第49話 心音

 「ご主人様、ラムブレヒト男爵様が取り急ぎご報告を申し上げたいと、参っております」

 エクスラー侯爵家別邸の家令が、玄関先に参じた男爵の来訪を告げる。


 「エクスラー侯爵殿、大事なお話がございます!」

 ラムブレヒト男爵を見張らせていた者から、『男爵はノイエンドルフ子爵の別邸に入った』という知らせを聞いていた侯爵は、この男爵が寝返ったと見て慎重に応対する。

「侯爵様、お疲れのところ申し訳ございません。ですが、たった今ノイエンドルフ子爵より新たな情報がもたらされましたので、ご報告に参りました」


「なんだ、騒々しい。落ち着いて申せ」

「まず、子爵ですが、ベッドから起き上がることもできぬほど、衰弱すいじゃくした様子でございました」

「それはまことか?」

「はい、従者が付ききりでかすかな言葉を、私に伝えてくれました」

「フッフッフッ、それは愉快じゃな……それで何だと申すのだ?」

「実は、前線の村で『さらわれたエクスラー侯爵殿の令嬢』と思しき娘を拘束してある、と言うのです。その娘を手に入れれば、侯爵様を揺さぶることができると。そして私に代わりに行ってくれぬかとうて来ました。私の爆弾がどこで爆発するかは私の手のものしか知りませぬゆえ、手が出せぬと」


 侯爵の目の色が変わった。

「あやつめっ、そんなところに隠しておったか! おのれ、ノイエンドルフ、八つ裂きにしても飽き足らぬわ!」

「まことに……」

「お前の造った爆弾は、まだ爆破しないのであろうな?」

「はい、先ほどすぐに、知らせの者を走らせましてございます」


(真っ赤な嘘だけど、とりあえずこう言うしかない……)

 男爵は心の中でビクビクしながら、侯爵の様子をうかがう。

(この話を信じてもらえるだろうか……いや、今は信じ込ませるために全力を尽くさねば……)

 

「それでは、明朝すぐに出発するぞ! 男爵、お前が案内せい。今の話、誠でなければ、お前もノイエンドルフと一緒に墓の中に叩き込んでくれる!」



 * * *



「エアハルト様」

 朝の眩しい光の中でリーゼロッテがエアハルトの胸にすがる。

「何だ、リーゼロッテ?」

「……こんなにも毎日、旦那様と一緒にいられて幸せで……」

「誘うなよ……突き過ぎて、赤ん坊がびっくりしてしまうといけないだろ」

「うふふ、そうね。慌てて生まれてしまったら困るわ」

「気のせいか? お前胸が前より……」

「もうっ、恥ずかしいから言わないでください……」

「新しい服も作らなければな、お前と赤ん坊の両方」

「そうね、楽しみだわ」


 それから二日後、前線に近い小さな村で、爆発事件があった。

 新聞によると、前線へ向かっていたエクスラー侯爵の一行がその爆発に巻き込まれ死傷したと訃報ふほうが載っていた。

 そして、その謎の爆発の翌日、最前線の基地にいたロイエンタール大将閣下が軍を動かし、大規模な掃討そうとう作戦を敢行かんこうした。

 反乱軍は壊滅かいめつ、以前フリートヘルム大公を死に至らしめた地雷は撤去てっきょされた。

 南都では帝国軍の勝利で沸きかえり、フリートヘルム大将閣下を迎えるパレードの準備が着々と進んでいる。



「ご苦労だったな、リエト。地雷の撤去はお前がいなければできなかった」

 南都のノイエンドルフ別邸に戻ったリエト・デマルコはエアハルトの前にひざまづいて、詳細を報告する。

 

「ラムブレヒト男爵様はご自身でお持ちになった防護マスクがございましたので、ご無事です。反乱軍からは武器を回収、投降させました」

「そうか。お前はマヌエラのところに行ってやれ」

御意ぎょい

 リエトは音もなく去り、代わりに大所帯の傭兵部隊を引き連れたツェーザルが入って来る。


「ツェーザル、ご苦労だった。前線では大活躍だったそうではないか」

「いやいや、我々はロイエンタール大将閣下のご指示のもと戦ったに過ぎませぬ。それより『リエト』とか申す男、なかなかの切れ物ではござらぬか? ご主人様は面白い男を手懐てなづけたものですな」

