第32話「転生」

 後日、魔王からは改めて「蔵の中の物を好きに使え」との通達が来た。

 ノヅチはヒウマンを伴って、再びガラクタの山と向かい合う事にした。


 ガラクタ……、などと言うのは失礼であろう。

 例えば、今、ノヅチが手にしている精緻な金細工の小箱には、どのくらいの価値があるのだろうか?

 足元で鳴き続けている渦巻ゼンマイ仕掛けの金糸雀カナリヤは、どういう仕組みで動いているのか?

 部屋の隅に立て掛けられた美人画は、絵画史において重要な一品ではないのか?


 室内に転がっている財物のいずれもが、見る者が見れば、その扱いに卒倒する品々に違いない。

 だが残念な事に、ノヅチは良い倭刀を打てる素材以外に興味が無い。

 貴重な人類の財産が、文化史にさしたる興味の無い人間の手によって、大雑把に片付けられていく。

 それはとても悲しい事なのだろうが、明日に片付けられるのは我が身かもしれないと思えば、些事に囚われている暇は無かった。


「何て言うかさ、ボクたち、単なる雑用に使われてない?」


 名物の山に当たりながら、ぼそりとタタラが呟いた。


「閣下はあれで、飽きっぽいクセに凝り性なお方なんで。

 宝物庫を好きにさせてくれるってだけでもお優しい話ですよ」


 棚の分類を進めながら、諦観気味にヒウマンがぼやいた。




 結局、ノヅチ達はそれから丸一日かけて、眉唾物の数々と向かい合う事になった。


「ねえヒウマン、この捻じくれた杭みたいなの、なに?」


「ああ、そいつはかの霊験あらたかなる、一角獣ユニコーンの角ってやつですね。

 そいつを煎じて飲めば、万病に効く解毒薬になるとか何とか」


「へえ……、けど、お薬の素材じゃあ武器にはならないか」


 そう言って、珍し気に角を掲げる少女の姿を、ヒウマンが横目で笑い飛ばす。


「まっ、実際の所、そいつの正体は北海で獲れる海獣の牙なんで、煎じた所で何の御利益も無いでしょうがね」


「はあ、何なのそれ?

 アンタのご主人様は、なんでそんな物を後生大事に取っておいてんのさ?」


「……ヤツにとっては、どっちも大した差じゃあ無いんだろうさ」


 推し並べた短剣の数々を吟味しながら、ノヅチが一つ、ぽつりとこぼした。


「一角獣と海獣の違いなんて、本当にどうでもいい事なんだよ。

 ただ、北方の商人たちが名うての好事家を欺く為、そいつを南方に持ち込んだ。

 角それ自体の価値よりも、そこにまつわる四方山話に魅力を感じてるんだろうよ」


「ふうん……、なんか意外。

 親方って、そういうの分かるんだ?」


「いや、ちっとも分からねえ、けど……」


 そういうのが、分かる奴がかつていた、と心の奥底でそっと呟く。

 名刀と数打ちを共に並べて月下に晒し、酒の肴に語らう女――


 所詮、蒐集家を自任する輩などと言うのは、種族も立場も問わず、誰にも理解出来ない領域を持つものなのかも知れない。


「へへ、旦那も中々話せるじゃあないですか」


 ノヅチの言が気に入ったのか、ヒウマンが揉み手をしながら背後に寄って来た。


「ねえ旦那、あのお方の事を、そこまで理解出来ているのなら。

 いっその事、本格的に閣下に仕えてみるってのはどうですかい?」


「……正気で言ってんのか、お前?

 俺が人類の仇敵に仕えるって?」


「ハン! そんなのもう、一本打とうが十本打とうが同じ事でしょ?

 まあよく見て下さいよ旦那、この財宝の山」


 そう言ってヒウマンが諸手を広げ、うっとりと宝物庫全体を見渡した。


「今後の旦那の人生において、閣下以上のパトロンを得られる機会がありますか?

