黒竜

ノイガー王国に竜が飛来する少し前、アレキサンドライト王国ではいつもと変わらぬ日常が流れていた。

 いつもと変わらぬ日常ということはコービンは馬車馬の様に働き、アレクサンドラは優雅に寛いでいる、そんないつも通りの光景が王城に広がっていた。

 コービンの机の前に長い列が当然の様に形成されている中、コービンは目の前に次々来る書類に追われていた。

 今日も今日とて忙しい日を送っているコービンに思いもよらぬ知らせが入った。

 大きな音を立てて扉が開かれると一人の兵士が飛び込んで大声で叫んだ。

「フーハイシティル前王が残存兵と共に国境を超えました!王都に向かって進軍しております!」

 その知らせに部屋の中は一気に騒がしくなった。仕事どころではない。

「まただと!」「なんてしつこい奴だ」「また仕事が増える」

 誰もが仕事を忘れて思い思いに話す中、コービンは焦りながらも指示を出していく。

「えっと、直ぐに騎士団長と関係閣僚を呼び出してください。緊急会議を開きます。私も直ぐに行きます」

「承知しました!」

 兵士は指示を受けると直ぐに部屋から出ていった。

 コービンは近くにいた部下に一言二言指示を出すと立ち上がり部屋全体に聞こえる様に大きな声を出した。

「私は席を外します。何が起こるか分かりません、皆さん城内で待機していてください」

 そう言い残すとコービンは急いで部屋を出て会議室に向かった。

 廊下はいつも以上に騒がしく、会議室に向かうコービンに皆心配そうな視線を送った。

 いくら前回アレクサンドラが追い払ったと言えど、戦争は誰しも不安になるものだ。特に城内の人間はアレクサンドラの気まぐれをよく理解している。前回同様コービンだけがアレクサンドラを動かすことができるのだ。それを皆分かっていた。

 そしてその期待が自分に乗っかっているのもコービンは理解していた。

 コービンが会議室に着くと既に何人か集まっており、その後も続々と参加者が会議室に入ってきた。

 前回の侵攻と違い、この国にも多くの役職ができてコービンの仕事を分散している。それがこの会議室の状況から見て取れる。全員が国をよくしようと日夜働いているのだ。

 これがこの一年コービンが身を粉にして働いてきた成果である。

 騎士団長のアイビーが遅れて到着してようやく会議が始まった。

「では騎士団長から状況報告をお願いします」

 コービンが告げると立っているアイビーが話し始めた。

「はい、部下からの報告によると今朝ゴーエッド王国側の国境からフーハイシティル前王が率いる軍が越境してきました。数はおよそ三千。前回の侵攻では一万であった為大幅に数を減らしていますが我が国からしてみれば脅威には変わりません」

 経済が混乱した国をここまで纏められたのは防衛力をアレクサンドラに依存したからである。その予算を経済活動に回し何とか持ち直した。なので未だに騎士団の数や装備など他国から見ると圧倒的に少なく戦争などできる状況ではないのだ。

 そうなると参加者の視線はコービンに集中する。形式的に会議をするがなんてことはない、結局はコービンからアレクサンドラに頼むだけだ。

 その事はコービンも重々承知の上だ。それでも一応会議を開いて意思確認をするのに意味がある。何事も独断専行は軋轢を生み出す。これがこの国の新しい政治の形である。

「それと報告によると敵軍は切り離された竜の頭と身体を運んでいるらしいです。大きさはアレクサンドラ様の竜の姿と同程度です」

 アイビーの発言に皆困惑した。

「竜の頭?」「貢物か?戦争する気はないのでは?」「それなら書簡の一つでも届くはずだ」

 フーハイシティルの行動が分からぬ一同は答えの出ない発言を繰り返した。

「えっと、侵略行為には間違いないのですね?」

 コービンが改めてアイビーに伺った。

「はい、国境付近の村から略奪行為をしているとの報告も」

 アイビーの報告にコービンの顔は大きく歪んだ。

 戦争は避けられない。それが決定事項となった。

 そうなればここから動けるのはコービンだけである。参加者の期待や不安といった視線がコービンを突き刺す。

 コービンは覚悟を決めて立ち上がった。

「分かりました。アレクサンドラ様に協力を陳情しましょう。もしかしたら前回の様に国民を動員してのお願いになるかもしれません。皆さんはこのまま待機していて下さい」

 コービンは大きく頭を下げて部屋から出ていった。

 残った面々はことの次第をただ待つだけである。

 コービンの顔は険しいが足取りは速かった。迫り来る敵軍に対してダラダラと悩んでいる時間はない。重い足取りを無理やり動かしてアレクサンドラがいる書庫に向かった。

 書庫の前の扉に立ったコービンは大きく深呼吸をしてから扉を開けて叩いた。

「コービン・ヘツラウェルです。アレクサンドラ様にご報告に上がりました」

「入れ」

「失礼致します」

 書庫の扉を開けるとアレクサンドラがソファに座りながら本を読んでいた。

 コービンはアレクサンドラに近づき姿勢を正して切り出した。

「御寛ぎのところ申し訳ございません。今さっき報告があり、フーハイシティルが残存兵と共にアレキサンドライト王国の国境を超えたと報告がありました」

「また奴か。懲りもせずご苦労な事だ」

「まったくその通りでございます。アレクサンドラ様の神々しい姿とご活躍を見てまだ歯向かおうだなんて」

「それで?今回も我を駆り出させるのか?」

「大変言いにくいのですがその通りでございます。アレクサンドラ様のご活躍のおかげで前回の一万の兵から三千に数を減らしているのですが、未だに軍の編成が間に合っておらず、アレクサンドラ様のお力をお借りできればと」

