第11話 春色の午後とゲームセンター
春の陽気に包まれた街を、ふたり並んで歩く。
駅前の大通りを抜け、人通りの少ない商店街へと足を向けると、週末とは思えないほど落ち着いた空気が漂っていた。
このあたりなら、そう目立つこともなさそうだ。
「……意外と大丈夫そうかも」
キャップを目深にかぶり、メガネをかけた
「せっかくですし、どこか気になるお店とかあります?」
「そうねぇ……あ、あそこ。ちょっと気になるかも」
彼女が指さしたのは、通り沿いに佇む古めかしい喫茶店だ。アンティーク調の木製ドアに、手書き風の黒板メニュー。僕も駅の往来で見かけたことはあったが、中に入ったことはなかった。
外からのぞいた店内は、客もまばらで、ゆったりとした空気が流れている。
僕たちは目を合わせ、軽くうなずいてドアを押した。
中に足を踏み入れると、思った以上に静かで、心地よい空間が広がっていた。
窓際の席に腰を下ろし、コーヒーが運ばれてくる。
瑠香さんはふうっと小さく息を吐き、一瞬だけキャップを取って、さらりと髪をかき上げた。
「……なんだか不思議。ほんとに、普通に外出してるだけって感じがするというか。……カフェでこうしてのんびりするの、いつぶりだろ」
そうつぶやくと彼女は、周囲をそっと見渡す。僕もつられて視線を巡らせたが、店の中の誰もが、自分たちの時間に集中しているようだった。
──もしかすると、仕事が忙し過ぎて、こういった時間すら取れなかったのかも知れない。
有名人である瑠香さんにとって、当たり前の日常がどれだけ遠いものだったかを思うと、こうして隣で過ごす時間が、なんだか少しだけ特別に感じられた。
その後、少しの間ゆったりとした時間を過ごしたあと、僕は前から気になっていたことを切り出すことにする。
「そういえば……大学は、休学されてたんですよね?」
「うん。一年だけだけどね。最初はなんとか通ってたの。仕事の拠点が名古屋だったし、東京にも新幹線で移動出来たから」
そう言いながら、瑠香さんはカップの縁を指先でなぞる。懐かしさをかみしめるように、少しだけ遠くを見つめていた。
「でも、夏くらいかな。ドラマに出るようになってから、東京の仕事が一気に増えて……。さすがに、大学と行ったり来たりはもう無理って思って」
──それはそうだ。
一年次は必修も多いし、移動だけでも体力を削られる。撮影と学業を両立しようなんて、並のことじゃなかったろう。
「東京でのひとり暮らしも慣れちゃったし、もう戻るのは難しいかなって思ってたんだけど……でも今こうしてちょっと立ち止まってみたら、せっかくだから復学してもいいのかな、なんて」
「……そうだったんですね」
「でも、お仕事もどうなるかわからないから。実は、復学の手続きもまだしてないの」
「申請って、ネットとか電話でできたりはしないんですか?」
「ううん、それはさすがに無理みたい。だから、そろそろ大学に行かなきゃなんだけど──」
「じゃあ、そのときは僕、付き添いますよ」
「ありがとう。和樹くんが一緒にいてくれたら、なんだか頼もしいかも」
ふっと笑う彼女に、僕も照れくさくなってうなずく。
「ちなみに、瑠香さんは何学部なんですか?」
「言ってなかったっけ? 和樹くんと同じ、法学部よ。しかも同じ二回生」
「えっ、そうなんですか?」
ということは、きっと同じ授業を受ける機会だってあることだろう。なんだか不思議な感じだ。
「うん。もしわたしの方が先輩だったら、和樹くんのこと、ビシバシしごいてあげたのになー」
悪戯っぽく目を細めながら言う彼女に、僕は苦笑いで返す。
「それ、部活じゃないんですから……やめてくださいよ」
ふたりで、くすっと笑い合った。
忙しさに追われていた彼女が、こうして穏やかな顔で隣にいる。
今この時間を、目一杯味あわせてあげたい。──そんな気持ちが、胸の奥で静かに灯る。
店を出ると、春の風が少しだけ強くなっていた。揺れるスカートの裾に目を留めながら、僕たちは再び歩き出す。
