【23:二人だけの特訓】
夜中のオーガストの来襲により、ほとんど眠れないままソファの上で寝返りを打ち続けた。重いまぶたをこすり、遅い夜明けの太陽を皮膚に感じながら、リュシーの待つ邸宅へ向かって杖をつく。
夏至が過ぎ、夏が終わり、秋も深まりつつある。そしてもうすぐ早い冬が来ようとしている。イズラフェルの生まれた地域も冬は底冷えしたが、雪はさほど降らなかった。グレイン領は故郷よりもずっと高緯度だ。あと少しすればこの道にも雪が積もり、日照時間も更に短くなるのだろう。
邸宅についた。ポーチの階段を三段登り、イズラフェルはノッカーに手を伸ばす。
「おはようございます。リュシー、エスター」
建物からは返事がない。それどころか、いつも漂っているはずのスープの匂いもしない。
「リュシー? いるのですか? まだ寝ているんですか?」
まさか強盗にでも遭ったのではないか。愛するものと死別するなんて珍しいことではない――昨夜のオーガストの言葉が耳元で蘇り、イズラフェルの背筋が凍った。
「リュシー!」
鍵はかかっていなかった。騒ぐ心臓を無理やり落ち着けて、室内に立ち入る。
人気はない。優しい匂いも温もりも。だが血の臭いも、暴力の空気もない。あるのは朝の静寂だけだ。
テーブルに触れると、朝日に照らされている部分だけが温かかった。
「……?」
その時やっと、彼の耳は音を拾った。裏庭の方だ。
「リュシー、いるんですか?」
立て付けの悪い、重い勝手口の扉を開ける。小さな裏庭には、魔法が満ちていた。杖を振る音、魔力の流れる気配、術式が発する空気。靴の裏に魔法陣の存在を感じ、イズラフェルは慌てて足を引っ込める。
魔法陣の中心で、リュシーが「えいっ! えいっ!」と魔法を放っていた。彼女の周りに浮いた無数の光の弾は、壁に当たって砕けていく。
何をしているのか、見えなくても分かった。魔法の壁打ちだ。イズラフェルは「へえ」と思わず感心し、
「その壁、魔力を吸収する石材ですか? こんな設備があるなら、教えてくれてもよかったのに」
今まで無心だったのだろう。イズラフェルの言葉に、リュシーはハッと顔を顔を上げる。
「イズラフェル様! おはようございます!」
「ええ、おはよう。リュシー。こんな朝早くから、何をしているんですか?」
柔らかい芝に杖の先端がふかふかとめり込む。リュシーは少し恥ずかしそうにしながら、
「えっと、魔法の練習です。今日は、攻撃魔法を少し」
「一生懸命ですね。少し見せてくれますか? あ、私、見えませんけど」
「イズラフェル様ったら、またそんなこと」
リュシーはイズラフェルの自虐に苦笑いしながら、彼の要求通り、さまざまな術式を組み立て、都度説明を交えながら魔法を発動した。
「やっぱり森には動植物に似た魔物が多いですから、火の魔法が有効ですよね?」
「そうですね。しかし中には土や石から生まれた魔物もいますから。火の魔法だけ優れていても、少々心許ないかと。それと水の妖精などにも分が悪いですね」
「火力を上げて蒸発させるのはどうでしょう?」
「悪い手ではありませんけど、骨が折れますよ。やってみますか?」
イズラフェルは見えないながらに狙いを定め、勝手場の水瓶に魔法をかける。ただの水から生み出された小さな水ゴーレムに、リュシーは何度も火球をぶつける。
水ゴーレムが水蒸気に帰した頃には、リュシーは肩で息をしていた。
「ねえ、リュシー」
「はい」
「あなたは何を目指して、そんなに努力をするんですか?」
夜よりも明け方の方が寒いというのは本当だ。高緯度のグレイン領、秋の遅い夜明け。想像していたよりもずっと冷たい。
リュシーが暖まれるようにと、イズラフェルは手中で小さな火を起こす。
――夫婦関係ノ修復ニハ、相手ノイイ所ヲサリゲナク褒メマショウ――
