夢や愛にも骨はある
倉木さとし
第1話 野ざらしにされた恋心
妊娠期間と同じだけの時間があれば、野ざらしにされた死体は風化し、完全に姿を消すらしい。
身体の中で育むという点は、ある意味では共通しているのだから。
だとすれば、風化が進んでも、骨だけが姿を消さずに残っている時期もあるはずだ。火葬しても、形が残るようなかたい骨は、なかなか消えやしない。
その骨が、恋心でいうところのなにかはわからない。
ついに苦情がきたかと、まだまともな思考が働く疾風は覚悟した。いくら龍浪先生の許可があったとはいえ、この一時間は疾風を含めて騒ぎすぎだった。
受付カウンターに近い位置で柿の種を食べていた疾風は、散らかり放題の待合い室を見渡す。
龍浪耳鼻科の一人娘は、託児スペースに陣取る女子グループの真ん中で、周囲に愛想を振りまいていた。
「おい、タツ。電話だぞ」
「川島くんは、本当に学ばないね。タツって可愛くないから、ナミって呼んでって、いつも言ってるでしょ?」
幼稚園に入る前から、十年以上繰り返してきたやりとりだ。龍浪がぶりっ子を貫いているうちは、疾風はタツと呼び続けるつもりだ。
「呼び方はどうでもいいだろ。そんなことより、電話に出ろよ」
「みんなが静かになるのを待ってからでも遅くないでしょ?」
「どう考えても遅いだろ。慣れない酒を飲んでバカになってる奴もいるんだぞ」
耳鼻科の待合室で卒業式の打ち上げに興じているのは、槻本中学校の二〇〇〇年度の卒業生だ。二十名ほどで、男女比率は七対三といったところか。
卒業式後にボウリングやカラオケを終え、ファミレスで夕食を済ませたあとも、まだまだ家に帰りたくないという連中である。電話が鳴ったぐらいで静かになるはずがない。もしかして龍浪は、それを言い訳にして電話から逃げているのではないか。
この待合室を宅飲みの場として提供したのだって、親を苦労して説得したというのも演出くさいと、疾風は疑っていた。事前に許可をとっていたのを隠していて、急遽ひと肌脱ぎました感を出して、龍浪がカッコつけた可能性は高い。
そこまで気づいているのが疾風だけならば、代わりに電話をとるのも疾風しかいなかった。
「はい、もしもし」
『あの、龍浪さんのお宅でしょうか?』
「ええ。そうです」
『娘さんと電話をかわってもらえないでしょうか?』
受話器の口にあてる部分を手でおさえながら、疾風は龍浪を手招きで呼びつける。大勢の前だから笑顔を保っているが、眉の角度で怒りは伝わってくる。勝手に電話をとりやがってと、不満たらたらだ。
「お電話かわりました。はい――はい」
受話器を持つ龍浪の表情が険しくなるにつれ、みなの声のトーンは落ちていく。やはり、最後まで完全に静かになることはなかった。それでも、龍浪の反応は全員で見届けている。
「えっと、あ、はい。うーん、どうしようかな。まぁ、いっか。うん、いいよ。また連絡して。ばいばい」
苦情の電話を受けたにしては、受話器をおく龍浪の雰囲気は、なんだか妙だった。
「なんの電話だったんだよ?」
「卒業して別の高校に行く男子に告白されたの。一応、オッケーしたので、恋人が出来たってことになるのかな?」
打ち上げがお開きになるかと思いきや、さらに燃え上がるガソリンが投与された。
加速する悪ノリにより、電話を貸してくれとバカが名乗り出る。いまから好きな子に電話で告白しようというのだ。
時は二〇〇一年である。携帯電話を誰もが持っている訳でもない時代ゆえに、家の固定電話にかけねばならない。
告白が失敗して、振られて乾杯する準備をしていたのに。
次の乾杯は、新たなカップル誕生を祝うものとなる。
「かんぱーい! よっしゃあ! さあ、この告白祭りに続くのは、誰だ?」
「お前はイケメンだから、なんとかなっただけだろうが」
疾風は喋ったことで悪目立ちをしてしまった。場の主導権を握る、恋人が出来て数分の連中の目が輝く。
「告白祭りに続かなくてもいいから、好きな子を発表しようよ。ナミね、川島くんの好きな子とか気になるなぁ」
やはり、龍浪は計算高い女だ。電話での告白を断らなかったのも、全ては疾風の好きな子を発表させるための布石だったのではないか。
好きな子を発表させようという行為は、それが嫌がらせだったとしても、第三者に勘違いされる危険がある。もしかしてこの場で告白をせがんでいるのではと迷推理する探偵は、二十人もいたら一人ぐらい紛れている。
