第19話 カストラート

「死の商人? 何だそんなことぐらいで席を立つなんて……お前らしくないな」


 皇后陛下のお茶会での顛末てんまつを話したあとの、エアハルトの一言ひとことである。

「申し訳ございません……」

 (そうですね、確かに私の忍耐が足りませんでした。でもでも、夫や家を侮辱ぶじょくされて辛抱ができませんでした……自分でも驚いたけれど、自分はもうノイエンドルフの一員なんだと思ってしまいました)


 落ち込んでいると、そんなリーゼロッテを見かねてか、エアハルトがプレセントをくれた。

「そう言えばお前、歌劇オペラが好きだったな。ボックス席のチケットをもらったから、見に行って来たらどうだ?」


 “歌劇オペラのボックス席!”

 ゴールデンチケットである。

 しかも今回の公演は隣国から来た歌劇団らしい。

『ラ・リベルタ』自由へ。なかなかいいタイトルではないか。

「ありがとうございます、旦那様! 行かせていただきます!」


 できれば、旦那様と一緒に行きたかったが、南部の反乱がまだ収束しそうにない今は、それも無理な話だ。


 ボックス席ならば、別に一人で行ってもいいはずだが、護衛を兼ねてエルに一緒に行ってもらうことにする。

 お茶会の失敗で落ち込んでいたので、ちょうどいい気分転換になるはずだ。

 ここのところ、貴族令嬢誘拐事件も収まっているので、貴族令嬢はみな買い物や観劇に忙しい。


 この夜の歌劇オペラ『ラ・リベルタ』は古い歌劇で、騎士と恋に落ちた姫が魔女の企みによって敵に捕えられてしまう。美しさゆえに敵の王に求愛され、逃げることも叶わずに嘆き悲しむ詠唱アリアが印象的な演目だ。


 そして何と言っても今回の目玉は、その悲しく美しい詠唱アリアを歌い上げるのがカストラートなのだ。

“カストラート” はかつては教会音楽を語るにはなくてなならない存在だった『去勢きょせいされた男性歌手』だ。近年は “去勢” が禁じられたため、その数は激減げきげんした。

 その残された最後のカストラートと言われているのが今回の主演、デルフィーノ・ラニエリその人だ。

 カストラートとは言うが、その外見は背が高くサラサラの長い金髪。鳶色とびいろの瞳の可愛らしい彼は若干じゃっかん二十三歳で、女性にも絶大な人気を誇る。

 果たして近年まで、本当に去勢手術が行われていたのかは定かではないが、その声を聞いたものの話では『天上の歌声』だと言う噂だ。


 古めかしい公爵家所有のオペラ劇場の、凝った装飾が施されたボックス席は、エルとリーゼロッテがたった二人で余裕の広さである。

 夜向きのドレスにオペラグラスで、優雅な観劇と洒落しゃれ込んだ。ちなみにエルにもドレスアップしてもらった。友人と二人でオペラ鑑賞に来た裕福な貴族、と言う感じに見えるだろう。

 楽団の前奏が始まった。

 大衆演劇の公演とは違うので動きは少ないが、やはり歌劇オペラは素晴らしい!


 その中でひときわ目を引くカストラート。

 古風な衣装を着て舞台に立つその姿は、確かに男性なのだ。

 だが、その声は!

 ……まさに天上の歌声……どこか影で女性のソプラニストが歌っているのでは?