「ねえ、和樹くん。もうひとつ、行ってみたいところがあるんだけど……」
そう言って彼女が指差した先、通りの向こうにはアーケード街が広がっていて、その入口には──懐かしいゲームセンターの看板が揺れていた。
「ゲーセン……ですか?」
「うん。仕事が忙しくなってから、もう二年くらい一度も行けてなくて……。ずっと、また行きたいなって思ってたの」
少しだけ不安げに、僕の顔を見上げてくる瑠香さん。
そんな目をされたら、断れるわけがない。
「行きましょう。せっかくの“外出テスト”なんですし」
「……やった。じゃあ、行こっ」
弾んだ足取りで歩き出す彼女の背中を、僕も自然と追いかけていた。
◆◇
ゲームセンターの自動ドアが開いた瞬間、ほどよく薄暗い店内に、眩しいほどの光と賑やかな音が一気に押し寄せてきた。
小さな子どもたちの笑い声、ゲームの電子音、カップルの楽しげな会話――活気に満ちた空間に、僕たちは足を踏み入れる。
「……ほんとに、久しぶり」
入ってすぐ、瑠香さんがふと立ち止まり、目を細めて微笑んだ。
懐かしさと、それを上回る期待が入り混じったような表情。そんな彼女を見て、僕の肩の力も自然と抜けていく。
「ね、あれ……やってみない?」
少し歩いた先で、彼女が指さしたのはプッシャーゲームのコーナーだった。
頷いて並んだ台の前に腰を下ろすと、僕たちはそれぞれメダルを一枚、投入口に滑らせる。
ジャラリと音を立てて転がるメダルを、ふたり並んでじっと見つめる。
銀色の軌道が抽選口を外れた瞬間、「ああ……」と息を揃えて肩を落とし、つい顔を見合わせて笑ってしまった。
しばらく遊び、次に来たのはUFOキャッチャーのコーナー。狙うのは、ガラスの奥に鎮座する、まるいぬいぐるみ。どこかで見たことのあるキャラクターだ。
「……もう少し右、ですかね」
「こっち? どう、ここで合ってる?」
「はい、多分いい感じだと思います」
筐体の脇からアドバイスを送りながら見守る僕と、真剣なまなざしで操作レバーを握る瑠香さん。
普段は柔らかい表情の彼女が、思いがけず集中した顔を見せると、なんだかちょっとだけドキッとする。
ただ、ぬいぐるみは一度は持ち上がったものの、惜しくもアームから滑り落ちてしまった。
「……ああっ」
「でも、すごく惜しかった。もう一回やってもいい?」
その声には、どこか子どものような素直さがにじんでいた。
僕の知らなかった瑠香さんの一面を垣間見た気がして、なんだか微笑ましい気持ちになる。
そのあとも僕たちは、ドライビングゲームや、格闘ゲームなど、いろいろな筐体を巡っては笑い合った。
僕の下手な運転に、瑠香さんが助手席気取りでツッコミを入れてきたり、ふたりして技が出せずに連打して、揃って大笑いしたり。
──気づけば、外の空気のことなんて、すっかり忘れていた。
ただ、目の前の画面と、隣にいる彼女だけを感じている時間。
それは、“外出テスト”という名目すら忘れてしまうほど、自然で、心地よいひとときだった。
ひとしきり遊んで歩いていると、視線の先にエアホッケーの台が飛び込んできた。
「……懐かしいなぁ」
ぽつりとつぶやいて、瑠香さんが立ち止まる。
「和樹くん、あれ……やってみない?」
「エアホッケーですか?」
不意の提案に僕が問い返すと、彼女はいたずらを仕掛けるように目を細めた。
「うん、せっかくだし、ちょっとだけ勝負しよ。負けたほうが、ジュース一本ごちそうってことで。……どう?」
軽く身を乗り出すようにして僕を見上げるその目には、ほんのりと挑戦の色が宿っていた。
「……いいですけど。ジュースがかかってるなら、全力でいきますよ?」
「当然。そうこなくっちゃ」
言いながら、袖を少しだけまくる仕草をする瑠香さん──
そんな彼女の無邪気な笑顔が、ふと、さっきまでよりも少しだけ、近くに感じられた気がした。
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