Chapter 2 - 8 車輪の下
ジニアの家庭で生活していて、いくつかわかったことがあった。
まず、ここはジニアの幼年期のなか。それは紛れもない事実のようやった。何年前なのかはわからへんけど、ずいぶん昔の記憶のように感じられた。それでウチはこの家庭の女中みたいなんやけど、たぶん本来の女中はウチやない。きっと別の誰かなんやろけど、なぜか、いまはウチが女中っつーことになってる。ふとした拍子にウチの訛りが出たとしても変な顔されへんのは記憶の類推……? なんやわからへんけど、そんな感じのモンが作用してて改竄されてる、と考えて間違いないんやろ。つまりウチはジニアの記憶を覗き込んでるうえに記憶をいじくり回してるっつーこっちゃ。なんやけったいな話やけど、かなりやばい状況なのは確かなんやろ。記憶のなかで変なことしでかすと、ジニアの記憶の統合性が失われてメチャクチャのドッカンになるって、アリサはんが言ってた気が――――ん? そういえば、アリサはんは? いや、なに忘れとんねんウチ! アリサはんはどこにいきはったん? ここ数日、アリサはんに会ってないやないかぁ……はあ……でも、しゃあなしやな。探すにしても探す術がないんやから、いま自分ができることに集中するしか他はない。せや、自分にできること。それは出来得る限り、ジニアの記憶からブレを生じさせないこと。この記憶はジニアの記憶のなかでも根幹となる部分。
んやけど――――
「約束したはずです。この子は継承者として芸能の道に向かわると。この子に刀を握らせるような真似はやめてください」
と、ジニアの
「とはいえ、この子は鋼の重みに安楽を得ていると見受けられる。いや、それよりかは柔を知りて剛を得たいと
と、ジニアの
白の短髪と髭。青い瞳。雉状の耳はなく、おそらくヒューマン。
「そういって、陰でその子に剣技を教えて
「約束。いつ
「責任逃れはやめてください。責任をこの子に押し付けないでください。第一この子は女です、刀を振るうに力が足りずに筋を痛めてしまいます。
「そうだな。喧騒逃れに退役したのは戦の何たるかを知ってのこと。戦わせるつもりはこちらとしてもない。しかれども、嗜み程度に護身術を体得するのも悪い話ではないのではないか」
「なんですか、嗜み程度の護身術って……この子の躰は命なんです、壊されてしまっては堪ったものではありません。唆すのはもうやめてください」
「唆してなどいない。その子が刀を取ったのだ。それは、兄のことをおもっての――――」
バンッ――――
ジニアの母ちゃんが食卓を叩いた。
食器類はかちゃりと鳴って、汁物もはげしく揺れた。
「やめてください」
「いや、やめんよ。責任逃れはそちらも言えよう。ハンスは某の意志を継いでいた。邪魔をしたのはそちらではないか。過酷な修学に漬け込ませ、疲弊させ、川で死したのは、おまえ――――」
バンバンバンッ――――
ジニアの母ちゃんは力の限りに食卓を叩いた。
そして、数口しか食べていないというのに、その場から立ち去っていくのだった。まるで、あらゆるものから逃げるかのように。
「……すまない、食気を損なった。破棄してくれ」
ジニアの父ちゃんも箸をおいて、自分の寝室へと行ってしまった。
夜の食卓、残されたのはウチとジニアだけやった。
「最悪やな、この家。娘の前ですんなやってハナシやで、ほんま」
ウチは
「深くは言及せえへんけど、じぶん、
ウチは食べながら、そう聞いた。けれどもジニアは閉口してるだけで、なにも答えんかった。ご飯も食べてへん。無表情で、ただ、何もないところを見つめているだけやった。
「それで、どないしたいん、自分。このまま母親の言いなりになるんか。それとも父親の復讐に付き合うんか。
ウチはそう言った。子供としてではなく、ひとりの人間と接するかのように。
「いなくなりたい」
けれどもジニアは小さな声で、そういった。
それを聞いて、ウチは箸を止めてしまった。
「とある話がある。寺院のネズミ除けで一匹の猫が飼われていて、東西の禅僧たちが一匹の猫をめぐって争っていた。それを見兼ねた偉大な禅僧が猫を捕まえ、東西の禅僧の目の前でその猫を斬り殺した。迷いを絶って争いを鎮めたとされている。だから、できることなら、いなくなりたい」
ジニアは言った。間違いなく。
小さい子供であるはずの、その子が、いなくなりたいと、たしかに。
「……ほんまに、なんや、この家庭……ちっちゃな子供に、こんな思いさせよって……」
ウチは、ジニアの小さい両肩を掴んだ。
ああ、ウチ、なんか、やらかそうとしてるんやな。
やめぇや、ここはジニアの記憶のなかなんや、やめぇや。
「なあジニア、じぶんは親の所有物なんか? 違うやろ? じぶんは人間、人間なんや。親なんかに縛られず、自由に生きにゃあならへん。せやろ? 人間は身勝手や、親も身勝手で、誰も彼もが身勝手で、なんでもかんでも自分のものにしようとする。せやけど、身勝手になれるんは、相手だけの特権やない。親も相手も身勝手やったら、自分も身勝手に生きてもええんや。悪びれることやない。人間は人間、みにくい生き物なんや! 親も人間で、赤子だろうと、腹から離れれば赤の他人。自分の所有と
ウチは言った。
思うことの、ありったけを。
けれども、
「……わからない」
ジニアは言って、幼い
「……わからない」
ジニアは手の甲で涙を拭うけど、それはとめどなく、あふれて、あふれて、どうしようもなかった。あたりまえやんか。ジニアはちっちゃな子供。自分で判断できるなんて思わんほうがええ。この子は生まれて間もないんや、右も左もわかるわけない。だからこそ、そこに親がいて、まちがった方向にむかわせないよう、手を引いてあげなきゃならンやないんか。だから、いまのこの子は、自分でなにかを決断することができない。親がまちがってると本能が訴えかけてたとしても、どうすることもできず、親の業を担わされて、希望の萌芽が潰されてゆく。子供はただ無力に、親の権力に虐げられるしか道がない。だから、誰かが、孤独に迷える小さなその手を、引いてあげなきゃいけないんや。
だから……だからウチは、ジニアのすべてを抱きしめた。
この家庭はおかしい。この孤独はあってはならない。
なにもかもが、間違ってる。
そう、思ったから。
――――
この子を、まちがったほうには向かわせない。
そう、決意したのだから。
「あんさんは誰のものやない。誰のものやないんや。せやけど、自由にできる、そう思って、あんさんを奪うんは、悪いことなんやろか? 身勝手すぎることなんか? なんや、わからんもんやなぁ。ああ……バチって、当たるもんなんやろかなぁ……」
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