ゾンビが歩く世界以外は知りません
落花生
第1話 ソメイヨシノのよみがえり
目を開けた瞬間に見えたのは、知らない男だった。
男は目の開いた私に感動しているらしく、目を潤ませながら両手で口を押えていた。
まるで、死亡率の高い手術に成功したかのような雰囲気だ。だが、私は生まれてこのかた大病には縁がない。体の丈夫さには、自信があった。
「つぅ……」
立ち上がろうとしたが、私の手足は椅子に縛り付けられていた。
それを知らずに動いたせいで、ロープが手足に食い込んでしまった。その痛みより、縛られているという事実を確認した私は混乱する。
目覚めたら縛られていたなんて、映画の世界だけのお約束だ。日常生活においては、経験するようなことではない。
おちつけ、私。
今がどういう状況下は分からないが、私を縛ったらしい変質者と同じ部屋にいることには変わりない。
犯人を刺激しないようにしなければ。
ちょっとでも犯人の気が変わったら、殺されてしまうかもしれない。
「こんにちは。私は、ソメイヨシノというの。春に咲く花の『桜』って書いて、ソメイヨシノって読むのよ。面白い名前でしょう」
こういう手合いには、被害者たる私が人間であると印象づけるのが大切だと聞いたことがあった。
変質者にとって、被害者は人形のようなものと捉えていることがあるらしい。会話を試みて、私も自我がある人間であると理解させるのだ。成功するかは分からないが。
「やはり、成功だ!伝説の科学者であるソメイヨシノが復活したのだ!!」
男の大声に、私の身体が反射的に恐怖する。身体が硬直してしまうし、自分が何をするべきかも分からなくなった。
頭が真っ白になるというのは、こういうことなのだろう。縛られたあげく、変質者と同じ部屋にいるのだ。恐怖を感じるのは、致し方ないことだ。
特に、私は女だ。
痩せている男相手であっても力負けしてしまうであろう。
それにしても、おかしな場所だ。
部屋は薄暗くて、なんの役に立つのか分からない単純な機械ばかりが並んでいる。
素人が科学者に憧れて、適当な機械をかき集めたようだった。見てみれば、男は白衣を着ている。
だが、寄せ集められた機械のせいでコスプレのように見えてしまっていた。恐らくだが、私の勘は当たっている。
男には、知性を感じない。
マッドサイエンティストに憧れて、格好だけそれらしくしているだけだ。
「ソメイヨシノ、あなたはゾンビを撲滅させるための薬を発見したと聞いた。この研究所をフルに稼働させて、その薬を作って欲しい」
この男は、何を言っているのだろうか。
私は、怪訝に思った。
「その薬は、実験段階で失敗作だと証明されたわ」
この世界は、とある製薬会社のせいで歩く死体に覆われた。私は世界を救うために研究を重ねて、とある薬を作り出した。
画期的な発明だと世間は湧いたが、私の発明には決定的な弱点があった。
ゾンビに直接注射しなければ効かないのである。走って獲物に食らいつくゾンビたちに注射をするというのは、非常に難しい。
実質的には、無理な話なのだ。だから、役に立たない薬と言ってもよかった。
だというのに、マスコミは先走った。
あらゆるメディアが、ゾンビに対する特効薬が作られたと発表してしまったのだ。
報道は正しくもあったが、この薬は解決策には遠く及ばない。数が増え続けているゾンビの一体一体に注射をするなど現実的ではない。
人類の希望にはなれない。
「ソメイヨシノ、あなたは人類を救うために復活した。人類を救うのは、君の義務だ」
この男は、何を言っているのだろうか。
復活だなんて、まるで私が一度死んだような口ぶりだ。
私は、死んでなどいない。
死んでいたら、こうやって男の言葉を聞くことは出来ないだろう。
「いや……違うわ」
時間が経つにつれて、私の記憶が鮮明になっていく。それにともなって、私は自分の最期を思い出した。
「私は……胸を何度も刺されて……」
私は、職場で刺された。刺したのは研究所の清掃員だったと思う。
そこで、私の視界にはいる手の皮膚が若々しいものであると気がついた。まるで、若返ったような手だ。しいていえば、十代の頃のような。
「私の手じゃない……」
手入れを怠っている私の手は、とても荒れていたはずだ。こんな綺麗な手は、私の手ではない。
どうして、と言う前に男は私の拘束を解いた。そして、手鏡を持ってくる。
鏡に映るのは、疲れた中年女性の顔ではない。
そこにいたのは、美しい顔立ちの少年だ。まだあどけない顔立ちをしている少年の顔は、驚きに彩られて私を見ている。
「だれ……誰よ。これ」
驚きの余り、私は手鏡を落とす。
ぱりん、と小気味いい音をたてて鏡は割れた。割れたガラスの破片は、相変わらず美しい少年の顔を映している。
私は、改めて部屋を見渡す。
私の身に起きたことの手がかりになるものはないか、と探していたのである。
私は、部屋の奥に不気味なものが鎮座しているのを見つけてしまった。ホルマリン付けにされた人の脳だ。
ちゃんとした手入れをしていないせいもあって、脳はホルマリンを吸い取ってぶよぶよになっていた。
「ソメイヨシノ。この世界は、あなたが亡くなったから三十年後の世界です」
あの脳が、私。
ここは、私が死んでから三十後の世界。
それはすなわち、ゾンビの脅威に世界がさらされて三十年が経っているということ。
「私は、あなたの脳の情報を少年の脳に入れ込んだのです。そうやって、あなたは記憶を持ったまま生まれ変わった」
そんなはずがない。
こんな粗末な設備の研究室で、死んだ人間の脳から記憶や人格を移植するだなんて魔法みたいなことが出来るはずがないのだ。
死んだ私の生まれ変わり先が少年で、何かのショックで私の人格が復活してしまったという方がよっぽど納得できる。
そんなことを考えている内に、重大なことに気がついた。
私は、ソメイヨシノとしての記憶がある。
しかし、身体は見知らぬ少年のものだ。
この少年の記憶や人格は、どこに行ったのだろうか。もしや、私が殺してしまったのだろうか。
私は言葉を失いながら、自分の胸元に手を当てた。心の中で少年の人格に呼び掛けるように祈るが、答えるものはいなかった。
私は、一人の少年の人格を殺してしまったらしい。
「この子……。私の身体の少年の名前は?」
私の疑問に、男が答えてくれなかった。むしろ、どうしてそんなことが気になるのかという顔をする。
「私は……私は……」
私の頬に、涙が伝った。
「私は……」
私は、ソメイヨシノ。
かつての死人で、一人の少年を犠牲にして生き返った。まるで、この世に蔓延るゾンビのように。
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