「あなたの魔術は既にそこそこ。いえ、領立軍の一員として十分やっていけると思いますよ。講師の一人としてこんなことは言ってはいけないのかもしれませんが、あなたはあんな初心者向けの講座で勉強するレベルではありません」
「そんなことないです。だって、まだちゃんとゴーレムも造れませんし」
「魔法にはさまざまな分野があります。得意な分野もあれば、苦手な分野も当然あるはずです。ですがシンプルに相手を攻撃する魔法であるなら、あなたの技術は決して低くはありませんよ」
「……でも、この間のガーゴイルには勝てませんでした」
イズラフェルがグレイン領にやって来たあの日。初めて会った時、ガーゴイルと魔物の群れを相手に、リュシーたちは全滅しそうになっていた。
「ああ、ガーゴイルはね。あれは強いですよ。魔法もあまり効かないですし、剣による攻撃もほとんど通じませんから。普通ならよほど瘴気の濃い【森】の深くにしかいないのです。たまたま出会ってしまったのが運の尽きですよ」
「そうなのかもしれませんけど……。イズラフェル様は倒せたじゃないですか」
リュシーは手の中で光の弾を生み出すと、一ヶ所だけ色の変わった壁に叩きつける。
「あの時、あなたが来てくれなかったら、わたしもアランもみんな死んでいました。わたしがみんなを守らなきゃいけなかったのに。だからわたし、強くなりたいんです」
「あなたが領主の娘で、みんなを守るのがあなたの義務だから?」
「もちろんです」
そう意気込み、リュシーはガッツポーズをした。細い腕の、弱そうなポーズだ。見えなくても、手に取るように分かる。
「あなたは偉いですね、リュシー。ですが、そう思い詰めることはありませんよ。私が一緒にいる時は、私が倒します。ガーゴイルだけではありません。ゴーレムでもサイクロプスでも、もちろん竜でも」
「ダメですよ、そんなのやめてください。そんなことをしたら、あなたが」
魔力の使い過ぎによって色褪せた髪と、顔面まで達している魔流痕。残り寿命の少なさを示す、魔術師としての末期症状。
イズラフェルはリュシーの悲痛な声を聞きながら、満足して微笑んだ。自分の左手で、顔に走った魔流痕に触れながら、
「大丈夫ですよ、リュシー。ですからそんな悲しい声を出さないでください。私はね、魔術師として誰かを守り、寿命切れで死ねるのならば、それが本望なのです。そうすれば何も恥じることなく、胸を張って永久の光の野に行けるでしょう?」
「……」
イズラフェルの不穏な言葉に、リュシーはシュンと閉口した。『しまった』と思ったがもう遅い。またネガティブなことを口走ってしまった。どう場を取り繕おうかしどろもどろしていると、脳内にカトゥーバのたどたどしい音声が蘇る。
何カ一ツデモイイノデ、夫婦デ同ジ行動ヲ取ルノモ効果的デス――
「リュ、リュシー。今日、何か予定は?」
「ええ、お約束があるんです。一応、お仕事ですけど」
「そう、ですか……」
何か一つでもいいので、
夫婦で同じ行動を。
「今日、あなたの仕事について行ってもいいですか?」
「え?」
思いもよらない申し出だったのだろう。リュシーはきょとんとしている。間違ったことを言ってしまっただろうか。イズラフェルは慌てて、
「あなたが毎日、どんなことをしているのか知りたいんです。……ああ、お邪魔なら無理しなくていいんですけど」
うろたえているイズラフェルを見て、リュシーはくすくす笑って頷いた。
「はい、喜んで。ぜひ一緒に来てください」
開けっぱなしにしていた勝手口の中から、エスターの声が聞こえた。空になった水瓶を覗いたのだろう。「えーっ⁉︎ やだ、水がない‼︎」と大騒ぎしている。
イズラフェルは頭を掻きながら苦笑した。
「その前に、井戸に行きますか。水を汲んできましょう」
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