第17話 千早の過去④
あの練習試合から俺は自信を持つことができるようになった。チームメイト達とコミュニケーションを取ることへの抵抗はなくなり、先輩にも要求や指示もできるようになった。プレーにも迷いがなくなり、ボランチのポジションを勝ち取ることができた。
2年生になって新入生が入ってくることでポジション争いになることも危惧したが、それも杞憂だった。
いよいよ総体が近づいてきた6月。日本の夏は毎年地獄のような暑さになる。この暑さはサッカーに限らずアスリート達を苦しめる。
炎天下の練習は身体への負担が大きいので練習時間は必然的に短くなる。なので足りない分は自分で補うしかない。俺は亮との練習を終えた後の夜に30分程度のランニングに取り組んでいた。
「あれ、千早?」
「……胡桃」
幼馴染の胡桃とは家が近所同士なので俺にとってはタメ口を聞ける数少ない女子だ。だが女子だからといって俺がこの幼馴染を女子として見てるかどうかは別問題である。私服姿で買い物袋をいくつか持っているから休日をエンジョイしていたというところか。胡桃はこっちがトレーニング中なのにも関わらず遠慮なしに近寄ってくる。
「ほれ」
「……え」
胡桃はいきなりベンチに腰掛けたかと思えば自分の隣(といっても人1人分のスペースは空けて)をポンポン叩く。ここに座れということだろうか。
「……」
本音を言えばトレーニング中だし、胡桃だしで立ち去りたいというのが偽りない本音だ。だが逆らうと後が怖いというのも本音である。俺はあっさり折れて胡桃の示したスペースへと腰掛ける。
「精が出るねえ。トレーニング?」
「うん。そう。だからさっさと終わらせて続きをやりたい――いや、なんでもないですすいません」
「分かればよろしい。大体千早は贅沢なんだよ。こーーんな可愛い胡桃ちゃんとお話できるというのにトレーニングを優先するなんてね」
確かに胡桃がモテるということはよく知っている。サッカー部の人とは話すようになったとはいえ交流関係の狭い俺でも胡桃が男子の中で可愛いだの付き合いたいだの騒がれていることは聞いている。
胡桃はヨイショと立ち上がると自販機の500mlのスポーツドリンクとミルクティーを買ってスポーツドリンクの方をよこしてくる。
「ありがと」
「どう? 可愛い幼馴染からの差し入れ。キュンときた?」
「……うわ、美味ッ。結構喉乾いてたし、染み渡るなあ。……は? なんか言った?」
「……なんでもないッ!」
「ごふッ!」
悪戯っぽい表情から一転ご機嫌斜めになった胡桃は俺の背中を強打。胡桃はかなり華奢だから力もない。とはいえ俺も肉付きは良くないのでその衝撃が直接骨に伝わり、思わずむせてしまう。
「……で、最近どうなのよ?」
「最近は……まあ、調子良いよ」
「……ふぅん」
大して興味はないだろうが胡桃はこうして近況を聞いてくる。胡桃はミルクティーをひと口飲むと珍しく神妙な顔つきで俺の顔を覗き込んでくる。
「本当に? 無理してない?」
「してないよ。大丈夫。どうしたの? 珍しいじゃんサッカーのことなんか全然興味なさそうだったのに」
「サッカーは好きだよ。サッカー選手イケメン多いから色々と捗るし。千早のサッカーには興味ないだけ」
「……」
ここまでハッキリと言われるといっそ清々しい。俺が苦笑していると胡桃は「……でも、」と続ける。
「千早のことは心配している」
胡桃はどこか不安げな表情で俺を上目遣いしてくる。多分何も知らない男子からすれば勘違いしてしまいそうなアレだ。
「ウチの母さんから試作品貰えるもんな」
「その通り」
胡桃は全く悪びれることなくニンマリ。全く食えない奴だ。
「まあ、とは言っても幼馴染の男の子を心配する可憐で慎ましい女の子の私もいるわけで。だから……あんまり無理しないでよ?」
「う、うん……」
いつもの調子であるが、再三心配されるとどうにも調子が狂う。普段は(といってもそんな話すわけではないが)終始俺のことをおちょくる発言が多いだけになんとなく違和感がある。
「そんじゃ程々にトレーニングがんばッ。私はコンビニ寄ってくから」
胡桃はそう言い残してすぐそこのコンビニに入っていく。それを見送ってから俺はペットボトルの中身を一気に飲み干す。そしてそれをゴミ箱に入れてまた走り出す。さっきよりも早いペースで。何かを見て見ぬふりをするように。
♢
「千早の奴さ何か調子乗ってね?」
そんな声が聞こえてきたのは俺が部室の扉に手をかけたタイミングだった。そのまま手が止まる。サッカー部の人数は多いこともあって校舎内にある空き教室が最上級生にあてがわれ、その他下級生は校舎外の部室棟の一室があてがわれている。俺は先輩達から顧問の先生に練習メニューを聞いてくるように頼まれたので代表して行って帰ってきたところだった。ちなみに今日亮は部活に来ていない。2年生なのにも関わらず、強豪校からスカウトが来たらしくその見学に行っているのだ。
