第一話

【3:出会い】

『新大陸通信社 新世界歴六九四年六月十四日発行


 本日、大陸北西部のグレイン領より、領主アンドレイ・グレイン辺境伯の二女、リュセット・グレイン嬢が正式に婚約したと現地の報道官が発表しました。お相手は元王立軍所属の魔術師、イズラフェル・フォン・ラルターシャ氏とのことで――イズラフェル氏は盲目ながら各地での戦闘、魔物から征服地を奪還するなど、数多くの功績を持ち――前年にはセレスティア国王より叙勲され『光なき英雄』として有名でしたが、その後しばらくは公の場には現れておらず――グレイン辺境伯は以下のようなコメントを――』



 大陸広しとはいえ、このグレイン領、そして領主アンドレイ・グレイン辺境伯を知らない人間はどこにもいないはずだ。


 リュシーにとって父アンドレイはひたすらに強く、豪胆で、そして忙しい人だった。現に彼の執務室は激しく散らかっている。デスクの上は資料や手紙で埋め尽くされており、床には目を通していない各地の新聞が山になって積まれている。


 デスクの脇にある惑星儀を回すと、陸地のあちこちが黒く塗り潰されている。リュシーの次兄であり父の秘書官であるオーガストは、インクで黒塗りを書き足して言った。


「また瘴気のせいで滅んだ街が増えたそうだよ」


 オーガストは先日まで父に随行し、王都での貴族会議に出席していた。辺境であるここグレイン領まで届かない情報も多いらしく、彼は持ち帰ってきた話題の暗さで顔を曇らせている。


「王都の情勢はいかがでしたか?」

「不安定のひと言だな。魔物や瘴気に対する恐怖が根底にあるんだろう。貴族はまだしも、民衆はいつも食うものに困っているようだ」


 貧困は治安の悪化を生む。王都の治安についてリュシーが問うと、


「大通りはいいが、路地を一本入ってみろ。治安なんかあったものじゃない」

 オーガストは惑星儀をくるくる回す。

「行きつけの娼館も閉まっていてな。お気に入りの子がいたんだが、東部の貴族に身請けされてしまったらしい。あの子、狙っていたんだけどな」


 リュシーは会ったことのない娼婦の顔を想像する。きっと派手な化粧の似合う、豊満な胸を持った美人なのだろう。


「お兄様ったらまたそんなこと言って。そんな気なんかないくせに」


 オーガストは低くプップと笑いながら、父のデスクに寄りかかる。


「しかし、先程は大変だったな。急な魔物の襲撃なんて。怪我はないのか?」

「足を挫きましたけど、あの魔術師の方が治してくれました」

「ああ、そうか。彼が……」


 あの青年の顔を思い出すと、顔が火照り胸がドキドキする。それを兄に指摘されるのが恥ずかしくて、リュシーは話題を変える。


「ねえ、お兄様。今回の会議、お父様はまた何か問題発言をして?」


 毎年、アンドレイは貴族会議で暴言を放つ。そのほとんどは魔物対策についてだが、時には腐敗した政治や社会情勢に対して言及することも多く、新聞では毎回取り沙汰されている。


 オーガストは肩をすくめた。

「今年は大したことは言っていないよ。恐れ多くも教皇を『バカもん』呼ばわりしただけで。それと王太子には『青二才』ときた。大きなのはそれくらいだな。その場で殺されても文句は言えなかったんだが、生きて帰れてよかったよ」

「そうでしたか。でも、去年の暴言よりはマシでしょうか」

「去年は……。ああ、『産み育てるのが女の戦いだ。戦争など男にやらせておけば良い』だったか? あれにも参った。俺も父の意見に賛同するけどな。だが王都では、そういう考えはもう古い。少ないが女性の傭兵だっているし、騎士として叙勲されている人もいるんだぞ。娼館で『男女差別だ!』と俺まで怒られる始末だ。全く、とんだだ」

「王都の思想は進んでいるのですね」

「そうだな。こういう時、ここは本当に辺境なんだなと思い知るよ。……しかし、あれだな。やはり十年前の言葉を超える暴言は存在しないさ」

「十年前というと、ええと、確か……」


 リュシーが考え込むと、執務室の扉がバンと音を立てて開く。


「勝てばいい」


 野太い声と共に、部屋の主であるアンドレイはズカズカと大股で入ってきた。ソファにドンと腰を下ろすと、スプリングが大きく軋んだ。


「『人類が生き延びられるなら、そこにいるのは我々でなくてもいい』だ。忘れたか? リュシー」


 父アンドレイにまっすぐ見つめられ、リュシーは少し目を逸らした。そして気づく。扉の外に立ち尽くしたままの、青いローブの魔術師の存在に。枝切れのような細い杖。深く被ったフードの下の、糸のような白い髪と顔に刻まれた魔流痕まりゅうこん

 光のない彼の目が、リュシーの瞳を捉える。


 ――さっき助けてくれた、あの魔術師の人だ。


 父の大きな声に、意識を引き戻される。

「しかし済まなかったな。瘴気嵐の影響で馬車が遅れてしまった。お前さんも待ちくたびれただろう。……して、手紙は読んでいるな?」

「はい」


 手紙にはこうあった。『喜べ、お前の縁談がまとまった。戻り次第式の手配を始めよう』と。


「なら話は早い」

 そう言って父は振り返り、ドアの向こうにいる青年に呼びかける。


「おい、そんな所で何をしている? 遠慮しないで入りたまえ」


 彼は少し戸惑っているようだが「ええ」と頷き、部屋へと入ってくる。


 細い杖の先が、カタンと音を立ててソファに触れる。彼は手を伸ばし、革張りの座面を確認するように撫でてから座る。アンドレイは青年の横顔を満足そうに見つめてから、彼の手にガシッと手を置いた。


「彼はイズラフェルだ。イズラフェル・フォン・ラルターシャ……。お前の婚約者だ」


 アンドレイの紹介を受け、イズラフェルの表情が少しだけ緩む。

 リュシーは改めてイズラフェルの顔をよく見た。ガラス玉のように透き通った綺麗な目をしているが、焦点が合っていない。やはり彼は本当に目が不自由らしい。


「ああ、えっと……」


 言い淀むイズラフェル。アンドレイは彼の肩をバシバシ叩く。


「お前さんは『英雄』だろう。女一人相手に何をまごまごしておる? 胸を張れ、胸を」

「はい……」


 彼はリュシーの顔よりも少しだけ上の位置で首を固定しながら、


「こんにちは、リュセットさん。イズラフェルです」


 優しくて柔らかい声と、少しぎこちない微笑み。結婚適齢期の青年というより、恥ずかしがり屋の少年みたいな雰囲気だ。


「ご覧の通り、私は目が見えません。何かとご迷惑をおかけするとは思いますが、よろしくお願いします」

「は、はい。こちらこそ、よろしくお願い致します」


『英雄』は毛むくじゃらのムキムキで、酒臭い中年とは遠くかけ離れていた。知的で優しくて、穏やかで。リュシーが想い描いていた英雄像とは全く違う男が――彼女の理想の人が、そこにいた。

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