第12話 マーティみたいだね
「ハロ〜、ダーリン! なあにアタシから逃げてんのよ」
「「……ッ!?」」
やっとの思いで告白という僕の人生史のなかでも一大事業をやり遂げたその刹那。
その返事を待たずしてエモショーナルなサウンドトラックでも流れてきそうな雰囲気から割って入ってきたのは、裏路地の角から両の目を血走りにした闘牛のような剣幕の牛島だった。
そのせいで僕の告白に対する何かしらの反応を示すよりも先に、突如現れた牛島に気を取られてしまう村上。彼女も喫驚してしまっている。
呆気にとられる僕らの空気を読まず牛島は「はぁ〜」と大きくため息を漏らした。それからわざと疲れたような仕草をして、僕に向かって怒鳴った。
「アタシという彼女がいながら何あんな店に行ってるのよ!」
「………………」
「しかも急に出てきたかと思えば急に走り出すし。疲れちゃったじゃないの!」
(……本日二回目だ)
疲れてる? だって。こっちはクタクタだよ。それに……。
もう春とはいえ、まだ冬の寒さも残る肌寒さを感じる気温にかかわらず、これからヨガにでも行きそうな軽装をしている奴が何を言うのか。村上と違い、走った様子も汗をかいている様子も見られない。
というかもう牛島の執拗とも言うべき僕に対する『彼女』面の方が謎過ぎる。
アプリでのやり取りを除けば、今日会って一五分も経たない内に逃げ出した男だぞ。この人の僕に対する好感度というか、距離感というか、どういう理屈で動いているのかさっぱりわからない。
この恐怖感を何と言ったらいいんだろう。
狭い宇宙船内で人間を殺戮しまくるエイリアン? 周りの風景に擬態して人間を狩りまくるプレデター? とにかくそんな奴らに付け狙われる恐怖と同じかもしれない。
「おい、何黙ってるのよ! 聞いてんのかい? お前はもうアタシのモノなんだから、さっさとこっちに来なさいよ!」
「……や、やあ、また会ったね。牛島さん」
手を挙げて、皮肉混じりに言ってみた。
なんて軽口で対応してみたけど、声は上擦っていて、挙げた手も震えている。
我ながら情けないと思うけど、たった半日ほどでトラウマとなってしまうのなら、もし付き合うことになったと考えると……想像することすら憚れる。
とはいえ、どうして牛島がここに現れたんだ?
てっきり喫茶店の時に振り切れたはずだと思っていたのだが。
「ど、どうしてここが分かったんだい?」
映画館からエレベーターで降りた一階の喫茶店。佐藤はまあともかく、そこでレンタル彼女のサキさんの機転というか、なんだかスパイみたいなプロェッショナルな対応のおかげもあって、急に現れた牛島から隠れ切ることができたのだ。
「ふん。あの時はよくもアタシから隠れてたわよね。ったく、あのパーカー女といい、今日はアタシの邪魔ばかりする奴ばかりでウンザリだわ」
「パーカー女?」
「なんでもないわ!」
『パーカー女』という言葉に反応してしまった僕。
そのパーカー女と何かあったのか、眉を顰めて忌々しい顔をする牛島だった。
あの牛島に一泡吹かせたその『パーカー女』について僕も何か引っかかるところだったが、牛島の声にかき消される。
「それよりどうしてここが分かっただって? 確かに喫茶店を出た時は、一度は諦めたけど、でもやっぱり何か匂うなって思ってたのよ。ほらアタシって鼻がいいでしょ? だから狙った獲物は逃さないようになってるの」
……いや、知らんがな。
牛島は鼻に人差し指を当てて自慢するようなアピールをした。そんな危険な能力なんてマッチングアプリのプロフィールには書かれていなかった。書いておいてほしいものだ。
それから狩猟を生業とするハンターみたいな口調で、僕の追跡劇を語り出す牛島。
「で、やっぱり何か怪しいかと思ってたのよ」
「怪しい?」