「全く手のかかる奴等だ」

「申し訳ございません。それと何やら敵軍の怪しい動きが報告されており、何でも首を切り離された竜を運んでいるとか」

 コービンの発言を聞いた瞬間、今まで余裕の笑みを浮かべていたアレクサンドラの顔つきが険しくなった。

「それは真か?」

「はい、目的は分かりませんがかなりの大きさの竜の首と身体を運んでいると」

「……」

 黙ってしまったアレクサンドラにコービンは恐る恐る質問をした。

「あのーアレクサンドラ様?どうなさいました?」

「本当に救えぬ愚か者だな」

「申し訳ございません。ですがアレクサンドラ様のお力を何卒……」

「お前ではない。まさか黒竜まで持ち出すとは」

 黒竜、それはコービンにとって聞きなれない言葉であった。

「黒竜ですか?それはアレクサンドラ様のお知り合いですか?」

 的外れなコービンの質問に苛立ちながらアレクサンドラは答えた。

「そんな訳がないだろ。遥か昔いた竜族の恥晒しだ。奴は竜でありながら知性や理性を持ち合わせない獣以下の存在だった。魔法も言葉も何一つできない屑よ」

「そうなのですね」

「だが奴は他の竜と違い規格外の生命力を持っていた。幾ら傷つこうが瞬時に再生する程のな。それに加えて異常な程の食欲を持ち合わせて目に映るもの全てを喰らい尽くした」

「なんて悍ましい」

「その黒竜に縄張りを荒らされた竜は瀕死になりながらも奴の首を切り落とした。だが奴は死ななかった。結局は首と身体を別々の場所に離して隔離するしかなかったのだ」

 アレクサンドラから説明された黒竜の情報にコービンは恐ろしくなった。まさかそんな生物がこの世にいるとは全く思わなかった。

 そして一つ嫌な想像をしてしまった。それはこの国の命運を左右する様な最悪なものだ。

「……もしかしてその首と身体をくっつけると再生するのですか?」

「そうだ」

「そんな!我々はどうすればよいのですか?」

「お主に出来る事など何もない。竜は竜にしか殺せない」

「そんな……」

「だから我が直接出向く。我の縄張りを竜に好き勝手されてたまるか」

 勇ましい発言をしたアレクサンドラだがコービンは異変を見逃さなかった。それは毎日の様にアレクサンドラに気を使い顔色を伺っていたコービンだから感じられた違和感であった。

 アレクサンドラの顔が少し強張っている様に感じられた。いつもの様に不敵に笑っているがどこかぎこちない、そんな些細な変化であった。

「アレクサンドラ様、一つお聞きしてもよろしいですか?」

 コービンは聞かずにはいられなかった。

「なんだ?」

「以前黒竜を倒した竜は今どちらに?」

 その問いにアレクサンドラは即答しなかった。コービンの質問の意図を理解したのだろう。ほんの少しの沈黙の後アレクサンドラは口を開いた。

「戦いの後程なくして死んだ。傷が深くどうにもならなかった様だ」

「緑竜殿に協力を要請しましょう!アレクサンドラ様だけでは危険です!」

「我を愚弄するのか!」

 アレクサンドラはコービンに向けて殺気を放った。コービンは震え上がり立つ事もままならいい。手の平と膝を床につき謝るように声を震わせ弁明した。

「申し訳ございません!ですがそんなつもりはありません!アレクサンドラ様のお力を疑うつもりなど全くありません!」

「なら何だというのだ?」

「もし万が一アレクサンドラ様の美しいお体に傷がつこうものならそれは王国、いえ人類の損失です!ここは緑竜殿と手を取り万全を喫して……」

「竜とは孤高の存在。己の力で縄張りを守れぬ者に竜を名乗る資格は無い」

「確かにアレクサンドラ様は竜でございますがそれと同時にこの国の王なのです!どうかお考えを改めて下さい」

「くどいぞ。お前の願い通り奴等を殲滅してやる。それでいいだろ?」

 アレクサンドラはコービンを無視して書庫から出て行きその足でテラスへ向かい外に出た。

 そこから城下に広がる街並みを見た。そこには民の暮らしがあった。アレクサンドラには全く興味のない事だがそれらを蹂躙されるのは無性に腹が立った。

 それは己の縄張りだからか、それともこの国の王だからなのかアレクサンドラ本人にも区別はつかない。

 アレクサンドラはテラスの手すりに足をかけるとそこから飛び立ち竜の姿になって空を飛んだ。

 街では竜の姿をしたアレクサンドラを見て歓声が上がる。誰もが空を見上げて手を伸ばしアレクサンドラの出立を見送った。

「まるで見せ物だな……」

 アレクサンドラはそう呟いたが悪い気はしていなかった。

 死を覚悟したアレクサンドラは空を駆ける。目指すはゴーエッド王国との国境。

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