第49話 僕が、この子を――

「……えっと、ただいま……うん、やっぱり未だに慣れないね」

「ふふっ、可愛いですね由良ゆら先生。まあ、かくいう私もまだ不思議な感じではありますが」



 あれから、一週間経て。

 夕さり頃、僕の業務が終わるのを図書室で待ってくれていた蒔野まきのさんと共に帰宅。面映ゆそうな、それでいて楽しそうなその笑顔になんだか僕も嬉しくなる。


 ところで、帰宅なんて言ったけど、僕に関してはこの表現は正しくなく。と言うのも、ここは由良家ではなく蒔野家――あの日以来、僕らは蒔野家こちらにて共に暮らしているわけで。





『……暫く、ここにいてくださいませんか?』



 一週間前の夜のこと。

 そう、じっと僕を見つめ尋ねる蒔野さん。一応、具体的に確認すると――果たして、暫く一緒に暮らしてほしいとの意味で。 

 ……うん、分かる。この状況で独りで夜を……いや、一日を過ごすことの不安、恐怖――それがどれほどのものか、さっき僕自身も強烈に抱いた悍ましい気配からも十分に分かる……つもりだ。……だけど、僕らは――


『……やっぱり駄目、ですか?』


 すると、僕の逡巡を察してか、続けて問い掛ける蒔野さん。その目には、疑いようもなく明瞭に不安が色濃く揺れていて――


 ……馬鹿か、僕は。目の前に、不安で、恐怖で仕方がない大切な人がいる――なのに、何をなことを気にしていたんだ、僕は。今、僕のすべきことは――



『……ううん、駄目なわけないよ蒔野さん。君は……君だけは、絶対に僕が護るから』

『……っ!! ……はい、ありがとうございます……由良先生』


 そう、真っ直ぐに目を見て告げる。すると、パッと花の咲く笑顔を見せる蒔野さん。今、僕のすべきこと――そんなの、これを措いてどこにもあるはずないのに。





「……それじゃ、そろそろ準備をしようか。蒔野さんはゆっくり休ん――」

「いやそうはさせませんよ。先生こそゆっくりお休みになってください。放課後も長い業務でお疲れでしょう」

「いや、でも泊めてもらってばかりじゃ申し訳な――」

「いやそのお泊まり自体こちらがお願いしたことなんですよ。ひょっとしてお忘れですか?」



 それから、暫し閑談に花を咲かせた後そんなやり取りを交わす僕ら。何のお話かというと、今日の夕食の担当権を巡り双方が……いや、いらないかなこの説明。


 ともあれ、お互い自分がと譲らず議論は平行線――最終的に、それなら二人でという結論に至り……うん、最初からそうすれば良かったね。


「……それにしても、本当にお上手ですよね由良先生。正直、料理の腕に関しては私に分があると思っていたのに」

「ありがとう、蒔野さん。でも、蒔野さんの方が上手いと思うけどね」

「……またそのようなお世辞を……いえ、本心かもしれませんね。貴方の場合」


 それから、数十分後。

 食卓にて、何処か悔しそうな表情かおで告げる蒔野さん。だけど、最終的に自身で訂正したようにお世辞を言ったつもりはない。以前お弁当を頂いた時から分かっていたけど、彼女は本当に料理が上手い。今日だって、彼女のお陰でこんなにも――


「……まあ、良いでしょう。でも、いつか本当の意味で唸らせて見せますから。例え、何十年かかっても」

「……蒔野さん」


 すると、何処か不敵に微笑み告げる蒔野さん。そんな彼女に、僕も同じく微笑んだ。




「……あの、改めてですが申し訳ありません。事をいち早く解決するためには、すぐにでも警察に連絡した方が良いことは承知しているのですが……」

「ううん、気にしないで。蒔野さんの懸念は分かっているつもりだし、僕もお父さまが心配だしね」

「……由良先生……はい、ありがとうございます」


 間もなく食事を終えそうな頃、躊躇いがちにそう口にする蒔野さん。だけど、言うまでもなく謝罪も感謝も必要ない。尤も、こちらとしては警察に伝えないことで彼女自身がいっそう不安や恐怖に苛まれないか甚く心配ではあるけれど。





『……あの、由良先生。お願いばかりで本当に申し訳ないのですが……当件は、父には伝えないでいただけませんか?』

『……へっ?』


 あの日――この悍ましき件について話してくれたあの夜、彼女が控えめに告げた願い。理由は、お父さまのため。ただでさえ甚く不安であろう今の状態で、更に追い打ちをかけるわけにはいかない。だから、伝えるのはせめて病気が治ってからで――そんな、この上もなく優しい彼女の配慮だった。

 そして、そのためには警察に伝えるわけにもいかなくて。そうすれば、必然お父さまの知るところにもなるから。……ただ、それにしても……自分も相当に不安で怖いはずなのに……全く、この子は。だから――


『……先生』


 ポツリ、僕の名を零す蒔野さん。卒然、彼女をぎゅっと抱き締めたから。僕が、この子を護る――そう、改めて強く思った。





「……ところで、自分でリスクを背負わせておいて言うことでもないのでしょうけど……その、近い内に学校側の知るところとなる可能性は否めないですよね。実際、この前のスーパーで……」


 すると、尚も躊躇いがちにそう口にする蒔野さん。そう、こちらが伝えずともこの状況――生徒と教師の同居という由々しき状況を学校側に知られてしまえば間違いなく何かしらの処置を施される。僕の身がどうなろうとそれは一向に構わないけど、蒔野さんを独りにするのは何がなんでも避けなければならない。


 では、仮にそうなった際はいっそ正直に事情を――もちろん、それもアウト。もしも、万が一にも寛大にも学校側が理解を示し僕らの同居を認めてくれたとしても、お父さまの耳には確実に――つまりは、本末転倒というもので。


 なので、やはり何としても隠し通さなければならないのだけど――彼女の言うように、その可能性は全く以て否めない。実際、スーパーにて二人で買い物をしていたところをクラスの教え子に見られたこともあって。そこで偶然会って、彼女に買い物を手伝ってもらっていたなどとどうにか誤魔化そうとしたけれど……まあ、普通は信じてもらえないだろう。――そう、普通なら。



「……うん、それなら大丈夫だよ。二人には、またお礼を言わなきゃね」

「……?」


 



 


 


 


 


 

 


 



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