「そうよ。あの金髪男とその黒髪のカノジョ? あの二人の関係も怪しいけど。まぁ、それはともかく。二人しかいない席にコップがなぜか三つある。しかもその空席となったコップには飲みかけのオレンジジュースが入っていた。近くの席にいた男もあの二人以外にも誰かいたって証言してたでしょう?」
「でもあの席で僕を見つけられなかったじゃないですか。しかも机の下まで見たはずなのに、どうして?」
「確かにあの時はあの黒髪のオンナの迫力もあって注意をとられたわ。けど諦めたふりをして、今度はあの金髪男が一人になった瞬間を狙ってみたのよ。そしたら案の定! アンタが『童貞を卒業しに行った』って白状してくれたわ」
「……………」
くそう。
弱点を突かれたというか、佐藤単体ならそりゃバレるわ。
群れから離れた子鹿みたいなものだ。
今さら腹立たしさとか裏切られたとかなど失望する気持ちはなかった。佐藤なら、ということで仕方がないというむしろ納得の方が大きい。
というよりも、今は牛島の方に感心してしまっている。
本当にというか、本物の野獣に追われていたんだなって。改めて恐ろしい奴に目を付けられてしまったようだ。
牛島の野獣っぷりは、止まらなかった。
「童貞を卒業したいなら、アタシがさせてやるよ。お前みたいな男を抜いてやるのがアタシは好きなんだ」
たらこ唇を上げてニタッと笑う。その隙間から糸を引く唾液が見てとれた。
何か男として、いや、生命として何かが搾り取られそうな気持ちになる。背中の奥からぞっと寒気が走った。
「そ、それは大丈夫……。はは、遠慮しておくよ」
「ああん?」
痺れを切らしたのか牛島は、こめかみから浮き出た太い血管をピクッと動かす。
それからドス、ドス、ドスと怪獣が地面に足跡を残していく重圧な効果音が聞こえてくるような迫力で僕の前まで迫ってくる。
すぐ隣にいる村上が見えていないのか。僕以外一切眼中に入らずといった感じで一直線でやってくる。
足が絡まっているかのように恐怖で動けなくなった僕。あっと言う間に視界が暗く覆われた。それはおっぱい……否、張りの張った胸筋で僕の視界は押しつぶされてしまった。
「……前が見えない」
ドキ、ドキ、ドキ。
もちろん恐怖という意味で、心臓が早鐘を打ちならしている。
野獣に喰われてしまうぞ、と本能が告げる。
僕よりも顔一個分は、背丈の高い牛島。
「…………ぐえッ!?」
恐ろしくも見上げようとしたその瞬間。がしっと片手を突き出してくる。
反応する間もなく胸ぐらを掴まれてしまった。そして抗うこともできずに、軽々と牛島は僕を、つま先が軽く浮くほどまで持ち上げられてしまう。
「ううっ」
『ジュラシックパーク』を思い浮かべる。
ティラノサウルスが獲物である人間の臭いを嗅ぐシーンを。お前をどこから喰ってやろうか、という肉食獣特有の鋭い目線を浴びせられる。
「ぐへへ、は〜いいわね」
悶える僕を見て嗜虐的な笑みを浮かべる牛島。胸ぐらを掴む手とは逆の手で、見せつけるように拳を作って見せる。
それで殴られるのかと思いきや、牛島は中身を確認するかのように、小馬鹿にするように、その拳の出っ張った部分で僕の頭をノックした。
そう。ビフの常套句だ。
「はろ〜、はろ〜、もしもし? だあれもいないんですか? アンタはもうアタシのモノなの分かる? だからいちいち逆らうんじゃないの」
「……はは」
胸ぐらを掴まれた手でぐいっと牛島の顔面まで引き寄せられる。その隕石が降ってきたかのような顔面の圧力には、ヘラヘラと笑うしかない。
ビフとジョージ。
この構図から抜け出せない。
「……キャラメル?」
「あん?」
迫る牛島から微かにキャラメルの甘い香りが鼻につく。
香りといっても、香水のようなサラッとした匂いではなく、食べ終えたポップコーンの紙コップの残り香みたいなベタつく匂いだ。
「っ!! やっぱり、そうだったか」
やっぱり、なんていうけど、気づくのが遅すぎだろ。
