【転生スパイス短編小説】「スパイスの方舟 ~時を超えた味の革命~」(9,917字)

藍埜佑(あいのたすく)

プロローグ:『時の裂け目に落ちて』

 濃密な熱帯の空気が、マラッカ海峡の朝もやに溶け込んでいた。潮の香りと、どこからともなく漂うクローブの芳香が混ざり合う中、リン・ツォウは目を覚ました。


 頭痛が激しく、意識は霞んでいた。


「ここは……どこ?」


 周囲を見回すと、慣れ親しんだシンガポール国立大学の研究室ではない。木造の建物が並び、異国の言葉が飛び交う港町の一角。着ているのは、見覚えのない藍染めの絹織物の衣装だった。


 最後に覚えているのは、スパイス貿易史における保存技術の研究中、突然の事故に遭遇したことだ。実験室で香辛料の揮発性成分を分析していた時、異常な振動と共に意識を失った。


「まさか……ここは15世紀のマラッカ……!?」


 通りを行き交う人々の服装や、建物の様式。すべてが15世紀半ばのマラッカを示していた。歴史研究者として、彼女はその時代の特徴を見逃すはずがない。


 不思議なことに、パニックは感じなかった。むしろ、自分がこの時代に存在していることを、何か運命のような力が後押ししているような感覚があった。


「私の研究……ここで、きっと……」


 リンは立ち上がり、よろめく足取りで港に向かって歩き始めた。朝日が水平線から昇り、その光は東西の文化が交わるマラッカの街を、黄金色に染め上げていた。

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