龍浪は恋人をつくることで、自らに向けられる勘違いの可能性を完全に消し去っていた。
「わかったよ。言えばいいんだろ」
こういうのは、長引くほどハードルが上がる。さらっと答えるのが一番だ。
シラフのままでは無理ならばと、龍浪が缶チューハイを差し出してきた。疾風は龍浪の施しなど受けず、堂々と宣言する。
「不知火櫻子だ」
「川島くん、それはずるいよ。不知火櫻子は、初恋泥棒でしょ? 男子はみんな好きだからさ。好きなアイドルを発表してほしいわけじゃないんだよね」
「ナミの言うとおりだな。おれだって初恋泥棒好きだもん! おれみたいに、告白できるレベルで好きな相手を発表する流れだろうが」
「――あの、お言葉ですが、僕は告白できるレベルで、初恋泥棒さんが好きなんですが」
今日、はじめて酒を飲みましたというメガネくんが、おもむろにメガネを外していた。
「やりましょう、僕が告白を。高校生になって、手とか繋いじゃうぞ。あわわわわ」
メガネマイナスとなった男は、顔が真っ赤だ。想像しただけで体温があがったのか、はたまた酒のせいか。なんにせよ、メガネマイナス君は興奮気味だ。
高みの見物ができる立場になって、疾風は告白祭りが実に面白い状況だとわかった。先ほど、誰も疾風の味方になってくれないのも納得だ。
「中三で、初めて同じクラスになって、五月に口をきいてもらったときから、僕の思いは成長していった。すでに十月十日。人間の赤ちゃんなら、産まれる時期です。知ってますか? 出産予定日より遅くなるのって問題なんですよ」
そんな演説は興味ないからと、メガネマイナス君を電話の前までみんなで移動させる。受話器を持たせても演説は続く。
「だから、陣痛を誘発したり、子宮口を開かせるための拷問みたいな点滴もあるそうです。それでも駄目なら、帝王切開を行って、無理やりにでもどうにかしなければならない」
不知火櫻子の家の固定電話の番号を調べてきたのか、龍浪がボタンをプッシュしていく。
ぼんやりと眺めながら、メガネマイナス君の演説が疾風には響いていた。
疾風自身、本人相手ではないものの、不知火櫻子が好きと口にして、気が楽になった部分はあった。
思えば、疾風の中で櫻子への淡い思いが芽生えた時期も五月だ。外に出さずに、もんもんと抱えこんでしまっては、ろくなことにならないというのは一理ありそうだ。
とはいえ疾風の限界は、仲のいい連中に伝えるので精一杯だ。櫻子本人にはおそれおおくて言えそうにない。
でも、これでメガネマイナス君と櫻子が付き合うようになったら、きっと後悔するのだろう。
少なくとも、淡い思いを育んでいた期間と同じぐらいの期間は、へこむだろう。
「あ、もしもし。不知火櫻子さんですか?」
電話が繋がると、お調子者の騒がしいバカどもが、珍しく静かになっていた。
メガネマイナス君は吐き気でももよおしたのか、口元をおさえはじめる。涙目でみつめるのは疾風で、おもむろに受話器を差し出してくる。
疾風はとりあえず受話器を受け取ったものの、すぐに切るつもりだった。
『もしもーし?』
その声が疾風に勇気を与えた。声すらも可愛いのだから、思わず聞きたくて受話器を耳にあててしまう。
メガネマイナス君よりも、疾風の気持ちは本気ではなかったのかもしれない。涙を流すことも、逃げ出すこともなかった。むしろ、場を盛り上げるために、このまま告白やってやんよと、酒ではなく打ち上げの雰囲気に酔っていた。
『あの、なにも言わないのなら、切りますよ?』
「好きです、付き合ってください」
『え? 私と?』
「はい。俺は不知火さんの支えになりたい。存在してるだけで、素晴らしい人の隣にいさせてほしい」
『――』
「あ、ごめん。好きな人を困らせるつもりなんてなかったのに。そりゃ、黙るよね。いきなり迷惑だったよね」
『いえ、驚いてしまっただけで、迷惑なんてことはなかったわ。ただ、頭の中が真っ白になってしまって』
「俺の真っ白な骨にまで、不知火さんは刻まれてるよ。自分でもなに言ってるのかわかんないので、いまのは忘れて」
『ううん。伝わったわ。意味は全くわからないけど、思いは伝わってきた。ありがとう』
「ありがとう!? ってことは、もしかして」
ひょっとしたら、ひょっとするのか。待合室の連中は、乾杯の準備をはじめる。疾風は一口で酔っ払って眠ってしまうほどアルコールに弱い。けれども、今回は飲むつもりだ。酒を用意せんか、龍浪!
