第42話 二人の捕虜

 南都のノイエンドルフ子爵家の別邸で、マヌエラは明日の出発に向けて準備をしていた。

 

 そのさなか、バタバタと屋敷の中が慌ただしくなり、馬車が出ていったと思ったら、医者を連れて戻って来た。

 様子を見ているとどうやら、奥様が倒れたらしい。無理もない、元は深窓しんそうの貴族のお嬢様だったのだから。ここのところの旅の疲れが出たのだろう。

 その医者が帰っていくと、エルが大騒ぎしている。どうやら、奥様の具合があまり良くないのかもしれない。


 マヌエラは皆がバタバタとしているのを横目に、灯りを手に地下へと通ずる階段を静かに降りて行った。地下には秘密の牢屋があった。

 おそらくこの屋敷が前の持ち主だった頃から存在するのだろう。土壁に鉄格子をはめた牢獄がいくつか並んでいる。

 その一つの僅かな灯りの中に、ボロきれのようになった男が倒れていた。

 二日前は、近くの村に潜伏していた敵の工作部隊の隊長が、今や逆の立場で牢に入れられている。


「ねえ……生きてる?」

 マヌエラが声を掛けると、男がピクリと動いた。かろうじて生きているようだ。

「水と食べ物を持って来たわ」

 男がわずかに顔を上げた。目がれあがっている。唇は切れて乾いた血がこびりつき、土にまみれて汚れている。


「あなた、もう国には帰れないわよね。もう一回この国で生きてみない?」

 マヌエラは鉄格子の間から、水をんだコップを差し入れた。

 男の手が伸びてコップをつかんだ。その手を口元に引き寄せて、ゴブゴブと水を呑む。飲み終わってハァーッと息を吐くと、その血走った目がこっちを向いた。


「何故だ……? 何故、助けようとする?」

「……何故だと思う?」

 マヌエラはその形の良い唇をニンマリと弓なりにした。

「あなたを、私の男にしたいの……」


「……無駄だ……俺にはもう、利用価値がない……」

「こんな遠くまで来て、ただ無駄死にするの?」

「俺が知っていることは……みんな、しゃべっちまった……」

「それじゃあ、どちらにせよ殺されるのね……」

「ああ……そうだな……」

 男は上半身を起こすと、鉄格子につかまって体を起こした。


「最後にもう一度……お前を抱きたかったな……」

 男は鉄格子てつごうしに寄りかかってからだを支えながら言った。

 マヌエラはその言葉に、意外なこたえを返す。

「私のために生きてくれるなら、あなたを愛してあげるわ……」


 男の目が見開かれて、マヌエラを見つめた。

「……俺を……愛してくれるのか?」

「ええ、私を裏切らないと約束すればね……」


 このまま放置すれば、この男は必ず殺される。今生きているのは、エアハルト様にこの男を尋問じんもんさせるためだ。そして、それが終われば官警に突き出されて処刑されるか、その前にここで人知れず殺されるかだ。


 隣国は反乱に加担した証拠を残さぬために、この男の死を願うはずだ。どちらにせよ、この男が生き延びる道はどこにもない。この男はそれを承知していた。承知して行動していたのだ。だからこそ、最後の酒宴を望んだ。

「約束する……俺は、お前を決して裏切らない」

 地下牢の男の命は、蝋燭ろうそくの芯が燃え尽きる前にかろうじてつながった。だがその命の火も、この屋敷の主人の一言で吹き消されてしまうかも知れない。


 母屋の三階では同じく一人の男が、見張りに見張られながら軟禁なんきんされていた。

 目の前で美しい貴族の女性が、椅子からくずれ落ちるのを救った隣国の貴族だ。


 (あれからリーゼロッテ様はどうなったのだろう。何やらバタバタと人の出入りがあったようだが、医者が来たのだろうか?)


 彼がこの役目を自国で仰せ使ったのは、彼が子爵家の次男という立場であったからだ。どこの国でも貴族社会は縦の繋がりが重要だ。強い貴族の後ろだてがなければ、家の存続が危うい。

 子爵家などというのは下級貴族である。従って後ろ盾となる上級貴族の駒として使われるしかない。まして、彼は後継こうけいでもない次男なのだ。損な役回りを演じさせられて切り捨てられる、そんなこともありうるのだ。

 剣術の腕でもあれば、騎士として取り立てられる道もあったが、彼アベル・サリーニは剣の腕も学術の才も人並みだった。顔だけはほどほどに良かったので、あわよくばどこかの貴族令嬢と婚姻を結べば、逆玉の輿こしとなれたのかも知れないが、あいにくと縁がなかった。


 彼はそんな貴族家の思惑おもわくの中で、ある役目をおおせせつかった。それはひそかに隣国に入り、事前に潜入している小隊と合流して、反乱軍に武器を渡すという役目だった。そして、指定された場所で武器を渡し、地雷という武器を設置する。そこから先は機を見て脱出する手筈だった。

 そのはずがなぜか足止めされ、足止めされた場所で小隊は運悪く捕まってしまったのだ。

 もし万が一、貴族であるアベルが捕まればその身元を辿たどられ、他国が反乱に関与したことがばれてしまう。そして、武器を横流ししたこの国の貴族であるノイエンドルフ子爵も無事ではいられない……それなら、利害が一致する者同士で自分を助けてくれるのではないか、と思ったのだ。


(だが、正しい判断だったのだろうか?)

 今はその判断が正しかったことを祈るばかりだ……

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