Chapter 2 - 2    それから



         摘夜の節  十月十二日



「もうソドムはいないんや! なにもそんな――――」

「触るなッ!」


ジニアはタォファの手を払いのけた。その眼には怯えの色が滲んでおり、身体は恐怖で震えていた。心は過去の惨劇のなかに置き去りにされたままだった。どのような言葉の薬理をもってかなしみを鎮めてあげればいいか、アリサにはわからないでいた。恐怖に怯えた人の心はすべてを拒絶し、救いの手すらも受け付けない。閉ざされた門を無理やりにこじ開けようものなら心は傷つき頑なとなる。もはやこちらから手は打てず、彼女の側から立ち直るのを待つより他はなかった。だからこその無力感だった。


「触らないでくれ……」


おおくの狩人が行きつけとしている宿舎のなか、ジニアは寝床の上で頭を抱えて、二人に対して背を向けていた。窓からは斜陽の光。日没どき。これから夜になろうとしていた。アリサは、教会出立の時分から現在に至るまで一睡もしていない。疲労は甚大であった。


過去の話をしよう。

ディアが意識を失くしはじめた、いくさのちの話である。


ディアがギガースを討滅させたあと、アリサはタリスマンと背嚢を回収してから、ジニアをかかえて森を抜けようとした。ディアの救助を優先しなかったのは筋力不足の為であった。アリサの筋力では男の体を抱えて傾斜を越えることが不可能だった。そのためアリサは一旦救助を諦め、ジニアの救助を優先した。そしてその途中タォファは意識をとりもどした。祈禱の奇跡により体の機能を復した彼女は命の恩人たるディアの救助に加担した。斯くして四人の狩人は、ソドムの森から脱することができた。


時分、夜明け時。黎明れいめい薄明うすあかかりが森のみつなる陰翳いんえいを払いのけて道を示していた。狩人たちは示された道にしたがい辿り、城郭都市の跳ね橋に行き着いた。


アリサの法衣はギガースによって引き裂かれており、使い物にならなかった。そのためアリサは自分の背嚢から雨避けの外套をだして、呂色ろいろ梳毛ウーステッドで肌身を隠していた。ジニアの胴衣はソドムの侵食によって引き剥がされていたが、恐らく彼女を母体とさせた後に武具の再利用を考えていたのだろう、甚だしい割かれ方はされておらず、鎧ともども胴衣の状態は良好だった。とはいえ意識不明の狩人を担いでいれば事の異常が目立つものであり、さらには満身創痍であるのだから、街道をゆきかう人々の目線は痛ましく落ち着きがなかった。だが羞恥しゅうちにためらういとまはない。二人の命を救わなければならなかった。


城郭都市での救急対応は医療教会の業務である。アリサとタォファはそこへと向かった。途中、受付嬢グレーテと出会しゅっかいした。勤務先に向かう途中だからか私服であった。寝惚ねぼまなこの彼女であったが、鉢合わせたのち瞳を見開かせた。そして彼女は負傷者の運搬に加担したうえ救急の手続まで真摯に対応してくれた。これによりジニアは医療教会在籍の聖職者から治癒が施された。が、ディアの場合は違った。グレーテによれば、彼はとある薬師によって援助サポートがなされており他の療治を受け付けないのだという。この際、こだわってなどいられないはずだが、ディアはギルド内部でも謎の多い人物であり特殊な事情を抱えていても不思議ではないとグレーテは応えた。そして例の薬師の住居は医療教会から然程遠くない場所にあるとのことだった。


アリサは迷わず、ディアをかかえて薬師のところへと向かうことにした。街は傾斜でないから引きずればどうにか運搬することができた。そうしてアリサは、大聖堂近隣の邸宅街に足をふみいれ、薬師の住居に行き着いた。それでいて、あえぎ喘ぎに男を引きずっていれば、事の異常は窓や壁を通り越して響きわたるというもの――鍮の叩き金ドアノッカーを鳴らすよりも先に、くだんの薬師から出向くのだった。カリスという女性であった。


状況を素早くを呑み込んだ彼女カリスは、即座にディアの治療を引き受け、奥の療養室へと連れ込んでいった。しかし、そこへの同行は固く禁じられ、アリサは玄関口でひとり取り残された。


アリサの尽くせる事はここまでだった。そうしてアリサはディアと別れた。きっと、どうにかしてくれるだろう。信じるしかなかった。アリサはいそぎ、医療教会へと駆けていった。


医療教会治療施設、病床の上ではジニアが伏せており、祈禱の奇跡により治癒は成されていた。ソドムに穢されたことを秘匿しての治癒である。そしてアリサ合流のあと、彼女は意識をとりもどし目を覚ました。しかし、たとえ体が治癒されたとしても精神サニティーも同様にして復されるわけではなかった。覚醒めざめののちの動乱は筆舌に尽くしがたく、彼女の瞳は病的であった。泣き崩れたとおもえば怒声があがり、物が投げ飛ばされては頭をかかえて殻に閉じこもる始末だった。口からは消極的な言葉ばかりが溢れかえり、ふるえが止まることはついぞなかった。ジニアの錯乱は他の患者に不安をいだかせ迷惑がられていた。医療教会の聖職者たちは対応に悩まされ、とにかく治療は済んだのだから今回のところは引き上げてもらい、後日問題があるようなら再度おとずれてほしいと、ほとんど厄介払いをされるかのようにして会計処理に移された。そうして高い治療費(32Blood)を支払ったのち、アリサ、タォファ、ジニアの三人は荷物をまとめて医療教会から退出した。


