第22話 ……幸せ?(疑問符)
「下がれ」
エアハルトが短くメイドに言うと、メイドは部屋から出ていった。
「おはよう、リーゼロッテ、エル、マティアス、クラウス。こちらのひと、ごしゅじん?」
デルが
「ご主人様、こちらの方がデルフィーノ・ラニエリ殿です。デルフィーノ殿、こちらがこの
するとデルフィーノは姿勢を正して、舞台の上でお辞儀をするときのように、ペコリと頭を下げた。
「デルフィーノ・ラニエリ、です。いご、おみしりおきを」
「うちの馬車が君に怪我をさせたそうだな、すまなかった。少し話がしたいんだがいいかな?」
賓客室の長椅子に座り直し、話を聞くことになった。
家令のクラウスはデルフィーノの国の言葉も
「君は隣国の歌劇団の歌い手で、国王夫妻に
「はい、ただしい、はなし」
「フム。では聞こう、君は今後どうしたいのだ?」
「じぶん、しにたくない……ころしや、にげる」
「追手の届かない国へ送ることはできるが、そのあとは何をする? また歌いたいか?」
「じぶん、うたう! それだけ! ほか、できない」
「わかった……だが、この家には置けない。しばらく君の身柄を預かってくれるところを探しておく。怪我が治ったら他国にでも送ってやる。それでいいかな?」
デルフィーノはエアハルトの言ったことを、もう一度クラウスから自国語で聞き直すと、頭をこくこくと振って感謝した。
「ししゃくさま、ありがとう、かんしゃします」
「それではこれで、この話は終わりだ。エル、この男がいつでも出られるように用意しておいてくれ。それから……リーゼロッテはちょっと俺の部屋に来い」
そう言われて、ドキリとした。なんだか、怖い気がするのだが……行かないわけにも……
エアハルトについて部屋に入ると、入った途端振り向きざまにドンッとドアに
一瞬、恐怖で全身に鳥肌が立った。
「お前、俺のいない屋敷に俺の知らん男を連れ込んだのだな……」
恐怖で声が出ない……
(いいえ、落ち着くのよリーゼロッテ。恐怖は自分の心の中にしか存在しないのよ、状況をよく観察するの……)
そう思い直して、言葉を振り
「旦那さま……申し訳ございません。緊急時だと判断したため、家に連れ帰りました……」
「ほう。それでは、あいつが
「……そ、それは、考えが至りませんでした……」
「お前は、用心が足らんな……おおかた、あの歌劇役者に
「いいえ、歌劇役者と気付いたのは、馬車に
「……お前は本当に用心が足らん。同じ屋根の下に知らぬ男を招き入れて、こんなことをされたらどうする?」
夫の唇が不意にリーゼロッテの口を塞いだ。
「んん……」
「それにこんなことも…」
いきなりもう一方の手で胸を
「やっ。だ、だんな様……」
服の上からギュッと頂上を
「お前など、男の力でどうにでもなるんだぞ……」
「あっ、いやぁっ」
スカートを
「そんな甘い声を上げて……あの男と
手が、指が、躰に侵入して来た。
「もう二度と家に知らぬ者を入れるな、わかったな?」
「……はい……」
「これはお仕置きだ……」
リーゼロッテはドアに向かって押しつけられ、エアハルトにされるがままになった。後ろから押さえ込まれ激しく突き上げられて、息ができない。
くやしい……自分では何もかもエアハルトに
コトの後、長椅子に座ってエアハルトに肩を抱かれながら、自分の力の無さに悲しくなる。
「お前は、俺の
「……はい」
(『大事な妻』ってなんですか? 私に意思など
顔が無表情になっていたらしく、エアハルトに気づかれる。
「どうした、元気を出せ」
額にチュッと口付けられる。いつもはこうされることももっと嬉しいのに、今は何もかも
「大丈夫ですわ、旦那さま。ちょっと激しかったものですから……」
物語を書こう。私にできること、私にしかできないことを。
“カストラートに恋をした王妃さまの物語” もしくは “王妃さまに恋をしたカストラートの物語” 書いてやろうじゃないの!
そう考えたら、少しだけ元気が湧いて来た。
部屋に戻り、机に向かってペンを取る。
紙を広げ、インク
まず何と書こう、そう思ってペン先を見ると小刻みに震えている。
手が震えているのだ……一文字も書けず、ただ
自分が思うよりショックだったのかもしれない。
でも、何がそんなにショックだったのだろうか?
エアハルトが怖かった? それもある。
自分の判断が甘かった? それもそうかもしれない。
自分が無力だと思い知った?
どれも当てはまって、なんだか身動きが取れない。
ポタリと音がして、紙の上にいびつな模様が広がる。
気がつくと涙が頬を伝っていた。目に映った景色がぼやけて、こぼれ落ちてゆく。
紙の上に落ちた涙のあとはポツポツといくつも広がり、模様となって
実家で、貧しいけれど好きな物語を書いているあいだは、いつも幸せだった。
今は立派なお屋敷に住み、きれいな服を着せてもらって、食べきれないほどの美味しい食事も出してもらえる……幸せ?
なぜか、“幸せ” に疑問符が付いた。
「奥様……」
エルが恐る恐る部屋に入って来た。
「デルフィーノ様がお立ちになります。『奥様に一言お礼をと』おっしゃっています」
「えっ、もう出て行くの?」
「はい、旦那様が『信用のできるところに預ける』とおっしゃって……」
「わかったわ。旦那様は?」
「これからまた、出かけられるようです」
「そう……」
リーゼロッテは化粧台の前に立つと、少しお化粧を直した。
「行きましょう。お待たせしては申し訳ないわ……」
玄関ホールに何人かが立っているのが見えた。
エアハルトとギルは何かを話していたが、リーゼロッテの顔が見えると話を終えて、待っている。
その横にデルフィーノが
エアハルトがリーゼロッテに歩み寄ると、じいっと顔を見た。
「お前、泣いていたのか……?」
「いえ、目にゴミが入りましたの……」
エアハルトはフッと笑って言う。
「お前は、絶対認めないのだな……意地っ張りなやつだ。これから、歌劇歌手を知り合いのところに連れて行く。大丈夫だ、殺しはしない。別れのキスはさせるなよ、殺したくなるからな」
「わかりましたわ、握手も控えます。殺させたくないので……」
そう答えると、エアハルトは先に出て行った。
「デルフィーノ様、ごめんなさい。このままでお別れですわ。またどこかで、あなたの歌が聴けますことを祈っております」
「リーゼロッテ、ありがとう。しばいかく、いつか、うたう……」
「そうですね、書きますわ。お元気でいてくださいね」
デルフィーノは、エルやクラウス、他のメイドたちにも挨拶して、みんなに見送られて出て行った。
部屋に戻ると、エルが紅茶を
「よかったですね、旦那様が
その言葉に、リーゼロッテはピクリと眉を動かす。
「あれって、寛大なの?」
「寛大ですよー。怒られただけで終わりましたし。誰も死ななかったじゃないですか」
「もしかして、家に入れたら殺されるかも、ってこと?」
「そうですよ。デルフィーノ様、殺されなくてよかったですねー。奥様はまだ来たばかりで知らなかったから、
リーゼロッテは自分の左手首についた青い
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