『でもね、私には叶えたい夢があるの。そのためには、恋愛の優先順位は低いから、その――』
視界がぐるんとまわった。龍浪の用意した缶チューハイの口が空いていたせいだろうか。しかし、匂いだけで酔うのなら、もっと前から眠ってどっかに転がっていたはずだ。つまり、単にショックが大きかっただけ。
「いいね! 夢があるの! 応援してるよ! 邪魔になりたくないし! だったら、俺も負けじと自分の夢に集中しようかな。それで、互いの夢が叶ったあとで、ようやく恋愛に向き合うぞってとき、君がいるなんて妄想を――」
『それって素敵ね。だったら、名前をちゃんと教えてもらわなくっちゃ。私のことを好きになって告白してくれた初めての人だから、名前をしっかり覚えておきたいの』
疾風と知らずに断られたことに、救いを感じた。夢を言い訳にしたのは嘘ではなかったのか。誰にだってチャンスがなかったのならば、諦めもつく。
「あ、そっか。まだ名乗ってなかったんだ。ごめん、ごめん。俺は――」
『あ、ごめんなさい。ちょっと、イタズラっ子が近づいてきたみたい。そのまま通話状態で待っていてもらえるかしら』
一息つくタイミングがあると、疾風も冷静になって気づく。
名乗っていなかったのは、疾風だけではない。櫻子だと確認をとっていない。
でも、大丈夫だよな。櫻子に姉妹はいなかったはずだ。まさか、浮かれた母親ではないだろう。
でも、待てよ。さっき初めて告白されたとか言ってなかったか?
疾風を喜ばせるための嘘ならば、まだいい。でも、本当に初めてだったならば櫻子ではない。
放課後の教室で、櫻子が告白されているのに遭遇して、疾風は忘れ物をしたまま家に帰った経験がある。
それとは別で、告白して玉砕したという友達もいた。ていうか、今日、告白してオッケーもらったあいつが玉砕したって話してた奴じゃねぇか。んだよ、恋人できるなら誰でもいいのかよ。
とはいえ、不知火家の電話に家族じゃないのに勝手に出るなんてこと、有り得――ないとは言えないのか。さっき、龍浪耳鼻科にかかってきた電話に出たのは他でもない疾風だった。
それで、龍浪に告白しようとしたやつの電話を、保留ボタンを押さずに取り次いだのだ。
『ちょっと邪魔しないでよ、櫻子。いま、すごく大事な電話をしてるのだから。今日はアナタが不知火一族の主役なんだから、こんなところにこなくていいのよ。アナタへの電話だったら取り次ぐから、任せてちょうだい』
保留ボタンを押されなかったら、向こう側の会話はこんなにも聞こえるのか。
櫻子と声が似ている女性に「告白したのは別人です」と、いまさら伝えられるはずがなかった。
なにより、去年の五月から十月十日かけて心の中で育んできた気持ちをすべて放出したのだ。二回目があるなんて考えず、出し切った。タンクが空になったのに、あれっぽっちだったのを思えば、告白が失敗するのも仕方ないかもしれない。
龍浪から酒を奪い取る。
一気飲みしてやるつもりだったが、飲んでいる途中で倒れるように眠ってしまった。
受話器を置いて電話を切ったのが、眠りに落ちる直前の記憶だ。
なんにせよ、疾風の中で育まれた恋心は、中学の卒業式の日に野ざらしにされたのだ。
そして恋心が完全に消えるちょっと前、いわば骨のようなものが残ってる時期に――初恋泥棒こと不知火櫻子は、火葬されて骨になってしまうのだった。
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