その路は蒼く風は翠
荒野のポロ
プロローグ
呼ばれてないけど行ってくる
「温めますか?」
「……え? あ〜、いや結構です」
女一人で夜の街に繰り出そうなんて度胸も感性も持ち合わせていないし、どちらかというと朝の涼やかな街が好きだ。できればモーニングをゆっくり楽しみたいから、さっさと帰って寝るつもりだった。
なのにどういうわけか、無性に食べたくなってしまったのだ。
「えっ……本当に? 温めなくていいの?」
立ち寄ったコンビニのレジで、店員が訝しげな顔をする。ノーと答えた後にもう一度、意思確認されたのはこれが初めてかもしれない。
以前に、商品を温める、というサービスを適当にスルーして怒られたりしたのだろうか。あるいは温める必要などない商品であることがピンと来なかったのだろうか。
最近、都会を中心にコンビニエンスストアの店員を外国人が担っているのをよく見かける。浅草のような観光地だと客層も外国人が多いので、むしろ好都合なのかもしれない。
コンビニエンスストアの仕事がその名の通り多岐に渡るのは周知の事実だが、ある意味でシステマティックに決まっていて設備も充実しているので、飲食店で注文を取ったり間違えずに配膳したりするよりは取っ付きやすそうだ。
留学生なら尚更、授業の無い夜に深夜手当のある仕事ができるのは、都合が良いのかもしれない。
けれど仕事を始めたばかりなら、その商品を温めて提供するホットなサービスが喜ばれるか否かの判断が不明瞭になることもあるのだろう。
「はい、温めなくても大丈夫です」
私はもう一度丁寧に断った。
するとどうだ。もう一人の店員が横のレジからやってくるではないか。
もしかすると何気なく使っている言い回しが逆に混乱させているのかも知れない。えーっと、いっそノーサンキューとでも言えば良いのだろうか。日本語で話しかけられているのだけれど。
「本当に大丈夫?」
「これ、温めるでしょ?」
二人して流暢な日本語で「あたため」を強くお勧めしてくる。確かに晩秋の夜である。そりゃあ温かい商品を購入してゆく者も多いだろう。
けれど私は少しばかり湯冷ましをしたくなったのだ。
「えっと、これは温めちゃダメだから」
内心焦って答えてからハタと気づいた。至極真面目な顔で尋ねてくる彼らの心の内がニヤついていることに。向こうも私が気づいたことが分かったのだろう。
「温める?」と再度真面目くさった顔で尋ねてくる。
「もう! 要らないって」と笑いながら返した。
要はおちょくられていたのだ。
私がレジに持っていったのはアイスクリーム。それもカップアイスやアイスバーではなく、箱入りアイスでもない。
バニラアイスをチョコレートでコーティングした、一口サイズの円錐台(プリン型)のアイスを二つ。お値段は数十円。一般には紙の箱に敷かれたプラスチックトレーに幾つか収まる形で販売されるものの、バラ売りを見つけて嬉しくなったのだ。
それにほんの少しで良いという私の希望がミラクル・マッチして選んだのだけど、側から見れば、夜の街のコンビニで子供が駄菓子を買っているようにしか見えなかったのだろう。
時間帯も客足の薄くなる頃合いで、彼らはこれから続く途方もなく長い夜の幕開けから暇を持て余していたに違いない。
「袋要りますか?」
「いいえ、要りません」
「ほんとに温めなくていいの?(ニヤニヤ)」
「温めない!(笑)」
唐突で最後の最後まで訳のわからない寸劇を展開し、「ありがとうございました(面白かったです)」「ありがとうございましたー(ニヤニヤ)」と解散した。
こういったことは日本人の店員ではきっと起こらないだろう。あったとしても、漫画やドラマの中でネタとして描かれるくらいではないだろうか。
まるで同級生と
楽しめる自分を少なからず誇りに思った。
と、そこでまたハタと気づく。
もしや本当に子供だと思われていたのだろうか、と。
何しろ普段から随分と若輩に見られがちなのだ。
例えば、勤務先の大学の図書館で本を借りようとカウンターに行くと、「学生証を出してください」などと言われたりする。もう三十歳も遠に過ぎたというのに。
そっと職員証を差し出すと「あ、失礼しました」と小声で言われたりするのは、もう慣れっこだ。こんなことで傷ついたりはしない。だって美術館の受付でも「学生証を持っていたら出してくださいね」とにこやかに案内してくれたりするのだもの。
そして外国人目線の「日本人は若く見える」感覚がさらなる拍車をかける。
そんな話をすると、同僚にでさえ「いや、普通に学生にしか見えないから」と真顔で言われる始末である。まあ何歳になったって、学生にはなれるわけだけどさぁ。
「すみませんねぇ、働いているように見えなくって」なんて卑屈に考えたりしてませんよ。してませんから。
そんな感じで帰る道すがら頭の中が忙しい。
今晩ちゃんと眠れるだろうかと心配したものの、どうしようもなかった脳内の熱気は小さなアイス二つでしゅんと冷め、意外にもストンと眠りについたらしい。
そして翌朝は何事もなかったかのように、近くのカフェでクロックムッシュのモーニングを食べて上野公園へ向かった。
かれこれ何年も経つのに、あの夜のコンビニでの一幕はずっと記憶に残っている。
彼らは定型的な会話シーンとセリフを活用しつつ、日本語で冗談を飛ばしていた。
外国語でジョークを挟めるのはそれなりに慣れた話者である。何気ない会話までできたかどうかはさておき、ネタとツッコミどころ、そして許容されるおふざけの程度はちゃんと押さえていたと思う。
キミたちは関西に来れば日頃よりもっと楽しく過ごせるのではなかろうか。
最近は目を合わせないまま終わる生気のない日本人店員が増えたなと思うところもあったから、彼らのような存在が日本に爽快な風を吹かせてくれるならそれも良い。
思えばこの見かけの所為なのか、私は見知らぬ人から気軽に話しかけられやすいように思う。これまでの旅でも、何なら人生においても人との関わりは多くあったかも知れない。
まるで小説のワンシーンみたいだ。
ふとした瞬間に、そんな風に感じて立ち止まることがある。
例えば自分に纏わり付くものを振りほどきながら出かけた旅先の街角で。そんな体験をありのままに書いたとしても小説の体を成すのではないか。
それは紛れもなく小説を書き始めた理由だった。
元の生活に戻り、いつの間にか記憶の本流に押し流され、些細で可笑しみのある出来事やその時の感情を忘れて去ってしまうことが、どうにも惜しかったらしい。
けれど「フィクションとして記述されることの多くは、実は世界のどこか片隅で起こった『真実』なのかもしれない」と思うと、より一層、心が旅に
「居心地の良い場所を離れ、世界の冷たい風を浴びよ」
それは誰かに言われたことかも知れないし、本に登場したセリフかも知れない。
別に自分探しをしたかったわけじゃない。
本当の自分は世界のどこでもなく、はじめから自分の中にあるものだから。
見知らぬ土地の風に触れて驚嘆し、感動する情動に刺激され、次第に内なる己が浮き彫りになる過程を、新たな自分になりゆく過程を『旅』と呼ぶのだろう。
そして嘘みたいな本当の話に出逢う。
わたしも、貴方も。
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