 旦那が望むなら、どれほど稀有な素材……

 それこそ、あの黒鋼アダマンタイトだって、閣下は用意なさる事でしょうよ。

 最高の倭刀を打ちたいという旦那の大望を叶えられるのは、閣下のお膝元でこそだとは思いませんか?」


「その為にあの傍若無人に対して、命懸けで胡麻を擦れって?」


 冗談じゃねえ、と思わず舌打ちが漏れる。

 これは、人間としての良心だとか、そういう殊勝な感情ではない。

 そもそもノヅチはパトロンに対し良い記憶が無いのだ。


 好きでも無い相手のご機嫌を伺い利益を得る。 

 それは、良い悪いだけを鉄に求める、シンプルな槌振りとは真逆の生き方だ。

 まして、仕える相手は曲がりなりにも本物の『魔王』である。

 いずれは何かをしくじって、あるいは彼女の気紛れ一つで、自分は命を落とす事になるであろう。


 ヒウマンに言わせれば、パトロン一つ持てない流浪の槌振りなど、遅かれ早かれ、野垂れ死にする運命なのかもしれないが、それならば尚の事、死の直前まで、混じりっ気のない鉄をひたむきに打ち続けるような生き方をしたいと切に思う。


「ヒウマン、ウチの親方におかしな事を吹き込まないでよね」


 淡々と名物の整理を進めながら、タタラがちらりと横目で釘を刺した。


「親方はね、世界を救う為の剣を打つのが夢なんだよ。

 単に世界最強の剣を打てればそれでいいって話じゃないの。

 過程が大事なんだよ、過程が」


「へっ、そいつぁご立派な志だがねえ。

 そんな立派な人間が、己が命惜しさに魔王と取引するってのはどうなんですかい?

 旦那はその辺、自分の中で、どう折り合いをつけてるんです?」


「……そいつはよう」


 何の気なしに抜いた短剣の輝きを前に、開きかけた口が思わず止まった。

 無駄話を止め、目の前の地金に意識を集中する。


 地金、と言ったが、手にした刃のそれは明らかに金属では無かった。

 何らかの硬質な素材を、大雑把に刃の形に整えただけの大振りな短剣。

 赤色の刃は頭上に翳すと、陽光を透かして橙に輝く。


 慎重に刃先に触れて見ると、じっとりと指先に熱さを感じた。

 火傷するほどの温度ではなかったが、素材自体が高熱を発しているようだった。


「……っと、お目が高いねえ、旦那。

 赤竜の短剣に目をつけなさいましたか」


「赤竜……?

 ならこいつは、伝説に謳われる竜鱗ってやつなのか!」


 不意に話題に上がった『伝説』を前に、思わずノヅチの口から驚愕が漏れた。

 神話の時代から強大な怪物の代表として、人々を畏れさせる巨竜の存在。

 あらゆる武具を受け付けないという強固な鱗を、そのまま刃に加工出来たなら、理屈の上では、確かにそれはあらゆる装甲を引き裂く、強力な剣に成りうるだろう。


「……なあヒウマン、ひとつ聞きたいんだが。

 この鱗はどうやって加工したんだ?」


 ぽつり、と槌振りとしての素朴な疑問が零れた。

 あらゆる武具を受け付けない強固な鱗を加工したのは、どのような手法なのか?

 赤竜と言えば、肚にマグマが沸いているとも謳われる炎の化身である。

 通常の冶金術が通用するとは思えない。

 そんなノヅチの疑念に対し、ヒウマンは大袈裟に肩をすくめて首を振って見せた。


「さて……、素人のあっしに仔細はわかりませんがね。

 竜鱗の加工は、一説には冶金ではなく錬金魔術の領域とも聞いた事がありますぜ」


「魔術……、か

 そりゃ俺達の分野とは遠いな」


「ねえ旦那。

 いっそ此処に留まって、そいつの研究をしてみるってのはどうですかい?

