2食 それぞれの飯
「あー、もうお腹いっぱいだよ。一体全体、どうしたらそんなにも食べる人間に育つんだい?」
聞かれた中年の男は、御馳走様でした。と両手を合わせて言ったあとに答える。
「んー、そうだなあ。君みたいなガリ勉にはわからないだろうね!」
何が気に食わなかったのか、彼はまともな回答はしなかった。勘づいた若い男は、俺とは真反対な生活をしたのだろう、と心のなかにしまっておいた。言及はしなかった。これでも、会社内では仲の良い方なのである。
「「御馳走様でーす」」
二人は揃って店を出た。その足取りは、なんだか、朝ごはんを食べて会社に行くよりも、軽いように思えた。なぜなら、これからは、待望の家時間が待っているからだ。
「ただいま…って、後何回返ってこない人生を歩むんだろうか」
当たり前のことも、疑問に思う彼は、まだ一人暮らしを始めたばかりの若手社員。今日も先輩と夕飯を共にして、帰った後は一杯のコーラと、カップ麺。
「…小腹が空いた。本当は夜食、いけないんだよな」
言い終わると、いつもの静けさに啜る音。若い男の日課である。こんな淋しいのなら、いっそ帰りたい。帰って、親孝行して、死を共にしたい。コーラの炭酸が口の中から消えた途端、何故か慣れていた筈の生活に別の感情を持った。それもまた、一瞬にすぎなかった。
「ただいま」
「おかえりなさい、また食べてきたの?」
返事がする。もう年老いたお母さんの。中年の男は、うん。とだけ返す。そっけない彼に、母はもう一つ聞く。
「また、私以外と?」
「まあね」
悲しそうに、ただ一人、二人分を頑張って頬張る母。食べているとき、ふと涙の味がしたような気がした。
「はぁ…また無理して。言ったよね、僕食べてくるって。忘れて作っちゃった?」
こくり、と頷く母。どうやら、朝出勤前に言われた事を忘れ、息子の分も作ったらしい。
「そういえば、僕の水筒知らない?ギリギリまで探したんだけどなくってさあ。あのほら、黒い水筒」
「あぁそれなら洗っておいたよ」
この返しに、彼はため息をつき、母さん…と小声で呟いた。水筒は、一昨日洗ったばかり。
「…あのさ、今度の土曜日、僕空いてるし病院行かない?」
「なんで?」
弱々しい声。母ももう80、長くはない。そして、思い出させるように彼は説明する。
「いやさ。実はその…水筒、一昨日にもう僕が洗っておいたんだよ」
「あらそう?ごめんなさいね、言われないと分からないわ」
「いや言ったんだけど。って、そうか、そうだった。母さん、認知症だよ!」
「ちょっと、病気なんてかかってないわよ。ほらご覧の通り、元気だわ」
母は言いがかりだと反論するも、論点が全く違った。彼が言っているのは記憶の病気だから。
「まあいいよ、どうせこのことも直ぐに忘れちゃうだろうし」
彼は呆れた。中年の男の日課なのである。母の認知症に、時折巻き込まれてしまうのだ。しかし、これはいつか自分の身にも起きてしまうのではないか。薄々そう感じてきているものの、彼は決して忘れたくないのだ、家族のことまでは。
「ただいま、父さん」
チーン、と鳴らすと線香に火をつけ、お祈りをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます