第41話 Barber’s Trap2〜理容室の罠2
「Barber’s Trap」の店主は敷島に特別長い肩揉みを施してくれた。
敷島と店主は今や良き友人だった。
店主は敷島を慕っていた。
それがこの情のこもった肩揉みに表れていた。
2人の距離を縮めるための最初の一歩を踏み出したのは敷島の方だ。
しかし、その一歩を踏み出したのは5回目に訪れたときだった。
敷島がここに来るペースは月一回だから5ヶ月をかけたことになる。
そこまで時間をかけたのは、敷島がこの店を警戒したことによる。
敷島は「Barber's Trap」が「
「Barber's Trap」は店内の雰囲気がダーティだった。
しかし、ただダーティなのではなかった。
スタイリッシュなダーティーさだった。
それが敷島の第一印象だった。
2回目に来店したときには、すでにこれは「殺家ー」経営ではないと感じていた。
「殺家ー」にしてはあまりにも洗練され・サービスが細部まで行き届いていた。
それでも敷島は慎重になった。
3回目に来店したとき、「殺家ー」とは無関係だという敷島のカンは確信に変わった。それでも尚4回目は様子を見た。そして、5回目、敷島は店主に話しかけた。
「無口なんだね」
「すべての床屋がおしゃべりとは限りません」
「話しかけてもいいのかな?」
「もちろんです。しゃべるのが嫌いなわけじゃありません。どちらかと言うとけっこう好きかもしれない。ただ、うるさいと思われるのが嫌なだけです。散髪中に話しかけられるのを嫌うお客さんも少なからずいますから」
敷島は、少しずつ身の上話をした。
相手に話をさせるためにはまずは自分からだった。
警察官、バツイチ、子供はいない、狭いアパートに寝に帰るだけの毎日であること。
あまり羨ましいとは言えない日常生活を披露すると店主は親近感を覚えたようだった。
彼も自分のことを話し始めた。
高校を卒業して理容師になったこと。
昔、ロカビリーのバンドを組んでリーゼントに凝っていたこと。
仲間たちからも頼まれるぐらい髪型をセットするのが得意だったこと。
ニューヨークに憧れていること。
この店もニューヨークのダウンタウンのイメージだが行ったことはない。いつか行ってみたい等々…
一旦、話し始めると店主は気さくと言ってもいいぐらいの人柄だった。
自分について、あるいは必要以上に多くを語った。
話すのがけっこう好きというだけのことはあった。
「わたしも独身でね。こんな店やってると恐いひとと思われちゃうみたいで」
「まだ若いじゃないか。これからいくらでも出会いはあるよ」
「もう一杯どうです?」
敷島が飲み干したウィスキーのグラスを櫛で差した。
「いただこうかな」
「ストレートでいいですか?」
「ああ、悪いね。マスターも飲んだら?」
「酔って手元が狂っちゃいますよ」
「こんな美味しいウィスキーを知ってるんだ。強いんだろう?」
「いやあ、飲みながらってのも何なんで、終わったらいただきます」
「じゃあ、待つことにしよう。一緒に飲もうじゃないか」
散髪が終了すると、店主は敷島のグラスにウィスキーを注ぎ、自分のグラスと一緒につまみを出してきた。
「これ、よかったらどうぞ」
白い小皿にくるみやらアーモンドやらピーナッツやらが入っていた。
敷島は礼を言い、ナッツをつまんだ。
しばらくウィスキーを飲みながら世間話をした。
二人の共通項が見つかった。
どちらもプロ野球を観るのが好きで、千葉ロッテマリーンズのファンだった。
アンチ巨人という点でも意見が一致した。
ひとしきり野球の話で盛り上がったところで、敷島は本題に移った。
敷島は「Barber's Trap」が気に入っていた。
施術にも満足していたし、ウィスキーのサービスも、店内の雰囲気も、そして今では店主の人柄にも。
これからもずっと通い続けるだろう。
しかし、彼が今日まで通い続けたのには別の理由があった。
敷島は店主からの情報がほしかった。
「殺家ー」の直営ではないと確信したときに思ったのだ。
「殺家ー」のメンバーが客として通っているかもしれないと。
「ちょっと見てほしいものがあるんだ」
敷島は言って、鏡の横に置いてあったカバンに手を伸ばした。
敷島はここまで来るのに時間をかけ、なるべく自然な流れになるように努めたつもりだった。
しかし、店主には唐突に感じられたかも知れない。
中からA4サイズに引き伸ばした何枚かの写真を取り出した。
そこに写っているのは「殺家ー」のメンバーたちだった。
ボスが死亡し、グレープを逮捕したことで「殺家ー」はほぼ壊滅したと言ってよかった。
しかし、メンバー全員を逮捕したわけではなかった。残党がいた。
彼らを野放しにしていいわけじゃない。
何せ人殺しを生業にしてきた連中だ。
「この中に知っているヤツがいたら教えてほしい。つまり、こちらの客がこの中にいるかってことなんだ。個人情報の漏洩とは思わないでくれ。人が死んでるんだ。協力してほしい」
敷島は真剣な表情で店主に顔を向けた。
店主はうなずいた。
「わかりました」
敷島は最初の一枚を手渡した。
写真はラズベリーだった。
店主は手に取り視線を落とした。
「知らないですねえ」
顔剃りをする至近距離で客と接している。
客だったら絶対に分かるはずだった。
次にストロベリー。
「知らないです」
次にマンゴー。
「あ、うちのお客さんだ」
(つづく)
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