第32話 相談

「――先ほどの様子だと、もう大丈夫そうですね由良ゆら先生」

「うん、そうだね。本当に良かった。改めてだけど、本当にありがとう蒔野まきのさん」

「いえ、お気になさらず。そもそも、私が勝手に申し出たことですし……それに、とりわけ大したこともしていませんし」



 それから、ほどなくして。

 黄昏に染まる空の下、和やかにそんなやり取りを交わし歩いていく僕ら。もう大丈夫、とはもちろんあの二人――久谷くたにさんと舞香まいかさんの、今後の関係についてで間違いないだろう。僕が抱いていた思いを、こうして彼女も抱いていてくれたことに何だか嬉しくなる自分がいて。



「……ところで、由良先生。今更ですし、私から言い出したことなので少し伺いづらいのですが……本当に、良かったのですか? 私達の秘密の関係を、久谷さんに伝えてしまって」

「……うん、なんだか急に駄目な気がしてきたね」



 すると、ふと隣からそう問い掛ける蒔野さん。……いや、秘密の関係て……まあ、間違ってはいないのかもしれないけど。


 さて、何のお話かと言うと――まあ、言わずもがなかもしれないけど……先ほど病室にて、久谷さんに話した件――あの夜の、あのキスの件に関してで。





『――ときに由良先生。ものは相談なのですが、例の件を久谷さんにお話しするというのはどうでしょう?』

『…………へっ?』



 あの日――久谷さんが倒れた日の翌日、昼休みにて。

 屋上のベンチでいつものごとく共に昼食を取っていた最中さなか、ふと切り出された蒔野さんの言葉。一応、何のことかと尋ねてみると、やはりあの件――夜の帳が下りたこの場所にて、二人唇を重ねた件に関してで。


 ともあれ、思いも寄らない提案に呆然とするも理由を聞きすっと腑に落ちた。それはまあ、何とも彼女らしいなと。


『……ですが、当然ながら無理にとは言いません。これが、先生にとってどれほどのリスクなのかは幾ばくか承知しているつもりですし。なので、少しでも抵抗があれば遠慮なく――本当に、遠慮なく断っていただいても構いません』


 すると、僕の返答を待たずしてそう付け加える蒔野さん。初めから、これとセットで言うつもりだったのだろう。こういった配慮も、何とも彼女らしいと沁み沁み思う。


 ……まあ。正直のところ懸念はある。だけど、それは僕自身というより――


『――あっ、ちなみに私のことはお気になさらなくて結構ですよ? 私としては、むしろ誰かに聞いていただきたいくらいですし』

『……全く、君って子は』


 すると、僕の懸念に答えるように告げる蒔野さん。時折見せる、何とも悪戯っぽい笑顔で。……全く、敵わないなぁ。



 さて、そういうわけで僕らは計画通りに事を実行――まあ、計画と言っても例の件を各々話しただけなんだけども。……それに、結局のところ久谷さんを救ったのはやはり――



「……蒔野さん?」


 ふと、声を洩らす。隣にいる蒔野さんが、ぎゅっと僕の手を掴んだから。でも、急にどうしたの――



「……その、嬉しかったです」

「……へっ?」

「……僕の意思だと、言ってくれたこと。例え、私のための嘘であっても……私とのキスを僕の意思だと言ってくれたこと、本当に嬉しかったです。だから……ありがとうございます、由良先生」

「……蒔野さん」


 そう、柔らかに微笑み話す蒔野さん。だけど、僕としては感謝されることなど何もしてないし、嘘を吐いたつもりもない。確かに、彼女からの行動ものではあったかもしれないけど……それでも、僕には選択肢があった。その華奢な肩をそっと押し、重なった唇を離すという選択肢が確かにあった。なのに、それをしなかったのは紛れもなく僕の意思――我ながら最低だとは思うけど、それを否定する気は微塵もない。だから――


「…………先生」


 すると、少し驚いた表情かおで呟く蒔野さん。僕が、彼女の手をぎゅっと握り返したから。


 その後、暫し無言で歩みを進める僕ら。華奢で柔らかなその手を、ぎゅっと握ったまま。……うん、分かってるよ。これが、正しい選択ことでないことくらい。……それでも、僕は――



「……ところで、由良先生。病室あちらにいた時から、ずっと申し上げようかなと思っていたのですが――」

「…………ん?」


 すると、ふとそう前置きをする蒔野さん。黄昏に照らされ、いっそう輝く満面の笑みで。だけど……あれ、心做しかものすごく嫌な予感が――



「――何やら随分と仲が良さそうでしたね、あの綺麗なお姉さんと。はてさて、いつの間に口説き落としたのでしょう?」

「誤解にもほどがあるよ!!」





「――おはよ、さいちゃん! もう、ほんと待ってたんだから!」

「おはよ、久谷。もう大丈夫なのか?」

「うん、全然大丈夫! 皆、ほんとにありがと!」



 それから、数日経て。

 ホームルーム前の教室にて、一人の女子生徒を歓迎するクラスメイト達。説明不要かもだけど、本日めでたく久谷さんが戻ってきたわけで。そんな彼女の様子に、僕もほっと安堵を覚える。それは体調面もそうだけど、以前の……いや、以前以上にキラキラした心からの笑顔に見えたから。



「――あ、ちょっと待って先生」



 それから、数時間後。

 昼休み、いつもの通り屋上に向かおうとする僕を呼び止める声。まあ、確認するまでもないけど……振り向くと、そこには人懐っこい笑顔を浮かべる美少女。……そう言えば、まだちゃんと言えてなかったな。なので、


「……退院、おめでとう。待ってたよ、久谷さん」

「うん、ありがとセンセッ」


 随分と今更ながら、何はともあれそう伝える僕。すると、彼女はニコッと輝く笑顔で答えてくれた。



「あれから、実際にお姉ちゃんがお母さんに話してくれたみたいで。あの翌日、お母さんが病室に来て謝ってくれたの。今までごめんねって」

「……そっか」


 その後、嬉しそうにそう話す久谷さん。そんな彼女の笑顔に、改めて僕も安堵を覚える。……うん、ほんとに良かった。


 その後、少し他愛もない話をした後じゃあねと手を振り去っていく久谷さん。そんな彼女に、僕も手を振りまたねと答え――


「――あ、そうだ先生」


 すると、ふと振り返りそう口にする久谷さん。ん? いったい、どうしたの――



「――私も、狙っちゃおうかな? 蒔野さんみたいに」

「……っ!? ……へっ、いや、でも……」

「ふふっ、冗談だよ。やっぱり面白いね、先生」


 そう、悪戯っぽい微笑で言い残し改めて去っていく久谷さん。……ふぅ、ほんと心臓にわる――



「……おやおや、随分とおモテなようで……何よりですね、由良先生?」


 すると、後方から届く冷え冷えとした声。……うん、ほんと心臓に悪いなぁ。



 




 


 

 











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