牙飾りと白いスープ
ダイシャクシギ
白いスープ
「あっつ」
そしてもうもうとした蒸気をかき分けながら、ぐつぐつと煮立った鍋の真っ白なスープを大きな木へらでかき混ぜる。
炊事場は蒸気と熱気で蒸し風呂のよう。
汗で首元に張り付く髪の毛が気持ち悪い。
調理用の野暮ったい服の首元をぱたぱたとさせ、少しでも空気を送り込む。
「ホントにあっつい……」
20~30人分の料理をまとめて作れる村一番の大きな鉄鍋――普通は収穫祭や新年祭でしか使わないものだ――の中で、泡がボコボコと次々に浮き上がっては割れている。
泡に追いやられて煮え立つ汁の表面に集まる灰茶色がかった細かな泡の塊、いわゆる
この作業を昨晩から交代しながらひたすら繰り返している。
「ふぅ……」
大鍋から顔をあげると窓の外に広場の様子が見える。
真夏の澄んだ青空の下、まるで収穫祭の様な賑わいだ。
ついこの前までは常闇の森からやってきた巨大な
「あっちはいいなぁ……」
広場の中央には村の男達が決死の覚悟で倒してきた大牙猪の頭が飾られている。
広場のそこかしこに大なたき火が起こされ、大牙猪の肉串が焙られている。
置ききらない肉串は周囲に立つ人々が手に持って火にかざしている。
鉄の串なんてほとんどないので大半は先端を尖らせた木の棒だ。
キラキラと光る脂がぽたぽたと落ち、肉汁が棒をつたって落ちていくのが見える。
肉の焼ける非常にいい匂いが漂ってくるようだ。
だが炊事場ではそんな匂いが嗅ぎ取れるわけはない。
ここには大牙猪の骨を煮込むひどい臭いが充満しているのだ。
廊下から聞こえる足音で我に返り、慌てて鍋をかき回す。
「どうだい。具合は」
「そろそろいいと思う」
炊事場に入って来た
「ん。いい具合だね。そろそろ具材を入れるよ」
小婆様がそう言うと一緒に入ってきた姉のアイナが大きな籠を持って寄ってくる。
せっかくもうすぐ交代して私が休憩だったのに。
だが小婆様に口答えするわけにもいかない。
アイナに近寄り、籠を一緒に持つ。
「「せーのっ」」
傾けた籠からアイナが切ったであろう野菜がぼちゃぼちゃと鍋に入って行く。
香りづけのいくつかの香草は私が千切って入れた。
「それじゃ、またしばらく煮込むよ。また交代でやんな。味の調整はメルルがやっとくんだよ」
それだけ言うと小婆様はさっさと炊事場を出ていった。
くそ婆め……
せっかくのお祭りだっていうのに、なんで私たちだけ。
アイナがこっちを見て言う。
「メルル。先に広場行って遊んできなよ。ずっと鍋の番してたんでしょ?」
「でも……
「いいよ。
「あ、あいつとはそういうのじゃないし!」
不意に出た
べ、別にあいつのことなんて……
「ふーん……じゃぁやっぱり私が先に休憩してルークのところに行ってこよっかなー。どんなふうに狩ったとか聞いてみたいしー」
「だ、ダメっ」
猫のように笑うアイナに対して思わず大声を出しながら腕にすがってしまった。
そんな自分に思わず顔が熱くなる。
「ふふふ。嘘だよ。ほら、行っておいでよ。メルルがすごいすごいって褒めてあげればルークだってコロリだよー」
「うう……ちょ、ちょっとだけだからね」
◇
「ぁ……」
広場の一角でルークは若い女の子たちに囲まれていた。
お祭り用のきれいな服を着て、髪もきれいに編んだ女の子たち。
そんな子たちがルークにべたべたと触りながら笑い合っていた。
私は自分の汗だくで灰汁で汚れた服を見て急に恥ずかしくなってきた。
「何やってんだろ。私」
ルークは
考えるほどに視線が下を向いていく。
「メールル」
「ほわぁぁぁぁ」
突然の声に思わず飛び上がる。
いつの間にかルークが近くに立っていた。
やや浅黒い肌の色によく似合う大牙猪の毛皮を使った腰巻きとベスト、紅長鳥の羽根を使った羽根飾りというお祭りのヒーローらしい派手な出で立ちだ。
切れ長な黒い瞳にはキラキラとした楽しそうな色が浮かんでいる。
「ル、ルーク……どうしたの?」
「メルルが見えたから来ただけ。ダメだった?」
「だ、ダメじゃないけど……」
ルークを囲んでいた女の子たちがこちらを睨んでいるのが見える。
なんだか恥ずかしさと申し訳なさで胸がいぱいになって思わず身体を縮こまる。
そんな私に気付かないのかルークは得意げに続ける。
「見ろよこれ、大牙猪の牙飾り。カッコイイだろ。俺も一番槍を打ち込めたからさー、1個もらえたんだぜ」
「そ、そうなんだ……」
いつもと違う勇ましい衣装のルークに硬い返事をしてしまう。
首から下げた牙飾りを見せていたルークが目を瞑り、スンスンと鼻を鳴らした。
「なんか……いい匂いするな」
「へ? えぇ?」
そのまま鼻をスンスンとしながらルークが近づいて来る。
あれ、ルークってこんなに大きかったっけ?
