教えてくれない
小峰さんから伺った話だ。彼によると旅先で奇妙な体験をしたという。しかし、その時に起きたことは理不尽にもほどがあると言うことで愚痴も言いたいので話してくださるそうだ。
町の喫茶店でぼんやり待っているとまだそれなりに若そうな男性が現れた。彼は席に着くなりそうそうに『聞いてくれるかな?』と言って話を始めた。
*
あそこに行ったのは折角の休暇が取れたからだった。楽しむために幾らかのお金を持ち、各駅の電車で某地方に向かった。
そこは温泉で有名な地なのだが、近年になって多くの温泉街が外国からのインバウンドに頼る中、そこは昔ながらの日本人向けのまま変っていないそうなので期待をしてその町に向かった。
しばし電車に揺られながらぼんやりと車窓から景色を眺めていた。各駅で行くには少々遠いが、のんびりした旅行のつもりだったのでそれでも構わない。どうせ退屈しているのだからと電子書籍を読みながらのんびりと目的地に向かった。
電車だというのに座れて当然と言うのはなんだか変な感覚だったが、久しぶりに地方まで出てきたからで、我ながら満員電車に慣れすぎだと苦笑した。
その土地はそれなりに有名だが、やはり地方なので旅行客もマイカーを使って行く人が大半なのだろう、自分でも何故電車で行こうとしているのか分からない。レンタカーでもいいはずなのだがなんとなく電車を選んでしまったのだ。
しばし揺られているとちょうど一冊を読み終わったときに目的の駅に着いた。鞄を持って電車を降り、そこからタクシーで少しのところにある旅館に行く。
旅館につくと出迎えをされ、部屋に案内されてから温泉の位置を教えてもらい部屋に入った。この旅館は結構な広さで、よくある温泉旅館ではあったが小綺麗であり気持ちよく泊まれそうだった。
早速浴衣を持って浴場に行くと体を流して温泉に浸かった。こんないい温泉宿に誰もいないなんてもったいないなと思いながら疲れを流して温泉から出た。
気分良く部屋に帰ったので、一杯飲みたくなった。冷蔵庫に供えてあるビールを一本出してコップに注ぐとぐびっと飲む。美味しいのだが、何か物足りない、こんな事なら何か頼んでおけば良かったと思いつつも栓を開けてしまったビールを放置するよりはいいだろうと諦めて飲むことにした。
食事が運ばれてきたのでそれを軽く平らげた。美味しいのだが、ここに誰か付き合ってくれる人でもいればもっと美味しかっただろうと思いながら一人食事を終えて寝ることにした。行儀が悪いのは承知で畳の上に寝転がり、布団がそのうち敷かれるだろうと、その時に起こされるだろうからそのまま目を閉じた。
目が覚めると自分は布団に入っていた。起こしてもらったのかもしれないが記憶に無い。深酒と言うほど飲んでいないのだが、どうして記憶が飛んでいるのか分からない。
しかし飲んだことの無いビールだったので慣れなかったのだろうと思い体を起こして時計を見ると、まだ早朝というか夜中の方に近い時間だった。
寝直すにも目が冴えていたのでスマホを取り出して電子書籍のアプリを開いた。電子ペーパーの端末では灯りが無いと読めない。当時はまだ端末にライトが搭載されていなかった時代だ。
スマホのアプリを開こうとすると電話がかかってきた。非通知だしこんな時間にかけてくるなんて迷惑なヤツもいたものだと思うが、急ぎの用事かもしれないので出たところ、知らない男の声がした。
「うぅ……ぐぅ……クルシ……」
そこでプツッと電話は切れた。なんだろうと思っていると部屋のドアがノックされた。こんな時間に客の部屋に来るなんて事があるだろうか?
そんなことを思いつつドアを開けると従業員らしき男が『夜分に申し訳ありません、実はお客様に案内した部屋を間違えておりまして……』と言う。きちんと予約の時点で載っていた部屋番号と同じなのだが何処をどう間違えたのかと聞くと『予約を受けたものが新人でして……』と言う。
ネットで予約したのに新人も何も無いだろうと思いながらも、先ほどの電話が気味悪く思えたので不承不承ながらも部屋を移ることに同意した。
こんな時間に移って翌日には出て行くと言うのに何故わざわざ部屋を変えるのかは疑問だった。そのまま泊めても変らないだろうに、そもそも誰かに迷惑がかかるわけでもないだろうと思いながら数人が来て荷物を運び出していき、部屋を移った。
そのときのこと、従業員が荷物を運び出しているときにたまたま話している声が聞こえた。
『今日はこの部屋かよ……まだ早いだろ……』
『文句を言うな、災難が降って湧いたと諦めろ』
従業員が何か不穏なことを言っているのでそちらに目をやろうとすると、すぐに部屋から無理矢理出されてそのまま別の豪華な部屋に案内された。なんでもチェックアウトが近いのでせめていい部屋を使って欲しいと言うことだ。
俺が寝ていたらどうするつもりだったのかと思ったが、どうもコイツらは起きているのだろうという確信があったようだ。
部屋を移るとそこにはしっかり布団の敷かれていたので諦めて寝ることにした。
布団に入るとストンと意識が落ちた。そうして翌朝になると夜に起きたことが夢ではないと部屋の広さで実感した。それから少々豪勢な朝食が運ばれてきて『ご迷惑おかけしました』と言い部屋を出て行った。
何かがあったわけでは無い、そのまま旅館を出て帰ってきたので何か害があったわけでは無い。
*
「ただねえ……またそこに行こうとは思わんなあ……何か隠しているんだろうが、詮索はしないにしてもアレが誠意ある対応だとは思えないんだよな。まあ、今となっちゃあ知るよしも無いんだがな」
そう言って彼は運ばれてきたコーラを一気飲みした。ゲップをして嫌そうな顔をする。
「どうもな、酒がダメになっちまった。いや、健康診断で引っかかったわけじゃないんだがな、また飲んだらあの電話がかかってくるんじゃないかって気がするんだよな、勘だけどさ」
彼は今でも夜に飲むのはジュースなどにしているらしい。外が無かったと言っていいのかは分からないが、彼の肝臓の値が良くなったことは検査で教えられたのだそうだ。
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