文字
何処までやって来ただろうか。昨晩あの村を飛び出してから、ただひたすらに走って、己を責めていた。それでも、時を戻すことは出来ない。
事実は段々と精神を蝕んでいった。孤独を後押しするように冷たい風が吹く。
気付けば朝になっていたのに、どんよりとした曇り空は、より一層気持ちを重くさせる。後悔しても何も変わらないのは分かっているが、それでも、あの行動だけは許せなかった。
山とまではいかない位の坂道に生える草木を掻き分け、少し高い丘までやってきた。
こうしてみると、本当に世界というのは広いものだ。分かっていたのに、今初めて知ったような感覚になった。
何故あんな事をしてしまったのだろうか。何度心に問いかけても、答えは戻ってこない。それが、悲しかった。
いっその事、お前が悪い、とでも言って欲しかった。
丘を少し歩くと、何か構造物が見えてきた。それはもう何年も古くに倒壊したようだ。
傷んだ木材なんて、建物全て鋼鉄製になった現在では、希少価値がつく程の代物だ。廃棄物だろうか。
ここは都市から果てしなく遠い場所だ。こうされているのも無理はないだろう。俺は恐る恐るバキバキの木材の山に近づいた。
驚くことにそこには、老人がいた。木材の整理を行っているようだ。俺は声をかけてみることにした。
「あの、何をしているのですか?」
老人はゆっくりとこちらに向き直ると、銀色の髭をさすった。
「おお、こんなところに人が来るとは…というと、君はセムラリス村の人かな?」
「…はい」
「そうかそうか、ガレス君を知っているかい?」
俺はあの強気な少年を思い出した。
「ええ。志の強い子ですよ」
老人はいきなり笑顔になった。
「…そうか、それは良かった」
「ガレスと、どんな関係で?」
「私の教え子だよ。一番成績の良かった子だ」
「そうですか」
あの瞬間的な思考と反応にも、少し納得ができた。
「ところで、あなたは誰ですか?この沢山の木は…」
「おお、申し遅れたな。わしはコルペリス・アレクトルだ。孤児院の院長兼教師をやっていたのだよ。もうただの木の山だがな」
「というと、この沢山の木材が、元々の孤児院なんですか?」
「ああ、ガレス君も、この孤児院の子だった。この孤児院は、3、4ヶ月ほど前にメルウラヌスの怒りで倒れてしまってな。
咄嗟にガレス君が私の体に突撃して、そのままの勢いで2人だけ外に放り出たんだ。その瞬間、倒壊して、このようなものになってしまった。
助かったのは、私とガレス君だけ。あの子は、世界にあるすべての自然を知りたいと言って、旅立っていった。ここにいるのはわしだけだ」
コルペリスは、悲しい顔をした。
「君は、どんな成り行きでここに?」
心臓に一瞬鎖が絡まった。俺は事を正直に、詳細に話した。コルペリスは眉をひそめた。
そして、先程とは打って変わって険しい目つきで、丸いメガネの奥から俺を見つめた。
「まあ、人生には間違いもある。逃げ出したい事もある。さあ、逃げ出したあと、君はどうする」
俺は、あの村を飛び出した。何もかも捨てて…それでも、俺が求めていたものは一つだ。
「貴方は、文字を使えますか?」
「ああ、勿論だよ」
「私に、その、教えてくれますか」
「いいだろう。その代わり、この木の山を少し整理してくれぬか?年寄りにはもう厳しい仕事でな」
「分かりました」
新しい出会いは、新しい別れを作るというが、逆も然りだ。
俺は、コルペリスという逞しい老人から文字を習う事となった。鈴虫はこの広々とした世界に彩りを作るように旋律を奏でた。耳に優しい秋だった。
*
丘には、雪が降り積もり、美しい銀世界が広がっていた。木材も粗方整理し終わり、俺は、コルペリスと共に、大量のカップラーメンを味わっていた。
この国には、本当に大量のカップラーメンがある。それもそうだ。あれほど手軽で、上手い食べ物はない。
ハレムル連合国では、食べ物すら自給自足だったのに、本当にこの国の環境というものは信じられない。
「うん、君も物覚えが早いね。あれから1か月なのに、もう文字を大体覚えてしまった」
「まあ、元々文の書き方などを知っていたので、文字だけだったのですが」
「それでも、沢山のものを覚えることは大変なことだよ。よくやった」
久しぶりに褒められるのは、凄く嬉しかったが、それが顔に出ないよう、俺は歯を食いしばった。
「これから、都市に行くのかい?」
「ええ、世界のいろいろなことを知るために、図書館に」
「そうか。図書館は面白いぞ。もう、世界のすべてが集まっていると言っても過言ではない。そうと決まったら、行ってらっしゃい。面白いぞ」
「少しの間でしたが、ありがとうございました」
「私はここでもう生涯一人でゆっくりと暮らすよ。次に来る業者の人に、本を大量に頼んだからな。私には山奥が一番だ」
「ずいぶん、変わった人ですね」
「そうじゃな。人との関わりを欲していないからの」
「まあ、気が向いたら会いに来ます」
「待っているぞ」
「では、行ってきます!」
コルペリスは手を振っていた。雪は止んでいて、青い空の下、太陽に照らされる真っ白な雪に、冷たい北風が当たる。
そろそろ冬本番と言ったところだろうか。もう11月だ。都市に行く頃には、もっと寒くなるだろう。
それでも、都市は素晴らしい場所であることを信じて…
もう戻れないから。
俺は都市に向かって歩き出した。
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