真っ黒な俺をごまかしたい
こもれび
第1話 どこだ?
「ん?ここはどこだ?」
気が付いた男は、モニターの画面だけが光っている暗闇の中に立っていた。辺りは真っ暗で、どこを見渡しても目の前のモニター以外は何も見えない。
「一体何なんだ?それにこのモニターは…」
男の目の前で光っているモニターには、何かの映像が映し出されている。よく見ると、それは誰かの視点のようだ。街の中を歩いている。
「どこかで見た気がするな…」
流れている映像に、男は見覚えがあるのを感じた。その不思議な感覚にどこか懐かしさを覚えるが、なかなか思い出せない。
「なんだっけ…?」
考えるような仕草をしながら、ある程度映像が流れたところで、彼は何かを閃いた。
「え…、これ…、俺?」
そう。目の前のモニターに映し出されていた映像は、自分自身の視点だったのだ。男はわけがわからず、
動揺しながらも映像を見ていると、視点の男はホームセンターの中へと入っていった。どうやらここは彼のバイト先のようだ。タイムカードを押し、ロッカーへ荷物を置くと、服の上からエプロンを身に着ける。
「これは…俺のバイト先…?」
(おはようございます)
(おはよう)
視点の男は同僚たちに朝の挨拶を終えると、朝礼へと向かった。すると、後ろから誰かが声をかけてくる。
(おっはよー!)
(おはよ)
(今日も眠そうだね)
「あっ!カナちゃん!」
視点の男に声を掛けてきたのは同僚の女の子だった。名前は『カナ』。彼とは同い年で、親しくしている間柄だ。いつも明るく、愛嬌があり、誰とでも仲良くなれるタイプの人間。そんな彼女が笑顔で声を掛けてきた。
と、その瞬間。さっきまで暗闇だった空間の中に、なぜか自分の声が響き渡る。
――カナちゃん、今日もかわいいなぁ
「えっ?なんだ?」
――朝から癒されるよ
「これは?」
暗闇の中に響く声は、まるで彼女に対する自分の思いが言葉になっているようだった。その内容に、男はひとりで恥ずかしそうにしているが、自分の声は止まらない。次第に声の数は二つになり、三つになり、ドンドンと増えていく。
気付けば、さっきまでひとつだったモニターも二つになり、三つになり、声の数だけ増えていった。その画面には、彼女とのこれまでの思い出や、自分の妄想などが映し出されている。
「なんだよこれ!それにうるさい!」
空間の中には、無数のモニター。そして、多くの声が響き渡った。画面の光は眩しく、聞こえる声はうるさすぎて騒音そのもの。不快にしか感じない。男は目と耳を塞ぎ、なんとか耐えようとするが、次第に苦しくなってくる。
「ダメだ…耐えられない…」
男はその苦しさに耐えられず、ついにはひざまずいてしまった。
「…ん?…なんだ?」
苦しみながらも顔を起こしてみると、自分が居る場所を中心に辺りがピンク色に染まり始めた。周りをよく見てみると、ちらほら赤色になっている場所も見える。
「!?」
空間の色が変化をすると、今度は自分の中に『嬉しい』や『楽しい』といった感覚が流れ込んできた。さらにどこか『興奮』しているような感覚まで覚える。まるで自分自身が、映像の中の状況を味わっているかのように。
こういった感覚自体はどこか気持ち良くも感じたが、数多くのモニターに映し出された映像は目障りで、空間内に響き渡る無数の声には鬱陶しさを覚える。男は自分がどうにかなりそうな感覚に陥り、耐えられずにその場へ倒れ込んでしまった。
「く、苦しい…」
その状態がひとしきり続いたあと、徐々に空間内に響き渡っていた声が小さくなっていく。
「えっ?声が…静かになっていく…」
顔を上げてみると、空間の色は徐々に白色へと変わっていき、思い出や妄想が映し出されていたモニターは、ゆっくりと消えていった。
「ふぅ~、少し楽になったな…」
空間内のモニターがひとつになると、響き渡っていた声は止み、やっと落ち着ける状況になった。
「さっきのは何だったんだ?」
男は静かになった空間で、先ほどまでの状況を考えてみるが、答えは出ない。なぜなら、ここがどこで、何がどうなっているのか、まったくわからないからだ。ただ、彼は初めて自分がパニック状態に陥ったことだけは理解できた。そして、それがとても苦しいことも。
その後はしばらくの間、静かな時間が続いた。真っ白な空間にモニターはひとつだけ。視点の男はとくに喋ることもなく、黙々と棚に商品を並べている。
(今日は遅刻しなかったな)
「ん?店長か?」
(はい)
(次、遅刻したらさすがに時給減らすからな)
(わかりました)
モニターには店長が話している様子が映し出されていた。いつもの遅刻癖を怒られていたようだ。すると、店長の言葉に反応してか、再び空間内には自分の怒りの声が響きはじめる。
――うるせぇよ
「やばい!また始まった!」
怒りの声が響き渡ると、周囲には新たなモニターが増え、そこには過去の店長とのやり取りが映し出されていた。空間内は白色から瞬時に赤色へと変わり、ちらほら炎まで上がっているのが見える。
さらに今度はその場の温度までもが上がりはじめた。空間内はまるで真夏のような暑さだ。男の頬を汗がつたう。無数の映像や声だけでもキツイのに、そこへ暑さまで加わると、もはや地獄のような苦しみだ。
「くっ…、何で暑いんだよ!」
そんな厳しい状況の男の中に、お次は怒りの感情が流れ込んできた。
「やめてくれ…、頼む…、やめて…」
膝をつきながらもなんとか耐える男。怒りが強すぎるのか、一瞬でそれを爆発させてしまいそうになる。だが、それをやってしまうと、何か取り返しのつかないようなことになる気がして、ギリギリのところで踏みとどまっていた。
「これ…いつまで続くんだ…」
(怒られたの?)
「ん?」
イライラしていた視点の男の元へ、カナがやってきた。
(カナちゃん…)
(元気出して!)
(ありがとう)
彼女は男を元気づけるような言葉をかけてきた。すると、彼は冷静さを取り戻したのか、怒りの感情は消え失せ、空間内の温度は戻り、無数の声やモニターは消え去っていった。
代わりに今度は、空間内の色が温かみのあるオレンジ色に変化。体には感謝や喜びといった感情が流れ込んでくる。
「あぁ…、この感覚…、イイな」
優しくて温かい状況に、心と体は癒されるような感覚を覚える。それは自分にとって心地良いものであり、いつまでも『この自分で居たい』と感じさせるほどだった。
「はぁ~、気持ちいい…」
その感覚は、少しの余韻を残してすぐに消えてしまった。
それから1時間ほどが経ち――
男がいる空間内は落ち着いたままで、大して騒がしくなることは無かった。視点の男は仕事に集中していて、黙々と作業をこなしているのがモニター越しにも伝わってくる。
「ん?」
映像を見ていると、モニターの後ろから何かが揺れながら出てきた。それはまるで透明のビニール袋に水を入れたようなもので、プカプカ浮きながら男の目の前までやってきた。手で触れてみると、とても繊細な感じで柔らかく、本当に水のように感じる。
「これは?」
両手で浮いているそれを掴み、どうなっているのかまじまじと見てみると、そこには『肉体』という文字が。
「肉体?何?どういうこと?」
男はそれを掴んだまま、しばらくその感触を楽しんでいた。
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