そこでようやく思い至った。
映画館にいた出来事を。
トイレから脱出する時に、牛島を足止めしてくれたパーカー女の存在を。
「何一人で妄想に耽ってんのよ。目覚めさせてあげようか?」
牛島が怒鳴ったその瞬間。
胸ぐらを掴む牛島の腕を掴みにかかる、小さな手が見える。
「……その手を離せよ、牛女」
「あ? なんだお前は……ってあの時のパーカー女!?」
まるで映画のヒーローのように、ピンチから突如現れた村上。自分よりも一回り大きい体格にも屈せず、鋭い目つきで牛島を睨みつけた。
突如とはいったけど、実際はすぐ隣にいたのだが。牛島にとっては突如現れたように見えたようで、パーカー女、もとい村上に気づくと、目を見開いて驚いている。
「チッ。また、お前か」
「え?」
邪魔が入ったことに苛立って舌打ちをする牛島。
僕から手を離すと、村上の姿を覆い被さるかのように牛島は、標的を切り替えて彼女の前まで迫る。
「よお、パーカー女。映画館の時は世話になったな。おかげでキャラメルの匂いが染み付いちゃってたじゃないの」
「いい匂いだね。よかったじゃん」
「ふん! 生意気なヤロウだね」
「ヤロウじゃなくて、女なんだけど」
「いちいち反論するんじゃないよ! で、お前は何なんだ? アタシの邪魔ばかりしてきてさ。アイツの女なのか、ああん? 悪いけど、もうダーリンはアタシのものさ」
こっちを見る村上。
僕は全力で首を振った。
「……本人は嫌がってるみたいだけど?」
村上と牛島。
互いに睨み合い、両者の視線から今にも火花が飛び散りそうになる。
なんだかヒロインを取り合う主人公とヤンキーみたいな構図にも見えなくもない?
それだと僕がヒロイン扱いになるんだけど……。
嬉しいの嬉しくないのか、微妙な面持ちで僕はただ二人を見ていることしかできない。
「うるさいわね。ダーリンはマッチングアプリで知り合って以来、何度も熱いチャットをよこしてくれたのよ。それにお互いにBTF《バック・トゥ・ザ・フューチャー》が好き同士なの。これを運命と言わずになんと言うのよ! だからダーリンとアタシは結ばれるべきなの!」
(……た、確かに僕も会うまでは頭の中がバラ色だった。会うまでは)
「それに対してアンタは何なのさ? ダーリンを尾けているみたいだけど。何の理由があってここにいるのさ」
「……う、ウチは」
執拗に問いただす牛島から視線を逸らす村上。勢いよく舞い上がった炎が小さくなったみたいに口を紡いでしまった。
「ふん! 堂々と告げらないヤツに未来なんてないのさ! とにかくアタシらの邪魔すんじゃないよ。——じゃないと、次はこうだよ?」
「………………」
握り拳を村上の顔の前で見せつける牛島。
体格の違いから、棍棒で脅されているみたいなものだ。
頼む! 早くそこから逃げるんだ! と心の中で叫ぶ僕。
だけど村上はその拳をチラッと見やると、薄ら笑みを浮かべた。そしてパーカーの紐を弄ってから、なぜか少し恥ずかしそうな表情になる。
「ふう。もうこのまま引き下がって退屈な人生に戻るのは嫌だ」
一息吐いた後、何かを決意したかのように目尻を上げて、堂々とした態度に戻る。
そして牛島に再度見返して、村上は言った。
「そうやって脅そうとしたってウチは屈しないよ。……でもそうだね。確かに堂々と告げられないヤツに未来なんてないよね。……ふう。ウチも森田のことが好きなんだ。退屈な人生から抜け出してくれたこの出遅れオタクを、ね」
「え?」
「は?」
先に声が漏れたのは僕だった。後から牛島が反応する。
村上からの唐突な告白に僕は理解が追いつかない。
むしろ後から反応したにもかかわらず、牛島の方が「何!?」とこめかみから血管浮き出して怒り出している。
もはや赤いマントに突っ込む寸前だった。
やばい、やばい、やばい。
『村上も僕のことが好きだった』ということか?