「そう思うか?」

「はい、あやつを敵にしていたら厄介でございましょう。我々も地雷の撤去を手伝いましたが、あの男の正確な記憶がなければ、被害が出ていたやも知れませぬ」

「リエトを見出みいだしたのはマヌエラだ。彼女の目は確かだったと言うことだな」

 

「ではご主人様、我々も支度したくくずしてまいります」

「食堂に食事の用意をさせておいた。皆でゆっくり食べてくつろいでくれ」

「ありがたきお言葉、それではこれにて」


 傭兵たちとツェーザルがガヤガヤと食堂へ移動して行くと、ギルハルトが言う。

「リエトは今少し、見張っておきましょう。それと、男爵の動向も目は離されない方が良いかと」

「そうだな、頼む。それから、三階にいるあの貴族の男だが、あいつを立てて少しクレスターニ王国に伝手つてを作ろう。あいつもここに置くよりは使い道がありそうだ」

「お言葉のままに」


 話が済むと、エアハルトは松葉杖をつき二階の寝室に上がって行く。

 今日はリーゼロッテの検診に医師が来ている。

 入って行くと、ベッドにたくさんのクッションを背に起き上がり、リーゼロッテがペンを走らせている。

 エルが説明する。

「旦那様、今奥様がまとめておいた質問を、先生にうかがっているところです」

「そうか。失礼する」

 エアハルトが声をかけると、医師とリーゼロッテが振り向いた。

 

「先生、リーゼロッテの体調はどうですか?」

「ノイエンドルフ子爵殿、奥様の体調は万全です。先ほど、胎児の心音しんおんを確認いたしました。母子共に健康です。奥様が子爵殿にも胎児の心音を聞かせたいとおっしゃっておりますが、お聞きになりますか?」

「……聴けるのか?」

「はい、ただいまご用意いたします。奥様よろしいですか、先程の場所にあてていただけますか?」

 医師が聴診器を耳に挿し、集音器部分を差し出す。

「わかりましたわ」

「……はい、そこで結構です。それではそのまま静かにお待ちください」

 医者は耳から聴診器を外すと、片方ずつエアハルトに差し出す。エアハルトは差し出された管を片方ずつ耳に差し込んだ。


「聴こえますか?」

「…………これ、この音なのか?」

「そうです」

「速いな……」

「胎児の鼓動は、大人よりずっと速いのですよ」

「……すごいな……」


 リーゼロッテは『すごいでしょう?』と言おうとしてエアハルトの顔を見上げた。そして、見た。

(え、旦那様の目に……)

 エアハルトの目に一粒の涙が浮かんでいた。

 その涙がさっと振り払われてしまったのを、リーゼロッテだけが見ていた。


「今はまだ、それほど目立ってはいませんが、これからぐんと大きくなって来ますので。あと一ヶ月もすれば、胎動もかなり感じられると思います。食事については、先ほど奥様に申し上げましたので、厨房にもお伝えください」

 医師がそう言って帰って行くと、エアハルトが興味深そうに聞いて来た。


「リーゼロッテはどんなことをいたんだ?」

「う〜ん、主に食事で気をつけることとかね。からだの中で人間を一人作るんだから、食べ物は大事みたい。でも、具合が良い時は少し躰も動かした方がいいんですって。動かないで大きくなりすぎると、難産になるって言ってたわ」


「そうか……まあ、無理しない程度にやれよ。何か食べたいものがあれば、すぐ言え。買って来させるからな」

「ありがとうございます、旦那様。この時期には難しいかも知れないけれど、果物があると嬉しいわ」

「わかった、買いに行かせる。そうだ、戦勝パレードの後、俺とロイエンタール大将、ラムブレヒト男爵は陞爵式しょうしゃくしきで帝都に向かうが、お前はここにいろ。ここの方が気候も良いしな。警備の補強にツェーザルを置いて行くから、心配するな」

「わかりましたわ」

 リーゼロッテがにっこり笑うと、エアハルトはその頬にキスをした。

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