第2話 亀裂



233階最上階の会議室。歓喜省の特別顧問・白石垣は、目の前に広がるホログラムデータを凝視していた。


「ハピネスの効果持続時間が、徐々に低下しているようですね」


会議室の中央テーブルには、「骨」と呼ばれる幹部たちが集っている。全員の瞳には管理者用ARが埋め込まれているが、そこに青い光はない。彼らは決して高揚食品を使用しない。それが「骨」の誇りであった。


「塵どもの体が耐性を持ち始めているのでしょうか」

「いいえ、それ以外の要因があるはずです」


教育的教育省から出向してきた若手幹部・椎名が発言した。彼女は最年少で「骨」の地位についた異端児だった。


「新型ハピネスへの切り替えから3ヶ月。本来なら効果は安定しているはずです。しかし、一部のフロアで明らかな数値の乱れが観測されています」


ホログラム画面が切り替わる。233階の詳細なマッピングが浮かび上がった。


「特に、このエリアです」


椎名が指し示したのは、南野歩夢のデスクがある場所だった。


「興味深い」白石垣が身を乗り出す。「あのエリアの生産性は依然として高いままです。しかし、幸福度指数だけが不自然に変動している」


「私の仮説では」椎名が続けた。「誰かが、システムを欺いている可能性があります」


会議室に緊張が走った。


「不可能です」最上位管理官の河津が声を上げる。「ARシステムは完璧なはずです。塵ごときに操作できるものではない」


「過信は禁物でしょう」

「椎名君!」


河津の声が鋭く響く。しかし椎名は動じなかった。


「私が言いたいのは、システムの欠陥ではありません。むしろ、これは私たちの成功の証かもしれない。教育的教育省の目標は、自律的な思考力の育成だったはずです」


「しかし、それは─」


「管理された範囲内での自律性であるべきだ、とおっしゃるのでしょう?」椎名は皮肉めいた笑みを浮かべた。「では、お訊ねします。私たち『骨』は、誰に管理されているのですか?」


会議室が静まり返る。


白石垣はゆっくりと立ち上がった。「興味深い議論です。しかし、目の前の問題に集中しましょう。椎名君、あなたにこの件の調査を一任します」


「ありがとうございます」


椎名が会議室を後にした後、白石垣は再びホログラムに目を向けた。そこには、南野歩夢の業務データが静かに流れている。


「面白い。実に面白い」


彼は独り言を呟いた。その瞳の奥で、何かが揺らめいていた。


管理者用ARが、わずかにノイズを表示する。まるで、システム全体が未知の変化を予感しているかのように。

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