聞こえ、私は思う。
「どっちだよ」
ため息まじりの深呼吸をして、眠い頭を覚まそうと私はシャワーを浴びに行く。
売り切れだろうがなんだろうが、どうせガキなんて甘ければ甘いほど好きな生き物なんだ。
わしゃわしゃと乱暴に長い髪を洗う。面倒くさくて、いっそ彼女みたいに短くするかって想像するも、似合わないな、と自分の想像を一蹴する。
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「…………」
心の中で「もしかしてめっちゃ寝た?」なんて思いながら、ゆっくりと目を開けて時計を見る。
動作もこれまでにないくらい冷静で、自分でも「すっげえ冷静だなぁ」って思った。
時刻は十七時過ぎ。
「…………しょうがないじゃん。徹夜だったんだから」
半日寝ていたせいか、体中が悲鳴を上げる。
だるい体をなんとか起こし、とりあえず教えてもらったお菓子屋を検索し、閉店時間を調べた。
お菓子屋って十九時くらいまでやってるイメージだなぁって思いつつ、この時はまだ私は冷静だった。
「十八時?……駅まで十五分くらいだから?……」
体中に冷たい血が一気に流れ出すのを感じた。
ここで私は初めて焦りを感じる。
飛び跳ねるように洗面所に向かい、鏡に写し出される自分を見る。
乾かさずに寝たせいで、あっちこっちに跳ねたボサボサの髪。枕の跡が付いた頬。スッピン。
コンビニならマスク帽子でいいかもしれない。
でも今から行く場所は大人気のお菓子屋だ。若い女に、裕福そうな恰好をしたおばさんがいるに決まってる。
私だってまだ二十四の女。周りは見ていないかもしれないが、私が気にするんだ。
それにお隣さんにも会うんだ。
漫画家だからって、見くびるなよ……。自分の顔も描けないで漫画なんか描けるかっての!!
化粧で二十分、移動で十五分、十分それで間に合う。
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「いらっしゃいっ――!ま、せぇ……」
閉店まで残り七分。
思いのほか、化粧に時間を取られてしまい、久しぶりに全力疾走した。
ギリギリでお店の人には申し訳ない。
そんなことを思いながら私は荒い呼吸を整えることなく店内を歩く。
人気店で閉店間際だろうか、やはり品物は少なく、どれもこれも売り切れの札が掛かっている。
シュークリームは、さすがにないか。
というかお隣さんて何人家族だ?やっぱり三人とか?お父さんは、いいか。甘い物はお母さんと娘だけでいいだろう。
どれでもいいと思いつつも、私は真剣に吟味してしまう。
センスが悪いなんて思われるのも癪だし、やはりここは慎重になってしまう。
『チーズケーキがおススメです』
「す、すみませんっ、チーズケーキってありますっ?」
「は、はい。こちらに、残り二つになりますが」
しっとり濃厚レアチーズケーキ。
その名前に私は、彼女の言葉を信じることにした。
「これ、二つください」
「ありがとうございますぅ」
閉店時間と共に店を出て、私は小さく息を吐いた。
後はお届け、か。
あ、緊張してきた。なんて言って渡せばいいんだろうか?
『いつもお騒がせしてすみません!お詫びの品です!』
『壁大丈夫ですか?穴開いてません?甘い物でリラックスしてください!』
普通でいいか。
一応頭の中でお隣さんとの会話練習をしながら夜の街を歩いた。
雑踏の中ですれ違う人たちは幸せそうで、子連れの夫婦は微笑ましく、少しだけ幸せを分けてもらえた気がする。
同じ年くらいのカップルには殺意が出る。
……恋愛かぁ、どんな感じなのかなぁ。
人気が出るならバトル漫画って決めつけて描いてるけど……正直今のままじゃアニメ化どころか、打ち切りの電話が来てもおかしくない。
恋愛漫画も人気が出れば……だけど恋愛をしたことがない私には無理だ。
……今考えてもしょうがない。今の漫画をいけるとこまでいこう。
なんてことを考えながら足を前に進めていたら、あっという間にアパートについてしまう。
ドアの前で深呼吸をして、呼び鈴を押す。表札には
忘れていたから助かった。
ドアの向こう側から微かに聞こえる足音。それは次第に近づき、私の前で止まる。
たった一枚の板の向こうにはお隣さん。
お父さん?お母さん?それとも娘?
誰が出て来てもおかしくない、というよりもうドアが開けられる。そんな状況で私の心臓はバクバクと激しく鼓動する。
「は~い、あ……うるさい人」
「こっ――」
こんばんは。練習してた時は開口一番挨拶からと決めていた。
だが、セーラー制服姿の女の子の開口一番が私の脳を殴った。
ほぼ初対面の人に向かって「うるさい人」なんて言ってくるなんて思わないだろう。
あまりにも衝撃で、正論で、私の頭はぐるぐると回り出す。
「……?どうしました?」
「あ、あの、お隣に住んでる
「こんばんは」
「…………」
「……」
定まらない視線で、もじもじと自己紹介をする。
ここまで緊張するとは思わなかった。そもそもなんでこんなに緊張してるのか?
なんで?どうして?引きこもり過ぎてコミュニケーション能力が落ちてるのか?
でも
「それ、ケーキ?」
女の子が私が持つ白い箱を指差した。
「あ、うん、チーズケーキ。駅前の」
「チーズ、ケーキ……」
「二つしかないけど、良かったら家の人と食べてね」
「……なんでですか?」
「えっと、夜うるさくしてて?お詫び、で?迷惑かけてると思うから?」
しどろもどろで喋る私に女の子はズイっと、体を寄せてきた。
ふわっと香る、控えめな甘い匂い。
そして柔らかな感触が私の足を後退させる。
「な、なに?」
「お姉さんの部屋、行ってもいいですか?」
くりんとした大きな目に私が映る。
ニッと幼く笑う女の子は、女の私でも一瞬だけ心臓を跳ねらせるくらいの可愛い笑顔だった。
「……え?」
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