この声の主は確か右サイドバックで試合に出ている大桑だ。実力は確かだけど日頃の振る舞い方から選民意識のようなものを感じてなんとなく苦手意識がある。だが試合にコンスタントに出場していることもあって大桑は他のチームメイトからも一目置かれている。それを表すかのように彼に同調する声があちらこちらからあがる。
「あー、分かる。最近までベンチ外だったのにな。急に試合出られるようになったしな。まあ調子にも乗りたくなるわな」
「でも試合出れるようになったのって亮がトレーニングしてやってるからだろ? 俺見たことあるぜあの2人が公園で自主トレしてるの」
「え、マジすか。亮先輩のマンツーマンとか羨ましいっす。でも円井先輩も努力してんじゃないすか?」
亮へ強い憧れを持つ後輩――雨宮――がそれが気遣いによるものなのかどうかは不明だが、俺への冷ややかな声に対して反論をする。
「あいつがたまたま亮から手助けしてもらったことで今の結果が生まれているのにアイツが調子に乗ってることがムカつくんだよ」
大桑は明らかに不機嫌な声を雨宮にぶつけると、雨宮は「そっすか」と素っ気なく返答する。
「ていうか、こんなこと言ってたら千早先輩来ちゃいますよ? さっき先生に練習メニューを聞きに行ってもらうように千早先輩に頼んだの大桑先輩っすよね?」
「良いんだよ。聞かれても痛くも痒くもねーし。寧ろ聞いてもらった方がありがてえよ。直接言わないでいてあげる俺の優しさだろ?」
「ぶはッ、ただの陰口じゃん!」「それな!」「つーか俺も千早ウザいと思ってたわ急にボランチやりたいとか言い始めたし、声も急に出し始めたし。陰キャは陰キャらしくしてろっての」「そういえば調子乗ってるっていえばアイツあんな冴えないくせに亜里と仲良いんだぜ。腹立つわ〜」「亜里はただの幼馴染だろ? そうでなきゃあんな冴えないのと亜里じゃ釣り合わねーって」「だはははははッ」
俺をこき下ろす言葉で盛り上がる部員達。俺は部室の扉の前で立ち尽くしたまま動けない。
「……何でも良いですけど、俺もう行きますね……って千早先輩!?」
いち早く部室を後にしようとした雨宮は扉を開けたら俺がその場に立ち尽くしていたのに気が付きあからさまに狼狽していた。
「あん?」
雨宮の様子に大桑は眉をひそめて俺を見やる。
「何だ来てたのか。練習メニュー先輩達に教えてやってくれよ」
何も悪びれる様子もない大桑。他の部員達もニヤニヤと成り行きを見守っている。その感覚は酷く不快でまだ練習を開始していないのに喉がカラカラだ。
「今の話……」
「聞こえなかったのかよ。早く先輩達に渡しに行けって」
やっと声を絞り出したと思ったら大桑が被せてきたことによって遮られる。
「千早先輩、俺が渡しに行きますよ」
「余計なことすんなよ雨宮。俺は千早に言ったんだ。な? そうだよな?」
大桑が睨みを効かせると後輩達は身体を小さくしてコクリと小さく頷く。誰も俺に味方をしてくれないのかと思わなくもない。だけど大桑の選民意識の強さは皆知っている。大桑とはあと一年はチームメイトなのだ。事を荒立てたくないというのはごく自然な考え方だ。
「……わかった」
事を荒立てたくないのは俺も同じだ。小さくそう言って再び部室に背を向けた時、俺のその背中に向かって声がぶつけられる。
「千早さ、聞こえてたなら今後は弁えろよ? どういうわけか亮や先輩達からはウケが良いみたいだけどあんま調子乗んな」
「……」
その言葉に足を止める。
一体俺が何をしたというのか。
確かに自分のポジションを勝ち取るために自己主張はしてきた。人とは異なることをしてきた。だからといって身勝手な振る舞いをしてきたとは思ってはいない。雑用だって積極的にこなした。練習だってしてきた。何が大桑達をそんなに苛立たせてしまったんだろう。
「お前みたいな元々陰キャが頑張ってるのムカつくんだよ。亮の金魚のフンのくせに偉そうに指示出しやがって。話しても何も面白くねーし、陰キャは陰キャらしくしてろよ」
陰キャ。どうやらそれが俺が嫌われている原因らしい。確かに俺は元々コミュニケーション能力が低い。それは亮にも改善した方が良いと言われていたことだ。俺なりにそこを克服しようと頑張ってきたつもりだったけど、どうやらその努力も癪に触ったみたいだ。
でもそうならば、そうならばどうすれば良いんだろう? 人が何かコンプレックスを抱えていてそれを良しとしない人がいたとして、それを克服しようとしていることすら良しとしない人がいればどうすれば良いんだろうか。
「おら、早く行ってこいよ!」
「……ッ!」
視界が滲んだところで俺はその場を後にした。その後のことはよく覚えていない。
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