そうして宿舎に戻るのだが、ジニアの胸に根ざしている恐怖は薄れることを知らず、幾重いくえに泣けども暗雲が晴れることはなかった。


「この身にソドムが宿っているんだ……そのうち私も、ソドムになる……マザーのような母体になって、おまえたちを、ケガシはじめるんだ……」

ジニアが言った。


そんなことない。大丈夫だ。そのような生半可なまはんかな言葉は不適切であり却って心を逆撫さかなでるだけだった。何の慰みにもならない。結局のところ、いまこの時には言葉など非力同然であり、すべてが不適切であるかのように思われた。しかし、ただ寄り添うこと。言葉用いずともその献身だけはおこなえるのだった。彼女のこころは恐怖に打ちひしがれて凍えていた。ならばそこには温もりが必要だった。心の氷解、傷の癒えには時間が要するだろう。だがこうして寄り添い、時の経過とともに再生を伴にするのであれば、冬は春へと移りゆき、雪は溶けて大地に草花が戻りゆく。雨はやがて止むのであり、日はまた昇る。時の過ぎ去り。それこそが、心の療法であるのだとアリサとタォファは心得て、とにかく癒えるまでのあいだ彼女の躰に危険が及ばぬようにと、ただ実直となり、しずかに見守るだけであった。


ジニアの哀哭は夕暮れ時までつづいていた。夕焼けは沈みゆき、夜の帳がおろされた。やがてジニアは精根尽き果て、夜の頃には崩れていた。銀の月が街の相貌を輝かせていた。


「なんでなんや……ジニアはなにも、悪いこと、してないやんか……」


昏睡状態にある彼女ジニア

その寝姿をみながら、タォファはこぼすのだった。


「なんでこんな目……遭わにゃならんねゃ、おかしいやろ……」


「なにか、方法があるはずです。ケガレを除ける方法が」


「そんなもん、あるわけないやろ……一度ケガレに侵されれば、だれでもひとしくソドムになる……だから、そうなる前に、殺さないとダメなんや。それがせめてもの、ジニアの為なら……」


そう、タォファが言った。ジニアの顔を見つめながら。


ソドムに侵食されたものは被穢体ゴモラとなり、やがてその身はソドムとなる。そうしてソドムと化した人間とは、彼女らが対峙したマザーのような主たる母体、ケガレを生み出すソドムとなる。だから人々は、被穢体ゴモラを認めたのち、言うのである――殺さなければならないのだと。そうして被穢体ゴモラと吹聴してまわり、群衆の憎しみのなかで処刑する。それが感染した者の末路であった。


「いけません、友をその手で殺めるなんて、そんな……」


「じゃあ、どないすんねん、ウチらもケガレろって言うんか! それこそ、この子の望むことやないやろ! 殺さなきゃダメなんや……街のなかで変わり果てる前に、ウチが……」

 

タォファの目の下には深刻的なくまがあり、声は涸れていた。悲嘆という名の悪霊はジニアのみならず親友の心をも蝕みはじめ、難治の病をひき出すべくして躍起やっきになっていた。とにかく彼女には休息が必要だった。もちろんアリサにも同様のことが言えた。彼女は昨日明朝さくじつみょうちょうにかけて無休息であった。体力はうに尽き果てており、しかしこうして介抱できているのは仲間を救いたいとする強き献身が為であった。けれどもこうしてジニアが寝静まった今、緊張は一気に弛緩されて薄紫うすむらさきいろの睡魔に襲われていた。意識の水盆にインクの雫が垂らされて、刻々として黒ずんでゆくのが感じられていた。やがて水盆の世界は暗闇に染まりゆき、ただでは済まされまい。そうなるまえにと、アリサは寝袋を床に敷いて横になった。


「とにかく、いまは休みましょう。休むべきです」


そうして、二人は眠りについた。




               §




それから、しばらくのち

ジニアはしずかに目を醒ました。

そしてひとり、部屋を出ようとした。


「ジニア……」


ひそやかなる足踏み。

それに気づいたタォファ。

ひと声かけて、ひきとめた。


「どこいくん」

「……便所だ。起こして、すまない」

「……ほんまに便所なん?」

「本当だ」

「じゃあ……なんで、刀、ぶら下げとんねん。必要ないやろ」

「……心配だからだ。いつ、誰に襲われるか、わかったもんじゃない」

「じ、じゃあ、ウチも、いっしょに付いてく」

「必要ない。便所に行くだけだ、すぐ戻る」

「せやけど……」


「なあ」


タォファは、ジニアに近づこうとした。

けれども、月の光が斜めにさす部屋のなか、ジニアの眼の光がぎらりと映り、そこにやどされた憎悪の敵視が、タォファの動きをとどまらせた。


「――――ひとりにさせてくれ」


そうしてジニアは背をむけて、部屋から出ていった。扉のとざされる音とともに、二人の距離が断たれたかのようであった。木の扉の隔たりは薄い。憔悴しょうすいしきったジニアの足音は、いまだ遠くに離れていないというのに、彼女の存在はどこか遠くにあるかのようにおもえてしまい、心寂こころさびしくなった。もうどうあっても過去の笑顔は帰ることはないのだと、暗い影の想念が胸におろされ、寂寞じゃくまくたる思いがさらに彼女の存在を遠いものへと思わしめた。そして疎遠の痛みが迫りきているのを臆病なる心から直覚ちょっかくが為されて、孤独に怯える彼女のよわさが行動を禁じて、引き止められずにふさぎ込むのだった。


そして、それからしばらくのちのことである。


「アリサ、アリサ!」


アリサは、何者かに揺さぶられて起こされた。月の光がまなこに浴され、染み入るのと同じくしてタォファの焦りの表情がアリサの視野にうつり込んだ。


「ジニアが……ジニアがいないんや……!」


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