目の前に立ったルークの背の高さとがっしりとした身体に思わず見とれてしまう。
そのままルークが更に近づいて来て、私の髪に鼻をつけてにおい嗅ぐ。
「な、なにしてっ――」
「メルル、いい匂いするな」
「なっ……あ、汗いっぱいかいてるからっ」
「大牙猪の料理してたんだろ? あいつの脂のにおいがする。あと、メルルの匂い」
「や、やめてよっ」
思わずルークを振り払ってしまった。
ちょうどその時、遠くからこちらを睨んでいた女の子たちの中で一番派手は服を着ていた村長の娘がこちらに歩いて来た。
「ねぇ、ルーク~。まだぁ~。まだお話聞きたいんだけど~」
「あん? 分かったよ。じゃ、メルル、またな」
「あっ……」
その娘に手を引かれてルークが行ってしまう。
去り際、私の方をちらりと振り返ったその娘は口の端をあげて得意げに笑い、冷ややかな笑みでこちらを見下すかように見ていた。
せっかく、ルークが来てくれたのに……
何してんだろ、私。
◇
そのまま広場にいたくなくて、走って家に帰った私は部屋で寝具に突っ伏していた。
薄暗い部屋の中、さっきはなんでもっとルークと楽しくおしゃべり出来なかったのかと自問自答を繰り返す。
そろそろお姉ちゃんと交代しなきゃなのに。
立ち上がる気力がわかない。
「おやおや、どうしたんだい?」
部屋の入口に顔を向けると大婆様がこちらを見ていた。
お祭り用のきれいな衣装を重たそうに引きずりながら私のところまで入って来た。
「メルル、どうしたんだい?」
「えっと……その……」
上体を起こして口ごもる私の傍に大婆様が座る。
骨ばった細い手を伸ばし、私の背を摩りながら続ける。
「大方、ルークと喧嘩でもしたんじゃろ」
「まぁ……ちょっと違うけど、そんな感じ……」
「メルルは、ルークのこと嫌いなわけじゃないんじゃろ?」
「それは……まぁ、うん」
優しく背中を撫でられる大婆様の手に、いつの間にか緊張していた心と体がほぐされていく。
「たぶん……好きなんだと思う」
「そうかい」
「取られたくなくて、でも正直になれなくて、悲しかったんだと思う」
「そうかい」
「大婆様。私、どうしたらいいだろう……?」
背中を撫でる手を止めた大婆様は優しい顔のまま私の目をじっと覗き込んできた。
加齢で微かに濁ったその目はどこか焦点が合っていないようだが、それでも何かがはっきりと見えているように感じる。
「メルルは、どうしたいんだい?」
「ルークと、一緒になりたい」
「ひっひっひ。素直になれたね。大丈夫だよ、メルルはわしのひ孫の中じゃ一番の別嬪さんじゃよ」
「そうかな?」
「あとは、そうさね……せっかくのお祭りだ、いいものを貸してあげよう」
「いいもの?」
そう言うと大婆様は私の手を引き、自室へと導いていく。
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