 なあに、旦那くらいの情熱があれば、半世紀もあれば立派な魔術師になれますよ」


「その話はもう耳にタコだぜ」


 ヒウマンの熱心な勧誘を打ち切って、おもむろにノヅチが腰を上げた。


「生憎とこっちは、槌振りをやめる気はさらさらないね。

 とはいえ、折角の名剣に出会えたんだ。

 ちょっとぐらい切れ味を試してみても、バチは当たらないだろ?」


「旦那、一体なにをするつもりで?」


「丁度、解体に使えそうなな名物を探してたのさ。

 お前にゃ悪いが、こっちは本命は最初から決めていたんだ」


 そう言うが早いが、ノヅチは短剣を片手に、ずんずんと蔵の奥へと歩き始めた。

 推し並ぶ武具の束をすり抜け、父親の鍛えた曰くつきの黒刀を横目にさらに奥へ。


 蔵の最奥、両断された玉座に辿り着くと、ノヅチはどかりと腰を下ろし、恨めし気にこちらを見上げる半割れの鉄仮面に対し、両手を合わせて瞑目した。


「旦那……、アンタ、もしかして」


 ようやく追いついたヒウマンが、壇上の鉄塊とノヅチの背中を交互に見比べながら、呻きにも似た声を洩らした。


「お前の主は『使』と、そう言っていたよな?」


「……正気ですかい、旦那?

 そいつは三百年に渡り人の世に祟り続けた魔性の武具だ。

 あの可哀想な姉弟を始め、どれほどの人間がそいつに苦しめられた事か……」


「いみじくも魔王のヤツが言った通り。

 人の世に祟った魔王の鎧は、とっくの昔に死んでいるさ」


 そう言って、ノヅチは顔を上げると、両断された鋼鉄の骸に改めて向かい合った。


「だが、古鉄颪ふるがねおろしは東島アズマの十八番だ。

 一たび死んだ鉄も、火を入れさえすれば何度だって甦る。

 魔性の鉄に新たな命を吹き込む……、それが槌振りなりの供養って奴だろうよ」


「信じられねえ……、どういう神経してやがるんだ?

 アンタだって、一度はそいつに殺されかけたでしょうに」


「ああ、だから猶更執着するね。

 あの魔性、身に迫る恐怖の正体が、こさえた仕手の力量なのか?

 あるいは鉄の地力の証明なのか。

 幸い持ち主の許可は貰ってるんだ、好きに試させてもらうぜ」


「けど、よりによって……」


「道具自体に善悪は無いよ、ヒウマン。

 作り手の仕事に良し悪しはあってもね」


 なおも言いつのろうとしたヒウマンの背を、タタラがポン、と叩いて言った。

 はあ、と大きく息を吐いて、厄介者を扱うようにヒウマンが呟く。


「旦那……、アンタ、イカれてますぜ、相当」


「そうかい?

 けどそうじゃなきゃ、お前の主人はこんな所まで、俺を呼び出したりしないだろ」


 手元の短剣を引き抜き抜きながら、自嘲気味にノヅチが笑った。

 結局、これが育ちの悪い槌振りの性分という訳だ。

 ひたむきな少女の頼み事であれば、人助けの真似事をしてみたりもする。

 だがその相手が魔王に変われば、たちまち毒され我欲に奔る。


 それに、今度ばかりは手段を選んでいる余裕はない。

 挑むべき敵は自らの師だ、魔王は所詮、審判員ジャッジでしかない。

 今の自分に鉄以外の価値は分からないし、腰を据えて探求するほどの時間もない。

 

『――壊れた玩具おもちゃなど何の興味も無いわ』


 先日、魔王が放った一言に感じた、慮外の怒り。

 ここに突破口があると感じた、自身の嗅覚を信じたかった。


(見せてみろよ、魔王の鎧リビングアーマー

 お前は玩具になる為に生まれてきたワケじゃないだろ?)


 手にした短剣をかざし、鋼鉄の残骸に手をかける。

 抜け殻の胸甲は何も応えず、再び炎にくべられる時を、じっと待ち続けているようだった。






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