1-11
翌週の月曜日午前10時頃、鈴音と松原は東京駅の東海道新幹線ホームにいた。午後であれば先方が対応できるという。岡田から連絡を受け取った鈴音は、松原の分まで出張申請をした。その前に本社へ立ち寄って、情報機器の受け取りをする。
ネイビーのスーツ姿で出社した松原は、今度はワックスを持ってきたと鈴音に話した。これで髪が跳ねてしまっても整えることが可能だ。
「それにしても、松原さんの荷物多くないですか?」
小型のキャリーバッグを転がしていた松原は、どうしてという顔になった。
「いつも機器類を持ち運ぶからじゃないかな。今日もパソコンを入れるし」
「そうですか? どこかに預けるまではボストンバックに入れてしまいますよ」
「すずちゃん、案外身軽なんだね」
ボストンバッグを見つめて、松原は感心している風だった。
あれから、岡田は営業にITシステム戦略部が出張したいという話をした。これには営業にも寝耳に水だったようで、小田原課長の元へ問い合わせが来たらしい。その前に松原からの報告を聞いていた小田原課長は、確かにと取り合ってくれた。
営業も娘の予定で出張が組めなかったこともあり、松原の機転が良い方向に進んだ。
「でも、社長自らが対応するとは珍しいな」
「ええ、普通はIT責任者じゃないかしら」
「まさか責任者が有給……なわけなさそうだし」
「それでしたら、打ち合わせの日程を変更しますよね? まさか不在なのかしら」
「まあ転売だったら社長責任も問われるよね。本当かどうかは別として」
鈴音は、社長の金銭感覚からすると、転売もあり得るのかなと思ってしまった。
早めの昼ご飯を済ませ、松原がうたた寝するのを鈴音は見守った。バッグから分厚い本と筆記用具を取り出す。付箋が貼っているページを開くと、勉強をし始めた。
書籍には表やイラスト、文字が書かれている。その項目をペンでなぞりながら、ノートに記していく。
「あれ、俺寝てた……って、それ、OSIモデルだよね?」
しばらく勉強していたら、横で松原の声がした。書籍には7行の表が出ており、横に鈴音の文字でメモしている。ページの左上には確かに『OSI参照モデルとは?』と出ていた。ネットワークの機能を七つの
「そうですけど……」
「やっぱ勉強してたんだ」
松原がニヤニヤしながら覗き込んできた。
「初めてマザボ見た時、めっちゃびっくりしてたもんね」
「その、恥ずかしくてつい」
初めてノートパソコンの内部を見た時のことを思い出して、頬を赤く染める。
松原は何か思い出したような顔をした。
「あ、情報処理技術者試験の時期だもんね。ITパスポートはいつでも取れるから、セキュマネか基本情報かな?」
「松原さんって詳しいのね。ITパスポートは持っているので、今度はセキュリティマネジメントです。今は基本情報と共にパソコンで取れるんですよ」
松原にとってその情報は初耳だった。私物のスマートフォンで検索すると、確かに数年前から
「俺が取ったときは違ったね。まあ、高専入ってすぐ初級シスアドと基本情報取ったけど」
今度は鈴音の顔が驚きに変わる。
「あれ、松原さんって高専のご出身なんですか」
「うん、高専の情報技術科だけど、何か?」
それなら松原の知識や経験量が豊富なのも頷けた。手に職をつけるという意味では高専は強いが、厳しいカリキュラムで留年も普通高校より高い。そのことを知っていた鈴音には松原が優秀な人だと感じた。
「いえ、知らなかったのでつい。実は、ネットワーク用語が覚えられなくて困っているんです」
鈴音は試験の悩みを打ち明けた。ITパスポートでも用語は覚えたものの、すぐ忘れてしまったようで再勉強していた。
ぐっと松原の顔が近づいてきたので、鈴音は反射的にのけぞった。ページに近づいて何か探しているようだった。お目当てのものが見つかったのか、指をさして説明し始めた。
「ここにあるけど、『アプセトネデブ』が定番かな。アプリケーション層から物理層まで並べた頭文字。試験、受かるといいね」
最後の一言に、つい鈴音はにこやかに微笑んでしまった。
その表情を見て、鈴音は松原が何かを思い出したのではないかと思った。
鈴音がヘルプデスクへ異動してから数日後のことだった。
社員食堂でランチを食べ、好きな作家のトークショーを申し込むために私物のスマートフォンを操作していた。入力フォームに何度、正しい情報を入力してもエラーで進まない。
どうしようと困っていた時、後ろから突然声をかけられた。
「あの、ヘルプデスクへ異動になった阿部さんですよね? 何か困っています?」
後ろを振り向くと、メガネをかけた男性が立っていた。ヘルプデスクチームの同僚でもなければ、会ったことがない。
「あ、俺は情報システムチームの松原大吾なんですが……もしかして、お邪魔でした?」
確かITシステム戦略部のキックオフにいた、少し陰に隠れていた男性だと今になって気づいた。思わず身構えてスマートフォンを胸元へ近づける。
「ごめんなさい。急に声をかけられて誰だかわからなかったわ。今後ともよろしくお願いしますね」
作り笑いをしたが、松原には見抜かれてしまったようだ。
松原がスマートフォンを見ているので、鈴音は松原へそっと差し出した。
「お恥ずかしい話ですが、エラーで進めなくて」
スマートフォンを受け取った松原は、簡単に操作すると何かに気づいたようだった。すぐに鈴音へ返却する。
「ここ、マンション番号のあとに半角空白が入ってる」
画面を見せながら半角空白を削除する。ボタンを押すと確認画面に進み、鈴音はホッとしてしまった。
単純ミスで済んでよかった。
とりあえずお礼をしなければ。鈴音はその場でお礼をすると、松原は手で制した。
「また何か困ったら俺のところまできて。怖がることはしないから、ね?」
そう言って松原は出口の方へ歩いていってしまった。鈴音はその後姿を見送ると、手元の文庫本を再び開いて読書を再開させた。
窓を見ると、東寺が見えた。隣の松原は鈴音に気づかずiPadで何かしているようだ。
「京都過ぎたようですよ。そろそろ出る準備しなきゃ」
「あ、もうそんな時間?」
松原も慌てて窓を見ると、手元に広げていた荷物をしまう準備をした。
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