怒り狂った牛のようになった牛島は、村上のパーカーの襟首を掴んで自分の元へ引き寄せる。僕よりも体格の小さい村上はたやすく持ち上げられてしまう。
『嬉しい!』『最高!』『やっほう!』とその言葉の余韻に浸ってニヤけてしまいそうになるけど、強制的に抑える。
牛島の右手には握った拳を掲げたままだ。
どうやら本気で、牛島は村上を殴ろうとしている。
「や、やめてくれ。牛島さん。村上は関係ない。な、殴るなら僕を殴れ。だからその手を離してやってほしい」
「邪魔よ」
「ええ!?」
なんとか止めようと、回らない舌を動かして言ったものの当然聞く耳すら持たない牛島。ならば無理やり制止させようと、村上を掴む腕を押さえようとするのだけど、箒でゴミを払うみたいに、片手で僕は突き飛ばされてしまった。
つ、強い!
「ああん? なによ。この女はアタシを怒らせたんだ。関係あるに決めってるさ。この女は後からアタシの男を取ろうとしてるんだよ。略奪者にはこいつで解決するしかないね」
牛島はこちらを見向きもしないで、拳だけを見せつけて、そう言った。
突き放されて僕は尻餅をつく。
このままでは村上が殴られてしまう。
もう『出遅れ』るわけにはいかなかった。
ついに牛島は右手の拳を、村上の頬へ照準を合わせた時だった。
村上が僕に助けを求めるかのようにこっちを見る。
僕は勇気を出すため、もう一度あの言葉をフラッシュバックさせる。
『——You know, if you put your mind to it, you could accomplish anything.《いいかい、何事も為せば成る》——』ってドクの口癖を。
おまじないように思い返すと、僕は再び牛島の前へと立ち上がる。
気づけば、もう足の震えも手の震えも止まっていた。
「何よ。邪魔しないでよ、ダーリン」
煩わしそうに、こちらに重たい圧力を掛けるように睨みつける牛島。
もう動じることはない。
僕は牛島の右手首を掴むと、腹の底から声を張り上げた。
「その手を離せ! ビフ!」
「あ? ダーリンの方から調教が必要みたいだね」
牛島は村上のパーカーから手を離すと、再度僕の方を振り向いた。そしてそのまま怒りの詰まった拳を振りかざす。
目の前には大きな拳が迫る。
僕は歯を食いしばり、少しでも衝撃を逸らそうと顔を背ける。
その時だった。
パーカーのフードを跳ね上がる。
拳を振りかざす牛島に、村上はさらに割って入る。
「アンタこそ、これでも喰らいな!」
「っ!?」
と言った村上は、牛島の頬に向かってパンチを喰らわした。
まさか自分が殴られるとは思ってなかったのか。目を丸くして、呆然状態になる牛島。
「そら、もういっちょ!」
「ぐほっ!?」
立ち尽くした牛島にさらに一発喰らわす村上。
その衝撃に耐えきれなかった牛島は、殴られた方向によろけていく。
そしてそのままフラフラと、ノックダウンしていく。しかも運が悪く、水たまりがあった先へ顔面ごと落ちていった。その水飛沫が僕の頬まで飛んできた。
「………………」
「はあ、はあ、はあ。いてて」
「……わぁーお」
隣を見ると、拳を振りかざしたまま、興奮している村上。
水たまりに倒れる牛島と村上を交互に見て、僕は外国人さながらのリアクションをしてしまった。
そして、あの映画の主人公と面影が重なる。
「……まるでマーティみたいだ」
思わず、そう呟いてしまった。
ビフに一発かますマーティのシーンを。
それを聞いた村上は、僕の方を振り向く。
「うるさいよ」
笑っていた。
それを見て、僕も笑った。
すると風が裏路地を駆け抜けていく。
ボブと天然パーマが風に揺れている。
暖かい風だった。
もうすぐ春を思わせる、そんな暖かい風が僕たちの間を駆けていった。
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