 そう思ってしまうほどの高い声。声量は男性なのに、女性の声が出ていることに、脳が陶然とうぜんとする。


 私を泣くがままにさせてください


 そして『自由』に焦がれることをお許しください


 悲しみが、私の苦悩のかせを打ち砕きますように


 ただ憐みのために


 終わりの一語が消えた時、会場から大歓声と大拍手が起こった。


 公演の興奮も冷めやらぬまま、しばらくボックス席の中で呆然ぼうぜんとする。

「ハァ〜、やっぱり歌劇オペラはいいわ……」

「そうですね……今まで歌劇を観たいなんて思ったこともなかったんですが……これは、すごかったです!」

 エルが珍しく感激してくれた。以前、大衆演劇を見て以来だ。


「ね、また見に来ましょう。旦那様におねだりして」

「そうですね。奥様はほとんど外出しないから、たまにはいいんじゃないですか?」

 そんなふうに言い合って馬車で帰路に着く。


「このいい気分で、たまにはワインでも飲みたいわ」

「あ、それ。私もお付き合いします。……じつは地下のワイン倉庫にいいコレクションがあるんですよ〜」

 エルが悪戯いたずらっぽく笑う……次の瞬間。

 馬車が急停止した。


 馬が暴れて、静止させようとする御者のマティアスの『ドゥ、ドゥッ!』と言う声が聞こえて来る。座席に取り付けられているベルトをしっかり締めていたお陰でリーゼロットもエルも何ともなかった。

 やっと止まったところで、エルが狭い窓から外を確認した。


「何か、人ですかね……馬がねたみたいですね」

「ええっ、大変じゃないの!」

「奥様はこのまま、車内でお待ちください。いいですね」

 エルはそう言うとドアを開けて出て行った。


 数分後、エルが戻って来た。

「申し訳ありません。馬が人をねて怪我人がいます。医療院へ運ぶかどうしようかと……」

「何言ってるの! すぐうちに運んで主治医を呼ぶのよ!」

「は、はい、奥様」

 この馬車は座面が広く取ってあって、しかも固定するベルトまで付いている。

 怪我人を運ぶにはもってこいの仕様だ。

 それにノイエンドルフ家の主治医なら、呼べばすぐに駆けつけてくれるだろう。

 すぐにマティアスとエルが怪我人を座席に運び込んで、ベルトで固定した。


 リーゼロッテは固定したその怪我人の顔を見て、思わず固まった。


「エル……この人って……?」

「そうですね……おそらく、の方でしょう」

 先ほどまで劇場の舞台で歌っていたカストラート、デルフィーノ・ラニエリその人だった。


 急ぎ屋敷に辿たどり着き、賓客ひんきゃく室の用意をしてもらいベッドに寝かせる。

 すぐに主治医がやって来た。


「肋骨が折れています。しばらくこのままで安静になさってください」


「肋骨……しばらくは歌えませんね。公演は中止でしょうか……」

 青白い顔で眠っている歌劇オペラ歌手の顔を眺めながら、エルがポツリと言う。

「そうね、歌手が肋骨を折ったんだから、中止でしょうね。エル、劇場に使いを出してくれるかしら。きっと心配して探しているわ」

「わかりました」


 エルが部屋を出て行き、リーゼロッテが先ほどの歌劇公演をお思い出してため息をついていると、怪我人の目が開いた。

「ここ、どこ?」

 ちょっと外国のなまりがあるが、言葉は通じるらしい。


「ここは私の屋敷です。あなたはうちの馬車にねられて、怪我をしたんです」

「……そう……」

「今、劇場に使いを出しました。みなさん、心配しているでしょうから」

 その言葉を聞いて、彼はいきなり起きようとしたが、痛みでそのまままたベッドに横になった。

「わたし、ここにいる、言わないで、ください」

「え?」

「だれにも、言わないで、ください。わたし、殺されます」

「え? わ、わかったわ。ちょっと待っていて、止めてくるから」


 リーゼロッテは慌てて階段を駆けおりた。今まさに使いの者が出ようとしていたところだった。

「待って! 劇場に行かないで!」

 みんながキョトンとした目でこちらを見る。


「彼が、殺されるって言ってるの!」

「殺される?」

「何ですか? 穏やかじゃないですね」

「とりあえず、知らせに行くのはもう少し待ってくれる?」

「わかりました」


 エルが不思議そうな顔で聞いてくる。

「何なんですかね?」

「分からないけれど、もう少し事情をいてからでもいいかしらね」

 エルと二人、賓客室に戻ってみると怪我人の男はまた眠りについていた。


「仕方ないわね、また明日訊きましょう」


 賓客室のドアを閉めながら、エルが何か言いたそうにしている。

「どうかした?」

「無いんですかね……彼?」

「何が?」

「彼、カストラートでしょう。本当に無いのかなって……」

 エルが言っている意味が分かって、リーゼロッテは顔を赤くした。

「エル。だめよ、そんな失礼なことを言っては……」

「失礼しました。こんどそっと確認しておきます……」

「もう! エルったら……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る