夢と追憶
清瀬 六朗
第1話
窓の外から入ってくる日の光がまぶしくて、
枕元の時計を見る。ほうっておいたら一か月で三分ぐらいは狂う、古い時計だ。
一〇時一〇分過ぎ。
初日の出を見るのは最初からあきらめているが、元旦からここまで朝寝坊では一年の計も何もあったものではない。
銑次は、この
ジャズのレコードをかけたり、ピアノを弾いたり、ときにはほかの楽器の演奏をやったりして、食事を出して酒も出してみんなで楽しむ、という店だ。
店は家とひと続きだから、一分もかけずに移動できるのだが。
かつては、夜の一二時を過ぎるまで店にいてお客の相手をし、それから片づけて掃除をして風呂に入って寝るという生活をしていた。寝る時間はいつも二時とか三時とかだった。
最近は、店は正直に九時半とか一〇時とかに閉めているから、家に戻れるのも一二時前だ。
それでも、若いころから身につけた生活サイクルはなかなか直らない。
起き上がって、茶色のコール天のズボンを
茶色のネクタイを締め、やはり茶色のジャケットを
シャツにはアイロンはかけていないけど、まあ、アイロンをかけるほど形式張るつもりはない。
顔を洗って、歯を磨いて、一階に下りて行く。
台所にはだれもいない。しんと静まりかえっている。
一階は採光が悪いので、台所はいまも暗い。
台所から廊下を抜ける。
廊下は掃き出し窓になっていて、その反対側には、ぎっしりとレコードが並べてある。
まだ学生だった、一〇歳台だったころ、CDというものが急速に普及し始め、かわりにLP盤やシングル盤といったレコード盤が急速に手に入りにくくなった。
銑次は、そのとき、「レコード盤がなくなる!」と慌てて、懸命にアルバイトしてカネを貯め、にわか勉強をし、そのなけなしのカネとなけなしの知識をつぎ込んでレコード盤を買った。
そのときのコレクションだ。
もともとはほんとうにぎっしり詰め込んでいた。
浅草で知り合いだったこの道の先輩の
そのおかげで、大地震が来てもレコードには一枚の損失も出なかったが、一枚のレコードが取るスペースが大きくなって全体のスペースも増大した。いまでは一階の和室までレコードが占拠している。
その廊下を通り抜けて店に入る。
店の台所に美貴がいた。
店も外から光が入らない造りだ。
ただ、台所のところだけ、背後から半透明のガラス窓を通して明かりが入る。
美貴は、電気もつけずに、その明かりだけで、鍋を温めている。湯を沸かしているらしい。
「あら、起きたの。おめでとう」
美貴がとても省力化したあいさつをする。
「あら、起きたの? おはよう。そして明けましておめでとう」の略だ。
「電気つけりゃいいじゃないか」
銑次はさらに省力化した。「おめでとう」も言わない。
「なんかね、電気つけたりすると夜みたいになって、せっかくの一日を損した気分になるから」
というのが美貴の答えだ。
いまは身体全体が大文字の「O」のような形になってしまった美貴。
三十年前には、浅草で「
寿というのは「寿町」という浅草の地名だ。寿町を含む浅草の南のほうの店でよく弾いていたので、この別名で呼ばれていた。
まあ。
そのころからぽっちゃりはしていたけれど。
銑次がきく。
「順は?」
二人の娘、順。
まだ寝ているのだろうか?
そうであってほしいようであり、そうであってほしくないようであり。
そうであってほしいのは、順がまだ寝ていれば自分が起きたのがこの家で最後にならずにすむからだ。そうであってほしくないのは、娘まで朝寝の習慣が伝染していないほうがいいからだけど。
「先起きて、
つまり、いちばん先に起きたのだろう。
そして、雑煮の下ごしらえまでしてくれた。
涙が出るような孝行娘。
「一〇時半ごろ帰って来るって」
「じゃ、もうすぐだな」
と銑次が言うと
「だいたいあんたがいつごろ起きるか、お見通し、ってことじゃないの?」
そう言って、美貴は、ぱちん、と台所の照明をつけた。
白い明かりが台所を照らす。
一日を損した気分にはならないが、やっぱり夜に電気をつけたときのようにまぶしい。
それだけ店の中が暗いのだ。
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